第76話 聖女編エンデイングはかく語りる

 聖星祭、夏の季節に聖アンタレスの偉業を称え、代表となる司教が各地の教会を歩いて周るという宗教祭だった。

 だがその姿も長い時の中で、徐々に民衆の娯楽へと変わっていった。


 聖女シフの清らかな祝詞が、各地に響き、それを護衛するエルフの冒険者は満足そうに、そして優しげに聖女の背中を眺めていた。

 かくして聖星祭は終了、最後の巡礼を終えた頃はもう晩夏であった。




          §





 ピサンリ王国首都ブリンセル、その街の中心にあるワタゲ城にはある二人の冒険者の姿があった。

 一人は厳つい壮年の冒険者、もう一人はあの聖女の護衛も務めた美しい女エルフだ。


 二人は玉座の前で、頭を垂れていた。

 彼らの前にはこの国の王タクラサウム・タンポポがいたからだ。


 「此度は良くやってくれた、流石竜殺し嬢よ」

 「お褒めに頂き、光栄にございます」


 女エルフ、ガーネット・ダルマギクは凛々しい声で、堂々と返した。

 王は出発前の彼女から一皮剥けたその姿に感心する。

 どこかまだ幼さが残っている気がした少女は、ようやく貫禄を得られたのだ。


 「うむ、それで報酬は出来高だったな、余は竜殺し嬢を高く評価しておる。此度アノニムスなる奇っ怪な組織の摘発、やはり冒険者を雇って正解だったの」

 「その件について少しよろしいでしょうか?」

 「ふむ? よい発言を許そう」


 王の側には出発の時と同じように大臣と若い文官が立っていた。

 ガーネットは立ち上がると、アノニムスについて王へと報告する。


 「アノニムスは身分を偽り、街に潜伏する恐るべき敵でした。彼らは邪神なる物の降臨を望み、聖教会の聖女を狙うに至りました」

 「うむ、しかしそれはお主が防いだろう? 聖女も今はマーロナポリスに帰っておる。早々は手は出せん」


 王様の言うとおりだ、あの一件はすでに終結した。

 巡礼を再開した後も、その後は順調極まり、あっさりと終わったのだから。

 けれど、ガーネットはキラリと目を光らせると、顔を上げた。

 その視線は側にいるザイン・タイムに向ける。

 彼は小さく頷いた。


 「この中にアノニムスの構成員がいます!」


 ガタン! 王様は驚きのあまり玉座から立ち上がった。

 側にいた大臣は「ぬう」と呻き、文官は恐れるように後ろに後ずさった。

 この情報、集めたのは街の探偵とザインだった。


 「そもそも今回の聖星祭、それは初めから仕組まれていました。アノニムスは単に好機を乗っ取ったのです」

 「好機を乗っ取った? いや、そもそもアノニムスは誰だ!」


 ガーネットはゆっくりと指を上げる。

 指差したのは……文官だ。


 「そこの若い文官さん? 貴方隣の大臣とも随分懇意なようね? 騎士団じゃなくて私を護衛にするよう進言したんですって?」


 ガーネットはあえて嫌らしく演技的に振る舞う。

 文官は大臣の顔を見ると、あからさまに狼狽えた。


 「なに? 本当か大臣よ!」

 「ま、誠です……」


 ピサンリ王国の経済状況は緩やかにだが、成長が落ちていた。

 街を管理する大臣にとって、経済成長が止まることは重大な危機であった。

 騎士団に聖女の護衛をさせるには、莫大なコストが掛かることもあり、大臣が冒険者を雇う方が安いと教えたのは、国王付きの文官だったのだ。

 大臣は国を立て直せるなら、なんでもする覚悟だった。

 それがまさにアノニムスの天使のような微笑みに絆されていたのだ。


 「全く大した計画よ、王様すら掌の上だったなんて」


 王様は信じられないという風に、わなわな震えると文官を見た。

 文官は万事休すと知ると、懐からナイフを取り出し王様に向けた。


 「バレたなら仕方あるまい! 全く愚鈍な王に、貴族共! 扱い易い奴らだったというのに!」

 「……あくまで抵抗するか」


 ガーネットはすかさず、腰に隠していたサバイバルナイフを投擲する。

 それはナイフを持つ文官の掌に突き刺さった。


 「ぐあーッ!」

 「今だ!」


 すかさずザインは立ち上がると、文官を地面に抑えつける。

 ガーネットは王様の無事を見て、ふうと息を吐いた。


 (アノニムスはまだ滅んでいない……どこで何を仕出かすか……今後も注意が必要ね)




          §




 マーロナポリス、言わずと知れた聖教会の総本山だ。

 聖星祭の巡礼を終えた聖女シフは凄まじい大歓迎を受けたが、彼女はそれを粛々と受け取り、大聖堂へと向かったという。

 あれから一週間、彼女の日々もまた元通りだった。


 そんな彼女が女神像の前で祈りを捧げていると、後ろから大司教のレーベ・カガチが近づいてきた。

 レーベは冷たい視線でシフを見下ろすと、厳かに話しかけた。


 「熱心だな」


 シフは顔を上げない、ここで顔を上げれば神への不敬だからだろうか?

 違う、怖かったのだ。今はレーベを直視できない。

 シフは震える声で返した。


 「わ、私も信徒ですから……」

 「……ふん」


 レーベは鼻で笑う。ゆっくりとシフの側に寄ると、シフはビクンと背筋を震わせた。

 この強面の老は、猜疑心が強く、悪く言えば生臭坊主と言っても不足はない。

 だが、そんな老人がシフに掛けた言葉は。


 「此度は良くやった。神の御加護がお前を護ってくれた」

 「レーベ様?」

 「ワシはお前が嫌いだ。人望も信仰心もワシより上のお前が憎い、なかなか度し難いものだ」


 そう言うとレーベはその場から立ち去っていった。

 聖女シフは知っていた、今回の聖星祭に聖女を指名したのはレーベだった。

 レーベは聖女が狙われているのを知っていたから利用したのだ。


 しかし……レーベにとって誤算があった。

 護衛のガーネットが思いの外優秀だったこと、それよりも問題なのは、聖女を狙っていたのがアノニムスということだ。

 レーベにとってそれは許されない、アノニムスを許す大司教などいないだろうが。


 かくして聖女は無事助かり、聖教会の名が汚されることも防がれた。

 シフはゆっくりと顔を上げると、ギュッと手を握った。

 零れ落ちる吐息、シフは聖女として、これからも権謀術数に晒されていくだろう。




          §




 ブリンセルに聖アルタイルを祀る大聖堂がある。

 だが教会を任された司教が実はアノニムスという不祥事は、多大な損害を被ったといえるだろう。

 そんな聖アルタイル聖堂は参拝客もなく静かであり、箒を掃く健気な少女が寂しく立っていた。


 「……失礼、ここが聖アルタイル聖堂で合っているかね?」

 「え? あっはい、そうです……けど?」


 少女の前に一人の神父が荷物を持って現れた。

 神父の肌は黒く、身長はかなり高い。

 身なりは神父らしく貧しく思えるが、その顔は生気に満ち溢れていた。


 「私はナイと言います、この聖堂の責任者として派遣されました」

 「はあ? え? もうですか?」


 少女は驚きのあまり、キョロキョロと顔を振った。

 ナイ神父は、にこやかに微笑むと少女を落ち着かせる。


 「聖アルタイル聖堂は重要な施設ですから当然です」

 「あ、そ、それではっ! 案内しますうううう!」


 少女は挙動不審に箒を放り出すと、聖堂内を走り出す。

 ナイ神父は、優しく微笑んでその背中を追った。

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