第61話 義妹は、陰謀論に警戒しつつ聖女は案じてくれる
一つ目の巡礼を終え、巡るべき教会は残り六箇所。
夜を迎えると、私達は再び旅立った。
今はなだらかな街道沿い、流石に夜間で人に出会うことはなかったが、比較的安全な道のりだ。
「残念です……」
護衛に気を配りながら、巡礼するシフ様だが、不意に落胆するような仕草をする。
何事かとシフ様の様子を伺うと、どうやら先日の町のお祭りで手に入れたグッズを持ち運べないことに落胆しているらしい。
「旅の荷物はなるべく最小限に、余計な物は持ち込めませんって」
「でも折角でしたのに……お面に風船ヨーヨー」
シフ様、若い頃に世俗を離れた性で、庶民の楽しみであるお祭りを楽しんだ事ことがなかった。
その為に年甲斐もなくはしゃいでしまい、微笑ましいが現実に戻ってみれば、この有様だ。
「現地の教会に預かって貰ったんでしょう? 巡礼の後に郵送してもらいましょう?」
「……はい」
こんな風にしばらくの間は、シフ様はテンションを下げている。
私は性がない人だと思いつつ、少しだけ助言を加えた。
「他の町では、色んな趣きのお祭りがあるんですよ。ブリンセルのとか、特に凄いんです」
「まあ、そんなに?」
食いついた。私は安堵すると、話題を続ける。
「ええ、もうズラっと並ぶ街の灯り、賑やかな声、それはもう騒がしくて!」
「フフ、何度か公務でブリンセルには訪れているけれど、どれ程になるのかしら?」
そうか、シフ様程ならブリンセルには来たこともあるか。
というか、そりゃ司教ともなれば、仕事は多いわよね。
けれどある意味自由を楽しめるのは、この聖星祭の時だけだ。
だからシフ様はこんなに楽しそうなのね。
「……足音?」
「えっ? 魔物ですか?」
突然シフ様は顔を険しくした。
私は夜目を効かせ、周囲を警戒する。
「四足、このストローク、恐らくガルム系!」
私はすかさず弓を構えた。
やや、小高い丘の上に狼に似た姿の魔物の集団が見える。
「ウオオオオン!」
最も大きな個体のガルムが遠吠えを上げた。
すると、周囲から遠吠えが輪唱する。
不味い、囲まれている!
「シフ様、覚悟してください……強行突破しますよ!」
「は、はいっ。私に出来ることならなんなりと!」
「それならあのピカッと光る魔法、お願いします」
「
私は最大限己の神経を研ぎ澄ませながら、小さく頷く。
聖女様は錫杖を両手で握り、詠唱を始める。
「《いと聖なる星の神、遍く大地を果てまでお照らしください》……」
ガルムが周囲から一斉に襲いかかってくる。
私はまだだ、と己の恐怖を自制心で抑え、無駄な行動は行わない。
目前まで迫るガルム、その牙が大きく開かれた。
「
直後、シフ様の錫杖から眩い光が大地を真昼のように照らした。
閃光に晒されたガルム達は、目をやられ、パニックを起こし、のたうち回る。
私は直ぐにシフ様の手を掴むと、
「きゃ!」
「多数に無勢、冒険者は魔物とありゃなんでも斬るサイコパスじゃないのさっ!」
私はそう高々に宣言すると、そのままシフ様を抱えて、その場から逃走した。
ガルム達は標的を失い、群れが統率を取り戻すまでまだ時間が掛かる筈だ。
私は高い視力でガルム達の動きを確認しながら、高地に降り立つ。
シフ様を優しく下ろすと、彼女は顎に手を当てていた。
「シフ様、どこかお怪我を?」
「いいえ、違います。考えているのです……ガルムの集団分布、ガルムはピサンリ平原に数多く生息していますが、あれほどの群れは聞いたことがありません」
そう言えば、バーレーヌからブリンセルに向かう時にも三十匹程のガルムを相手にしたけど、あの時の群れでももうちょっと散発的というか、あんな大規模じゃなかったわね。
「確か私の記憶では、ガルムは大陸北部の雪山地帯か、南東部の大森林に大集団の群れを築く筈……ピサンリでは多くても精々五十匹の群れが限界な筈」
ふむ、さっきのはどう考えても百匹はくだらない。
いくらなんでも私でも数の暴力は捌ききれるもんじゃないわ。
逃げるが勝ちだけど、不自然かしら。
「シフ様はどう考えて?」
「私は……群れが何らかの理由で大移動? ううん、ありえない……それならあの殺気立ちは……」
シフ様は首を横に振った。
色々考察しているようだけれど、どれも知識が否定している、という所か。
「人為的に持ち込まれた? としか……でも魔物を?」
シフ様の結論はそれだった。
魔物を人為的に持ち込む、でもなんの為に?
いやそれよりも、あの数の魔物を捕獲するなんて、一体どうやって?
私はその時、ギルドマスターのザインとの話を思い出した。
私は嵌められたかも知れないって……。
ピサンリ王国の大臣の誰かに造反の疑いがある。
タクラサウム国王の政権を快く思わない者が、その失脚を狙っている可能性。
にわかには信じがたい、けれどもう一つ思惑が絡めば、果たして答えはどこに辿り着くのだろう。
聖教会に聖女シフの死を望む者がいれば?
これこそ信じがたいが、シフ様は司教でありながら、次期教皇に推薦される方だ。
もし教皇へと野心を持つ大司教がいれば、シフ様に先を越されるのは心地良いものであろうか?
もしも、もしもだ――もし現在の政治体制を批判する者と、シフ様の死を望む者の意見が合致すればどうなる?
その答えこそが、私達の死だ。
不幸にも旅の途中で魔物に襲われ、二人共食い殺されたならば、野心持つ大司教はライバルの一人が消える。そして政変を望む者は、タクラサウム陛下の依頼書を高々と掲げ、聖女シフを死に追いやった責任を王様になすりつけ、退陣を要求するだろう。
「陰謀論ね……」
私はそう呟くと首を振る。
最悪の事態は常に危惧するけれど、今は陰謀論は飲み込んでおく。
「ガーネットさん、これからどうしましょう?」
「次の町を目指す。私達の目的は巡礼でしょう? 魔物の討伐依頼は次の町で出せばいい」
私はそう言うとシフ様の手を引っ張った。
ガルムの集団が、追撃を掛けてこない内に、距離を離す。
昼になれば、遅かれ早かれ誰かが、討伐依頼を出すでしょう。
あんな大軍団が街道を陣取ったら、おっかないなんてもんじゃないもの。
「冷静ですね、怖くはないのですか?」
「怖い? そうね……怖くはないわ、覚悟を決めてるからかしら?」
「私は……怖いです。震えが止まりません」
シフ様の身体は小さく震えていた。
私は無言でその手を握り、彼女の心を守る。
「恐怖心を持つことは人として正常、ですよ」
「そうでしょうか……?」
「そうです」
私はそう強く思う。
シフ様は顔を上げると歩を速めた。
私はその手を離すと、シフ様は隣を歩き出す。
「シフ様、私はシフ様の安全を守るよう命令されています。ですからシフ様は今はお気になさらず」
「ガーネットさん……はい」
私は再び警戒態勢で、後ろを振り返った。
魔物の気配は今はない……が、なるべく急ごう。
夜の間は、夜行性の魔物は活発化している。
総じて昼行性より夜行性の魔物の方が凶暴だ。
「ガーネット様、あの魔物は追撃してくるでしょうか?」
「ガルム種は、鼻がとても良いわ、あり得なくはないかと思いますが……あの群れを維持するなら、私達二人では食い扶持も足りないでしょう」
ガルム種は肉食で悪食な種族だと知られている。
大陸全土に生息するけれど、多少の亜種を含みながら、腐肉食なのだ。
驚くべきことに、共食いもすると知られ、また怖い物知らずな獰猛さが厄介な所だ。
けれど、その性で自分よりも強大な魔物にも怯むことなく襲いかかるし、その数は決して多くはない。
根絶やしにすることも不可能だけれど、決して手に負えない数にもならないから。
「何匹か追ってくるかもしれませんが、ガルムの追撃に拘らず、周囲に警戒を」
「はい、分かりました。ガーネットさんの冒険者としての知識、頼りにさせて貰います」
私は少しだけ微笑む、冒険者として日々様々な魔物の討伐に励んだ経験は、確実に私の戦略に影響を与えている。
シフ様の絶対聴感は凄まじいけれど、魔物の思考の予測なら私に分があるでしょう。
「……聖アンタレスよ、どうか」
ふと、黙々歩いているとシフ様が、星空を見上げ祈りを捧げた。
いえ、何気ないお願いという感じかしら。
星空はいつものように夏の星座が散りばめられた星の海だ。
赤き蠍火のような一等星は、アンタレスの象徴、私でもいい加減見分けがつくようになってきた。
「何を願ったのですか?」
「願ったなどと
「私の? 私は大丈夫ですよ」
「けれど絶対は存在しません」
シフ様は不安げだった。
私は頬を掻くと、少しだけ静かになる。
なんていうのかね……まさか護衛対象にこんなに慕われるのは……、気分は悪くないけれど。
でも……所詮私は冒険者だもの、シフ様とは違うわ。
私はシフ様は絶対に守ってみせる。
けれど、私はシフ様に入れ込もうとは思わない。
シフ様は少し入れ込んでいる気がした。
「シフ様……私達は仕事で出会っただけの関係です。ですから心配などしないでください」
「ですがガーネットさん、それは無情では? 人は、支え合うものでしょう?」
私は空を見上げる。
星図の動きから、今が何時なのか探り、朝日までの時間を考える。
シフ様の言葉が分からない訳じゃない。
でも……当分はドライな関係でいたいのよ。
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