第70話 聖女は、過去を見つめ今を知る

 ブリンセルに逃げ込んで三日が過ぎた。

 聖アルタイルを祀る教会では聖星祭の用意が粛々と行われている。

 聖堂もこの日ばかりは、一般開放も余儀なくされており、今礼拝堂は信徒達で満員状態だった。

 年老いた司教様の説法をありがたく聞き入る信徒達、その内容は私には聞き慣れた言葉ばかりだった。


 私シフ・エキザカムは保護という名目の下、事実上軟禁状態であった。

 目は見えない、完全ではないが殆ど駄目だ。

 けれど代わりに私は耳が良い。人はこの能力を『神の声を聞く者』と大袈裟に言い伝えるが、なんてことない、ただ異常に耳が良いだけのこと。

 神様の存在は信じるし奉じますが、これが神様から与えられた才能なのかは疑問がある。

 神は施さない。あるがままを見定め、そして死にゆく時に、神は救うべき魂を救済するのだ。

 私はそれを信じるからこそ、自分をも戒める。


 今もこの耳はあらゆる音を拾い、私に色のない世界を象った。

 宛てがわれた個室に篭っていながら、司教様の説法を聞き取り、それどころか信徒達の息遣いさえ私には丸わかりだ。

 この能力のお陰でこれまで不便なんてなかった。

 本に指を這わせれば、インクが僅かに生み出す凹凸から文字を読み解き、風が吹けば、風は物体に当たることで向きを変え、それが私に何があるかを教えてくれる。

 近くならば、心音だって捉えられる。


 「クス、私こんな凄い力があるのに」


 私は誰もいない中でそう呟いた。

 そう、世界は音で溢れている。

 音とは音波であり、衝撃波だ。

 壁の向こうでさえ、壁の振動音からそこになにがあるのか私に伝えてくれる。

 こんな馬鹿げた能力は、きっと世界でも私だけが持っている能力でしょう。

 なのに……なのに何故こんな風に閉じこもっているのでしょうね……?


 私は泣きたくなってしまった。

 ずっと必死に自分に強がって、鼓舞している。

 けれども、私は本当はこんなに弱かったのだろうか。


 暗殺者に襲われた時、暗殺者は笛を用いて、音波を撹乱してきた。

 明確な私を対象とした暗殺術だった。

 それだけならまだしも、その対象がガーネットさんであることが本当に恐ろしかった。


 私の性でガーネットさんが傷つき、そして倒れる。

 私にとって自分が傷付く事ことよりも、ガーネットさんが傷付く方が遥かに怖かったんだ。


 今もそう、聖教会に保護されてはいるが、大司教達は私を快く思っているのだろうか?

 何人かは明確に厳しい目で見てくる。私はまだ功徳が足りないからだ、と精進してきた。

 けれど、それでも私を憎しむ程に嫌っているなら?


 私はゾッとした。大司教の誰かが暗殺者に依頼を出したかも知れないのだ。

 こんな悍ましい陰謀を思考するのは神への冒涜だとは理解している。

 疑うのではなく、まず信じる勇気を神は求めているから。


 でも駄目ね……私はもう疑っている。

 疑心暗鬼になってしまった私は何もかもが信じられず、恐ろしかった。

 今でさえ、本当にこの教会の司教様を信用してもいいか分からず、私は震える子羊のように振る舞うしかなかった。

 逃げ出したい……でもどこへ?


 逃げた所で、居場所なぞ教会以外にどこにあるだろう?

 それとも聖女の名を返上し、赦しを乞えば、私は救済されるのだろうか?

 ううん、きっとそれは私を信じてくれた信者達が許さない。

 私が聖女として発してきた言葉は、その全てに責任は付きまとうのだ。


 思えばなんて鬱陶うっとうしい生き方だろうと思う。

 信じるべき神がいたからこれまでやってこれたけど、その神を信じられなくなれば、私ってなにも残ってなかったのね。

 今の私にとって、聖女の名はとても重たかった。

 いっそ、魔王軍の魔物と戦っていた頃の方が、まだマシだったんじゃないか?


 ううん……そうじゃない。

 もっと過去……まだ私がバーレーヌで暮らしていたくらいの時―――。


 ―――助ける、約束する。


 それは私より年上の青年が言ってくれた言葉だった。

 街の小さな治療院の青年で、私にとって憧れのお兄さんだった。

 お兄さんは魔法の心得があって、私が野原を走って、転んだ時に足を怪我したところ、その場で適切な治療をしてくれたのが、出会いの切っ掛けだった。

 とても幸せな子供時代だった。両親は熱心な聖教会の信者で、私も自然とそういう教育が施されて、洗礼を待つ身だった。


 けれどそんな子供時代に、あの悪夢の日が訪れたのだ。

 突然バーレーヌ周辺に現れた魔物の集団。

 悪魔めいた翼を背中に持った魔物は、私に襲いかかってくると、まだ十歳の私は為す術もなく蹂躙されるのみだった。

 爪で両目を裂かれた時、私は世界から色を失った。

 あわや、どんな陵辱りょうじょくを受けたかも分からない相手だったが、私の悲鳴に駆けつけたのは、お兄さんだった。

 お兄さんは魔物を魔法で始末すると、直ぐに私を抱きかかえて何か叫んでいた。


 今ではもう覚えてさえいない。

 ただ、理不尽な目に合った私は震える声で言ったんだ。


 ――ねえ、お願い助けてよ、って。


 なんてことのない、子供のわがままな上にもう私は助けられていたのだ。

 お兄さんはそんな私に、きっと真剣な顔で言ってくれた。


 ――助ける、約束する。


 子供の戯言ざれごとによ? そう言ってお兄さんは治療院に私を運んでくれた。

 簡単な治療は受けたけれど、治療院を運営する治癒術士の人曰く、ぐちゃぐちゃに眼球が潰されて、これ以上悪化しないようにするのが限界とのことだった。


 その日から私はなにも見えなくなった。

 折しもその翌日、私はマーロナポリスへ奉公へ出発する日だった。

 私にとって悪夢の日は続くけど、そんな私をついに今まで救ってくれたのが、お兄さんのたった一つの言葉だった。


 「……たしかダルマギク」

 「呼んだ?」


 突然窓から聞き慣れた女性の声が聞こえた。

 え? あれ? ここ三階ですよ?

 私は振り返ると、確かに窓の外にエルフの女性が


 「ハロー、元気?」

 「アッハイ、元気……ですが、どうして教会に? あとここ三階ですけど?」


 間違いなくこの声はガーネットさんだ。

 ガーネットさんは「よっ」と声を出すと、窓を開けて、欄干に腰掛けた。


 「前に部屋は教えられたからね、私にとってはこっちの方が早いもの」


 そう言うと彼女は靴を叩いた。

 ああ、そうだ。彼女は空飛ぶ靴レビテーションブーツの持ち主だ。

 文献で見たことはあるけれど、古のハイエルフ族の秘宝と言われ、今では製法を完全に失ったロストテクノロジーと呼ばれる。

 そう滅多に使用者がいない一品としても有名だけど、その原因がエルフ族にしか取り扱えないという部分だろう。

 人族が使っても、魔力のコントロールが出来ず、それを手足のように扱えるのはエルフ族しか適正がない性で、元々エルフ族が少数なこともあって、空飛ぶ靴レビテーションブーツは発見されても使用出来る状況は限られた。


 資料でも、殆どは研究用に錬金術師や魔道士が買っている位で、それさえも膨大な金額が動くというけれど。


 「とりあえず様子を見にきたけど……あれからなにもない?」

 「なにもありませんね……けど、それが怖くもあります」


 私は首を横に振ると正直答えた。

 ガーネットさんは「そう」と頷くと。


 「とりあえず暗殺者のことが少しだけど解ったわよ、奴らは暗黒教団アノニムスだってさ」

 「アノニムス……名前は聞いてますが、本当に実在するのですか?」


 驚愕だった。アノニムスの名前は教会でも司教以上の人間なら大体聞き覚えがあるだろう。

 聖教会の天敵であり、邪神を奉じ、聖教会壊滅を目論む、と。


 こんな陰謀論みたいな話が本当に実在するのか……しかし、あのガーネットさんは真剣だ。

 私は息を呑む、もし本当ならなんと恐ろしい相手だろう。


 「奴らは必ず動くわ、シフ様は必ず私が護るから!」


 護る……なんて心強い言葉か。

 けれど残酷でもある、護る術とは即ち身を呈するということ。


 「ガーネットさん、貴方はどうして私の為に身を捧げられるの?」

 「え? 何言ってるのよ、そんなの当たり前じゃない」


 私はガーネットさんが私を護ることはメリットに合わないと思った。

 けれど彼女は微塵もそれを疑問には思っていない。

 ただ、朗らかに笑うと彼女は。


 「困ってる人を助けるのって当然でしょ? って兄さんの受け売りなんだけどね?」


 私はその言葉に、昔約束してくれたお兄さんの幻想を見た。

 助ける……そう、あの人も言ってくれた。

 とても心強く、その言葉があるから今日までやってこれた。


 「あの……貴方のお兄さんとは?」

 「ああ、この町で学校の教師やってるんだけどね? 普段はヘタレな癖に、泣きたい程辛い時は、自分を曲げてでも助ける困った兄さんでねー?」


 ガーネットさんは兄のことを聞かれると、非常に嬉しそうに語った。

 好きで好きで堪らないという感情が溢れ出ており、私は少しだけ戸惑った。


 「あ、あの……もしよろしければお名前を?」

 「え? 兄さんの? グラル・ダルマギクって言うのだけど」

 「……ッ! そう、ですか」


 私の過去に、ずっとダルマギクの名前がこびり付いていた。

 ダルマギク魔法治療院、そこの一人息子の名前は――。


 「ちょ、泣いてる? どうしたの?」


 私は自然と熱い涙が溢れていた。

 私は涙を拭うと、ゆっくり顔を上げた。


 「ありがとうガーネットさん、お兄さんの話をしてくれて」

 「え? まあ良いけど?」


 ガーネットさんは怪訝な顔で首を傾げる。

 私は妖艶に微笑んだ。

 嬉しかった、この上もなく。

 こんな奇妙な縁があるなんて、思いもしなかった。

 あのお兄さんの名前はグラル・ダルマギク。

 幼い私を助けてくれた張本人。

 今、あの時の約束を引き継ぐ義妹が目の前に現れた。


 今まさにあの時の精算が行われるのか。

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