第75話 聖女は、涙を笑顔に変える
目が見えないというのはデメリットだろうか?
多分デメリットだけれど、では生まれつき盲目の方にとってそれはデメリットかしら?
恐らくそれはデメリットじゃない、勿論メリットとは言えないでしょうが、生まれつき見えない方に見えるメリットを語っても、絵を想像することさえ不可能だろう。
色を説明して、見たこともない色をどうやって生み出せるだろうか?
私は色を失った。目をぐちゃぐちゃに潰されて、あれ以来殆ど視力は機能していない。
そんな私でも、私はこれをちょっぴり不幸だとは思った。
昔は活発な女の子だった私は、擦り傷なんてよくできる困った子供だったのだ。
でもちょっぴりだ、神様が私を見捨てなかったから、私は絶対聴感を手に入れた。
あらゆる音から世界の像を真っ黒な世界に書き足していく。
私にとって、この音の世界は第二の自由な世界だった――。
「起きろ、聖女様よお?」
「……ッ!」
突然下卑たあの男の声が、耳元から聞こえた。
その息遣いは気持ち悪く、私を誘拐した張本人ヴォルテロだった。
私は周囲の音から状況を脳内に描写していく。
白黒の世界ではあるが、音の反響や空気の振動が正確に距離を補正し、ほぼ間違いのない景色を描写しきる。
「うう……ぐす、お母さん」
「ひっぐ、ひっぐ!」
「これは……!?」
周囲に蹲る人の姿が少なくとも十人以上。
皆馴染みがある、聖アルタイル聖堂で暮らす修道女達だった。
皆怯えており、何人かは息遣いもおかしく、怪我をしている様子だった。
恐らく抵抗して暴行されたのだろう、こんな風に考えてしまうのは恐ろしく嫌なことだった。
「ゲヒヒ、中々活きの良い女たちだったぜぇ?」
「あ、貴方は人の心はないのですか!」
「ギャハハ! 人の心だあ? そんなもの俺には必要ねえぜ!」
ヴォルテロは人間とはとても思えない程下衆な男だった。
私は顔を青ざめさせ、彼を拒否するように首を振った。
「ギャハハ! お前は聖女様なんだろう! なら他の女よりも上等なんだろう?」
「あ、あああ……」
「お前をただの女以下にしてやるぜ! ギャハハハ!」
私はただ恐怖に震え上がった。
本来なら気丈に修道女達を鼓舞しなければならない筈なのに、私自身が聖女のメッキを剥がされようとしていた。
私は逃げようと身をもたげる……しかし、私の両手両足は鎖で繋がっていた。
神への祈祷は? 駄目だ……
これでは魔法も使えない。
「いい加減にしろヴォルテロ、大切な邪神様への供物に手を付けるな」
「そ、その声は司教様、いいえ……暗黒司祭!」
少し離れた場所に祭壇があった。
恐らく昔は女神像が置かれていた祭壇であろうに、今や禍々しい気配を感じる。
暗黒司祭は祭壇で祈りを捧げる途中だったのか、不機嫌そうに目くじらを立てヴォルテロを注意する。
「ケッ、運が良かったな!」
ヴォルテロが離れる。
私はなんとか恐怖の中で息を整えると、周囲を探る。
立っているのは二十人程、全員がアノニムスの教団員?
む、無理だ……こんな絶望的な状況で、私は何に希望を縋ればいい?
「いと遍く大地を照らすかの者よ、どうか我らに加護を……」
「ギャハハ! こいつ魔法を? 無理だってのによ!」
「違うな……詠唱が異なる。単なる神頼みだ」
そう、魔法じゃない。
暗黒司祭には見抜かれたけれど、これが精一杯の言葉だった。
「聖女シフよ、貴様は邪神様への生贄となる、今宵月が昇る時、儀式を開始する」
「じゃ、邪神を……そんなことをして、なんになるの? 今更この世界に混沌を振りまくなんて」
「ギャハハハ! テメェはみっともなく泣き叫べば良いのによお!」
私は唇を噛んだ、恐怖が徐々に正気を失う。
邪神への生贄、アノニムスは本気で邪神の降臨を望んでいる。
そんなものになりたい訳がない。
「――けて、助けて……!」
「ふん! 間に合うものか! 貴様の護衛はここには辿り着かない!」
「それはどうかしら?」
聞き馴染んだ声、私は顔を上げた。
誰もが声の方を振り返った、祭壇の奥、光指すステンドグラスの奥にその女性は立っていた。
ガシャン! ガシャン! ガシャン!
上階の採光用の窓ガラスが次々と破砕していった。
困惑していたのは暗黒司祭だ。
「て、敵襲だ! 貴様らなんとしてもここを死守せよ!」
「眠れ、
男性の声? それは別の場所からだった。
微睡みを誘う魔法はアノニムスの教団員を眠りに誘っていく。
「ギャハハ! こいよ! テメェの可愛い顔をナマスみてえに切り刻んでやるぜ!」
ヴォルテロは
「あなたの相手は私、です!」
聞いたことのない音! 今度は廃教会の入口から知らない剣士の女性が飛び込んできた。
ヴォルテロは剣を振り抜くと、打ち合う!
キイン!
「ッ! 貴方……硬い?」
「ゲヘヘ、テメェも楽しませてくれそうだなあ?」
ヴォルテロと女剣士が対峙する、ヴォルテロはどうやら相手を女剣士一人に見定めたようだ。
「ぐあ!」
「だ、誰かやつを……うわ!」
あちこちで悲鳴が上がる、その原因は頭上を陣取り、正確な狙撃で、一人一人狙い撃っていくあの女性だ。
「ガーネットさん!」
「もうちょい待っててね! シフ様!」
ガーネットさんは
遮蔽物を利用して、敵の攻撃を防ぎ、高所の有利を存分に活かして、一方的に相手を嬲り倒す。
以前ガーネットさんがスナイパーの役割をそう論じていた。
今まさに彼女は活きた魚のように次々と矢を命中させていく。
しかもそのどれもが、相手の急所狙いではなく、肩や足に当てていた。
「くっ! このままでは……おい、お前!」
「はっ、なんでありましょうか」
暗黒司祭が形勢の不利を感じて手近にいた黒装束の男を呼んだ。
「救援を呼べ! 救援――がっ!?」
何が起きた、私は反響音から、その状況を映像化した。
なんと突然暗黒司祭の頭部を黒装束の部下はいつの間にか持っていた槍の柄で殴打したのだ。
完璧に
「むう、他人に化けるのは気持ちの良いものではありません」
それは少女の声だった。
突然黒装束の男から、得体の知れない少女に変身した。
「ナイスルビー! そのままルビーは人質の確保!」
「畏まりましたガーネット様」
ルビーと言う少女は槍を構えると、私の側に駆け寄ってきた。
背の小さな少女だ、いやそれよりもこの少女は音が違う?
「あなたもしかして魔族?」
「ショゴスです、この程度の鎖なら外せそうですね」
ショゴス? 文献でも聞いたことのない種族だ。
魔族に近い音がする少女は、なんと驚くべきことに腕を鉄の斧に変質させ、鎖に叩きつけた。
「あ、貴方凄い身体をしているのね?」
「恐縮です、それよりも頭上お気をつけを」
「えっ、わあっ!」
ブオン!
剣が飛んできた、私は頭を慌てて下げると、飛んできた方を注目した。
先程の女剣士がヴォルテロの剣を叩き折ったのだ。
飛んできた剣には柄がなく、刀身だけだった。
「いいぞ、いいぞ! 楽しませてくれ! もっとだ!」
「……貴方、人間ですか?」
「ギャハハ! 今はどうでもいいだろうが!」
得物を無くしたヴォルテロは怯むどころか、ますます血気盛んに女剣士に襲い掛かる。
無手だ、手刀が女剣士を襲うが、女剣士は柳の葉を揺らすように、その姿を捉えさせなかった。
「ハア!」
むしろカウンターが決まった。
女剣士はヴォルテロの腕に斬りつける。
両断――出来ない!?
「グヘヘ! 捉えたあ!」
ヴォルテロは逞しい右腕で女剣士の剣を受け止めると、そのまま左手で掴み掛かった。
しかし女剣士は冷徹に、ただ呼気を強めると。
「イヤーッ!!」
女剣士は構わず踏み込むと、刃はヴォルテロに食い込み、そして……切り落とした!
ヴォルテロの右腕が地に落ちる! しかしヴォルテロの腕からは血が流れていなかった。
女剣士は直ぐに距離を離す。
ヴォルテロ、あなたは何者なの?
「これは……尋常ならざる?」
「グヘヘ、どうした、この程度痛くも痒くもねえぞ?」
ヴォルテロは余裕の様子だった。
正体が分からない相手は恐ろしい、特に目の見えない私には。
けれど女剣士さんは剣を鞘に戻した。
「おい、どういうつもりだ!」
「後ろががら空きですよ」
その瞬間、ヴォルテロの背中に矢が突き刺さった。
言うまでもない、ガーネットさんが放った一撃だった。
矢は着弾と同時に激しく燃え上がる。
炎の魔石を触媒にした、魔法矢だった。
「が、あああああ!」
初めてヴォルテロが苦痛の悲鳴を上げた。
全身を松明のように燃え上がらせるヴォルテロ、無惨な最期だったが、あの男の末路に相応しいのだろう。
せめてその魂は神の下へと辿れるように祈るべきか。
「ぎ、ヒ……ギャハハ! 俺は不死身だ! 俺は死なねえ!」
「ゴーレムの一種でしょうか? まあ構いませんが」
チャキ、女剣士の手が柄に触れる。
ヴォルテロは全身を炎上させ、表面を崩れさせると、金属の顔が覗いていた。
人間じゃない、金属のゴーレム?
「はああ……チェストーッ!!」
女剣士は剣を両手で持ち、大きく振り上げた。
そのまま彼女は恐ろしい踏み込みで、剣を振り下ろした。
見えない斬撃、真空波が周囲に吹き荒れた。
風が吹くと、ヴォルテロの姿は。
「あ、が、俺は、ふじ――」
「この世に真の意味で不死は存在しませんよ」
ヴォルテロの身体は正中線に真っ二つになると、崩れ落ちた。
もう動かない、炎上したその身体は炭と化すまで止まないでしょう。
「全て沈黙! ルビー!」
「こちらも終わりました!」
気がつくとアノニムスは全滅していた。
ルビーという少女は、私を縛っていた鎖を叩き砕くと、私は自由の身だった。
「そうだ、皆さんは!」
私は立ち上がると直ぐに捕まっていた修道女達に意識を向けた。
修道女達は互いに身体を抱き合い、無事を喜んでいる。
ストン、軽い足音が私の側に降り立った。
ガーネットさんだ、彼女は健気に微笑んだ。
「約束通り、助けに来たわよ?」
「……ッ! ガーネットさん! 待ってました! 信じてました!」
私はその言葉を聞くと、遂に涙腺が崩壊してガーネットさんに抱きついた。
ガーネットさんは私を優しく抱きしめてくれた。
「私、不安でした……怖かった」
「ごめんなさい、怖い思いさせてしまって」
「けど……ガーネットさんは約束を守ってくれました……」
「ふふ、私は
そう言って彼女は満面の笑みを浮かべた。
§
星が瞬く時間、ブリンセルでは国一番の賑やかなお祭りが始まっていた。
アノニムスの教会は今、通報を受けた騎士団に囲まれている。
アノニムスの構成員は騎士に縄で縛られ連行されていき、私達修道士はようやく保護を受けられた。
「聖女シフ様ですね? 国王陛下も御身を心配されておりました」
「そうですか……私はこの通り神の御加護を受けておりますから」
「流石聖女様だ!」
若い騎士達だろうか、随分手厚い保護だった。
出来ればそれはもっと心細かったろう若い修道士達に向けて欲しい。
けれど私の願いもどこまで聞いて貰えるかしら。
「はいはいはい、通して通して、シフ様の護衛です!」
「あ、ガーネットさん?」
ガーネットさんだ、突然騎士達を割って入ってくると、私の手を掴む。
「なんだ貴様は!」
「俺達を誰だと思っている! 栄光ある王国騎士だぞ!」
「そういうのどうでもいいから! シフ様、行きますよ!」
「えっ? どこに……きゃ!」
ガーネットさんは私の手を引っ張ると、私は転びそうになりながら追いかけた。
後ろから騎士達が追いかけてくるけれど?
「飛ぶわよ、シフ様!」
「あっ、はい!」
ガーネットさんは軽やかにジャンプすると、それは何十メートルも跳び上がった。
理解しているとはいえ、やっぱりドキッとしますね。
「ふう、シフ様、外遊びに行きたいって言ってたでしょ? これから遊びましょう?」
「その為に連れ出したんですか……?」
ゆっくり浮上した私達は、今度は逆にゆっくりと降下する。
ガーネットさんは「うん」と楽しげに頷くと、私達は賑やかな街の中の降り立った。
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