第63話 義妹は、昼は避暑心がけ休む

 聖星祭巡礼の旅、各地にある全部で七つある聖教会に由縁のある教会に一年の祈りを捧げる宗教儀式は四つ目を終えて、後半に差し掛かっていた。

 夜間に行動し、日が昇れば眠りに就く。そんな昼夜逆転の生活の中、私達は野宿をしていた。


 「ふう……暑い」


 深い森でテントを張り、なるべく暑さ対策はするが、それでも暑いものは暑い。

 なんで聖アンタレスはこんな真夏の季節に巡礼をやっちゃうのか。

 て……そりゃ星の導きって言われりゃ、聖教徒は頷くしかないわよね。


 「……眠って体力は温存するべきです。ガーネットさん」

 「まぁそりゃそうよね……」


 私はそう言うとテントの中で寝転がった。

 シフ様は、相変わらず静かに黙祷する。

 なにかあれば黙祷する程熱心なら、聖女なんて言われずとも、ゆくゆくは教皇になれそうよね。


 「ねえ質問なんだけど、シフ様は教皇を目指しているのですか?」

 「教皇ですか……私は烏滸がましいと思っています。聖なる神を奉ずる者に上も下もあってはならないのです……そう、あっては」


 シフ様の手は僅かに震えていた。

 教皇への夢、むしろシフ様はそれを畏れている?

 私は心配になり、ゆっくり起き上がるとシフ様の肩に手を置いた。


 ビクン。シフ様は体を震わせると、ゆっくり振り向いた。


 「教会になにかあるんですか?」

 「……教会は、信仰を試される場所である筈ですのに、今司教様達は次期教皇選に腐心しています」


 私は目を細め、シフ様が抱える悲痛な声に耳を傾けた。


 「もしも……もしかすれば大司教の中には、教皇になる為ならば形振り構わない人もいるかも知れません……全ての信徒の頂点に立つ教皇の魅力はそれ程に甘い毒なのかも知れません……」

 「シフ様、つまりシフ様は大司教にとって目障りに?」


 シフ様は首を横に振った。

 私は教会の内情を考える。シフ様は何か心当たりがあるんだろうか。

 少なくとも、心からお優しく熱心な聖教徒のシフ様に野心はない。

 だけど、教会の権威は今や信仰よりも、現世利益だ。

 シフ様はそんな現実に嘆く、しかしそんな教会に対して何も出来ないのか。


 「八人いる大司教アークビショップ、しかし私には心の闇は分かりません……そして彼らも私のことをよく知っています」

 「神の声……の正体ですか?」


 小さく頷く、シフ様の声は震えていた。

 私はシフ様の手を掴み、私の手と重ねた。

 少しでも安心させたい。ガラじゃないけど、シフ様を守るのは私の役目だから。


 「ガーネットさん、ごめんなさい……。もしかしたら私の性で巻き込まれたかも知れない……」


 巻き込まれた……やはりそれは陰謀か。

 私も薄々気づいている。前にガルムの大集団の時、もしやとは思えた。

 そしてそれはシフ様も同様なのね。


 私は「ううん」とはっきり首を横に振ると、ニッコリ笑顔で言った。


 「例えどんな難敵であっても、私の役目はシフ様を護衛すること、ご安心下さい」

 「けれど! その為に……ガーネットさんまで」

 「私は……竜殺しドラグスレイブ嬢ですよ? 私を始末したいなら竜以上の存在を寄越すのね」


 私は敢えてあの二つ名を自負に使用した。

 すると、シフ様は、綺麗なお口をポカンと開いて固まった。

 そして直ぐに彼女は口角を上げ、閉じた瞳からそっと一筋の涙を垂らした。


 「……ふふ、ガーネットさんったら、お強いんですね」

 「当然、私は自分が一番可愛くて最強って信じてるんですからっ!」


 シフ様は涙を拭うと、安堵したように微笑んだ。

 私は敢えて自信過剰気味な物言いをした。

 本心の私はそこまで自惚れてはいないけれど、生来勝気な性格だとは自覚している。

 負けず嫌いなのは本当だ。だけど出来ないことを出来る気でいる程蛮勇ではない。


 竜殺しドラグスレイブ嬢、ギルドマスターのザインが付けた二つ名は、個人としては気にいらないが

、だけど不安に怯えた相手にとって、竜殺しの英雄程安心出来る相手はいないだろう。

 ワガママ放題で我を通せるなら、そうするかも知れないけれど、生憎世界はそんなに都合よく出来てはいない。

 だからこそ私は竜殺しも自慢しないし、あれは幸運だったと考える。

 今日良い日だったとしても、明日その保証はない。

 兄さんの言を借りれば、「良い日があれば、悪い日もある。だからどちらもいらないから、欲しいのは平坦な毎日」ってね?


 毎日変わらない平坦じゃ、刺激が足りなくって退屈でしょって、兄さんに反論したこともあるんだけど、兄さんは頑なに幸運も不幸も望まなかった。

 今なら少しだけ分かるかも、どうか何事もなく仕事が終わって欲しいわ。


 「あの、竜殺しとは、どんな気分だったのでしょう?」


 ふと、シフ様が今度は私のことを聞いてきた。

 私は何度も色んな人に聞かれたその言葉に、やっぱり同じように答えた。


 「なんの実感もないわ。ただもう二度とあんな疲れる仕事はだってだけ」


 淡々とそう言うと、シフ様は「フッ」と吹き出した。

 私は「なによぉ」とムスッと頬を膨らませる。


 「私の大好きな物語には、数多くの竜殺しに纏わる英雄の物語が描かれていたわ……けれど、ガーネットさん程の英雄は見たことがない。だってドラゴンを狩った者は皆歓喜するものよ? なのに貴方はで済ますなんて」


 どうやら、あんまりにも感慨のない淡白な返事が、竜殺しの英雄達と比べて逆に面白かったらしい。

 私は少し恥ずかしくなった。だって無我夢中だったのよ?


 「竜殺しなんて、何を殺しても気分は同じですよ。それが冒険者の仕事なんですから」

 「畜生と人の命に差はない……素晴らしい考えです。ガーネットさんはやはり潜在的に聖者の思考に似ています」

 「聖者? 私が?」

 「聖ペテルギウスは、命の価値に家畜も人も無いと説きました。聖ペテルギウスの教えは、今も聖教会が掲げる万人の平等へと繋がりました」


 私はそう言えばと、少し過去のことを思い出した。

 詳しい話は知らないけど、まだピサンリが人族至上主義を掲げていた頃、とある人権運動家が人族優先法は違憲であると主張した。

 それに組織として賛成を表明したのが聖教会だった。

 確か多くの異民族を信者として受け入れる時に、さっきのシフ様の言っていた言葉が使われていたっけ。


 「今でも聖教会では異民族受け入れの根底として聖ペテルギウスの教えを大切にしていますが、本来の教えは虫でもドラゴンでも同じ一つの命というものでした」

 「つまり?」

 「虫を殺したけど大したことはないなら、ドラゴンの死も虫の死も同じということです」


 ううん、流石に極端過ぎてなんとも言えないわね。

 まあ私は死体になれば、皆平等っていうのは理解できるけど。


 「そもそも虫の寿命は短い、ドラゴンの寿命は長い、生命は違って当たり前、比べることが不条理なんです」

 「けど、声が強い者が勝つのが、人の定めでは?」

 「かもしれません。だからこそ教えを護る必要があるのでしょう」


 世界の歴史は差別の歴史である。

 混沌と闘争を司る魔族と、秩序と正義を掲げる人族が長期に渡り、大陸の覇権を争いあったように、その時の法とは、勝者のためのものだった。

 今でもこの世界には数多くの種族が、それぞれの考えを持って生きている。

 古のエルフはカビ臭い懐古主義を掲げ、獣人が肉を欲して、危険な冒険に身を投じるように。


 唯一共通の考えとして、異種族を纏めるのが教会の教えなのね。

 今や教皇は大陸で最も権威がある。それは時に一国の考えすら曲げさせる程に。

 本来は弱者の寄る辺だった筈の聖教会が今じゃ、権力闘争の舞台になるなんて、ね。


 「ふわあ、眠い」

 「先にお眠り下さい。見張りはお任せを」

 「それじゃ二時間程経ったら起こして」


 私はそう言うと、横になる。

 そっと目を閉じる時、シフ様は再び両手を合わせ、祈りを捧げる。

 そのまま眠ろう……とした時―――。


 ヒュー……、ヒュー……、ヒュー……。


 突如全方位から響く風切り音。

 私は直ぐに弓を掴むと立ち上がった。

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