第45話 悪魔少女蒼は、主様に懇願する

 「……ただいま帰りました」

 「ああ、お帰りー、……て、ちょっとアンタどうしたの、その格好!」


 皆さんの暮らすシェアハウスへ帰ってくると、リビングにはガーネット様がいた。

 ガーネット様は私に振り返ると、ギョッと血相を変えて駆け寄ってきた。

 私はどうしたのか、自分の格好を見る。あぁ、酷い汚れですね。


 「アンタ何があったの? 正直に言いなさい」

 「盛大に泥濘ぬかるみに転んでしまいました」


 真実であり、そして嘘だった。

 泥濘ぬかるみに転んだのは正解ですが、正確には転ばされたのです。

 思いっきり蹴られて。


 私はここまで気が気じゃなかった。

 ガーネット様を殺せ、コールン様を殺せ。

 へリオライト様の命令、それさえ達成すれば私は解放されるという。

 けれど……それでは、私の居場所はどこにあるのでしょうか?


 私は怖かった、あまりに恐ろしく身震いするほど。

 ぐちゃぐちゃのドロドロに綯い交ぜになった感情が、ドス黒く染まっていくかのようで、恐怖するしかありませんでした。


 「転んだ? アンタってドジ属性でも付いてんの?」

 「かもしれません……が、構いません、多少は自己修復できますので」

 「自己修復って……」


 事実、へリオライト様に足蹴にされた所は既に修復が終わりつつある。

 この身体は無駄に頑丈なのだと実感しました。


 「あの、ガーネット様だけ、なのでしょうか?」

 「ええ、いつもどおりならコールンさんが最後でしょ?」


 ガーネット様はまだ私の容態を怪しんでいる様子ですが、それよりも心配が勝っているのでしょうか?

 目くじらを立てる姿は見慣れたもの……そう、もうの、ね。


 「直ぐに着替えてシャワーでも浴びときなさい! みっともないわよ」

 「そうさせていただきます」


 ガーネット様は意外と世話焼きなお方です。

 主様よりもしっかりさんですが、根の性格は義兄妹といえど、やはり似ていますね。

 きっと同じ教えが根底にあるのでしょう。


 それに対して私は、やっぱり悪魔でしょう。

 今なら後ろからやれるのではないか、なんておぞましく吐き気のするような考えが脳裏を過るのですから。

 ガーネット様といえど、首を切り落せば死ぬ筈、それさえ実行すればへリオライト様、は――。


 「……ッ」

 「うん? どうしたのサファイア、まさかシャワーの使い方が分からないなんて言わないでしょうね?」

 「馬鹿にしないでください……なんでもありません」


 ガーネット様が振り返った時、私はその顔を直視出来ませんでした。

 ガーネット様を殺す? これだけ親しくなった者を殺せと?

 私は悪魔です。命令とあれば死も厭わない……の、ですけれど。


 「あの、ガーネット様は、私を殺せますか?」

 「はぁ? 馬鹿なこと言うんじゃないわよ! さっさとそのメイド服着替えろ!」


 ガーネット様はそう言うと私のメイド服を引ったくった。

 貴重な一張羅なので大切にしてほしいところですが。

 結局ガーネット様は答えをはぐらかした。

 出会った頃は何かすれば殺すと何度も言っていたお方ですのにね。


 「もっと早く……出逢えさえすれば」


 私はそう静かに呟くと、シャワーを浴びに浴室に向かうのだった。




          §




 「ただいま」


 少し遅く主様が帰ってきました。その後ろにはコールン様の姿もあります。

 二人はヘトヘトで今日もお仕事にお疲れなのでしょう。


 「お帰りなさいませ主様、お荷物お持ちします」


 私は晩御飯の準備をしながら、主様の下に向かい頭を垂れる。

 主様はクンクンと鼻を鳴らすと、晩御飯の臭いを嗅ぎ取り、手を振りました。


 「いや、それくらい俺がする。サファイアは晩御飯の用意を頼む」

 「畏まりました」

 「すっかり家政婦姿が板に付きましたねー」


 コールン様は今日もニコニコ笑顔です。

 とはいえ少し疲れも見える、やはり体育系の教師はそれだけ体力が必要なのでしょう。


 「直ぐにご用意致しますので、どうかテーブルにおかけになってお待ち下さい」

 「はーい、サファイアさんのご飯、今日はなんでしょうかねー」

 「今日はお魚料理を、甘辛く煮詰めた物になります」


 私は直ぐにキッチンに向かった。

 主様達は、既にテーブルに座っていましたガーネット様と挨拶しますと、自室に向かいました。

 さて、皆さんが揃う前にご用意を。


 フライパンで仄かに赤みを帯びた黒いソースが絡んだ大きなお魚。

 チヌというお魚で、ショウガも添えて煮付けの完成です。

 醤油と味醂という、この地域では珍しい調味料を使っていますが、主様には受け入れられますかね?


 「……もし、ここで」


 私はふと、ここで毒を盛ればどうなるだろうと考えた。

 結局私はガーネット様に奇襲をかける千載一遇の機会さえ不意にし、ずるずると夜を迎えてしまった。

 ガーネット様、コールン様のお二方の皿にだけ毒を盛ればへリオライト様は満足致すでしょう。

 ですが……出来ない。もう私には出来ない。


 どうして大好きなあのお二人に、そのような非常な行いができましょう?

 私は悪魔です。どの道この方々を騙して味方の振りをしているのだから。

 けれどだから私は欠陥品なのです。主様の命さえ満足に果たせない。


 「はあ、腹減った」

 「私もペコペコです」

 「ねぇサファイアまだー?」


 三人が席に着くのを確認する。

 私は直ぐに考えを振り払い、それぞれの食事を配膳していきます。


 「お待たせしました。今日の晩御飯はチヌの煮付けになります」

 「おぉ西方文化の料理か」


 少し物珍しい料理に、一同はおおっと感嘆の声を上げる。

 今回も渾身の出来かと思います。安心してお出し出来るでしょう。




          §




 チヌの煮付けは大好評でした。

 夕ご飯を楽しまれた後、各々は老けていく夜を過ごしていきます。

 ガーネット様は早々に部屋に戻り、明日の冒険の準備をするのでしょう。

 彼女の入念な装備品の点検は時間を掛け、しっかりと万全の状態にします。

 ああいう仕事に対するプロ意識こそが、ガーネット様を第三位赤の冒険者にしているのですね。

 コールン様は対象的にお酒を一杯だけ飲むと、そのまま酔い潰れてしまいました。

 相変わらず弱いのにお酒好きな方です。ですがこんな油断多きお方でも、その実力は魔王へリオライト様が簡単には手出し出来ない怪物なのですから、不思議です。

 今の大幅弱体化した魔王様なら、特に要注意なのでしょうね。


 そして、主様はというと、部屋に戻ってそのまま出てくる様子はありませんでした。

 私はそっと、主様の部屋をノックすると。


 「入っていいぞ」


 と、ぶっきらぼうな声が帰ってきます。

 私は静かに扉を開くと、主様は机に向かって何やら書類仕事の最中でした。


 「主様、お仕事中ですか?」

 「あぁ、もうすぐ夏休みだし、色々纏めないといけない仕事があってな」


 教師というのは、家に帰っても仕事なのですね。

 そう考えると家政婦よりもブラックな職業は教師なのかもしれませんね。

 コールン様も過労は殊の外深刻なのでしょうか?


 「あの、何かお飲み物でもご用意致しましょうか?」


 私は主様に愛おしく気遣った。

 主様は振り返らず、コクリと縦に頷く。


 「じゃあ、頼む」

 「畏まりました」


 私は頭を下げると、扉を閉める。

 直ぐに紅茶の用意を始めた。


 「結局……私は、なんなのでしょう?」


 いつものように茶葉を用意し、予め沸騰させたお湯で紅茶を抽出しながら、私は愚痴る。

 へリオライト様の願いを叶えなければならない。けれどグラル様を悲しませる私自身を許せない。

 ずるずると結局は問題を引き伸ばしただけだった。


 なんでこんな想いをしているのでしょう?

 こんなに辛いなら、初めからルビーに任せたかった。

 へリオライト様の下でただ冷酷なままなら、どれだけ楽でしたでしょう。


 でも……もし逆なら、その時はルビーが私と同じ想いをしたの?

 ルビーが主様を渡したくないと、私に歯向かうの?

 あれ……? じゃあ幸せな気持ちもルビーが全部持っていくの?


 「……ッ」


 私は直ぐに首を振った。

 なんて恐ろしくおぞましいのか。

 私とルビーがもし逆だったなら、その時私はルビーに全て持っていかれることを発狂するような気持ちでした。

 こんなおぞましいことを考えていたら魔族といえど正気じゃいられない。


 でも……じゃあ何も私が主様から貰えた幸福を貰えなかったルビーは?

 ルビーの気持ちは……どうなのでしょう?


 「……紅茶、お持ちしなければ」


 私は冷めては台無しになってしまう前に紅茶を注いだカップをソーサーに載せて、直ぐに主様の部屋に向かいました。

 ノックして入ると、返事を貰い、直ぐに紅茶を机に載せます。


 「いつもありがとうな、サファイア」

 「勿体なきお言葉、主様もあまりご無理はなされませんよう」

 「ああ、うん。分かってる。伊達に三十年も生きてないさ」


 そう言うと、主様は脱力した。

 年齢から得られる知恵は、適度な気の抜き方を知っているのでしょう。

 老人は知恵の泉とも言うのは、なんとなく分かります。

 それに比べれば魔族はなんと無駄に長生きなのか。


 「あの、主様?」

 「うん?」


 主様が紅茶に手を付ける。

 いつもの優しい顔だ。


 「私は悪魔です……今主様の寵愛を受けています」

 「………?」

 「私には双子のような関係の姉がいます。私と姉はもう一人の主様の命令でガーネット様とコールン様の命を狙っています」

 「なに?」


 私は唇を噛んだ、ただ掌を強く握り込み、主様に懇願する。


 「お願いします、私を殺してください。その代わり姉を許して……私はもうこれ以上、生きていたくない……ッ」

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