第43話 悪魔少女蒼は、ただ不安な夜に震えた、けれど温かさは毒になり得るのか

 夜が更けていった。日は沈み、静寂せいじゃくな夜を迎えました。

 窓の外は暗いけれど、街灯が照らし完全な闇は存在しないように思えます。

 けれど闇は存在する。身勝手な邪悪な笑みを浮かべた魔物は、今も喜々としてその牙を闇の中で研いでいるでしょう。


 「……ッ」


 サファイアは杖を持つと、立ち上がった。

 リビングで夜が更けるのを待っていた私は、主様達が寝静まるのを、ずっと待っていた。

 食事の後、コールン様は気持ちよく船を漕ぎ、主様がコールン様を部屋に運ぶと、主様も布団に潜っていきました。

 ガーネット様の部屋の様子も探りましたが、反応はなく眠ったのでしょう。


 私は両手で持つほど大きな杖をギュッと握り込む。

 今なら私はコールン様位なら仕留められるかも知れない。

 簡単にはいかないかも知れないけど、酔って眠ったあの方なら簡単な方であろう。

 問題はガーネット様、きっと警戒している。

 私の命で出来るのは精々一人ですか。


 これは重大な分岐点です。

 私には主様がいる。この街に辿り着いた時、私と姉ルビーの新しい主様となったお方。

 ガーネット様とコールン様に強い憎しみを抱いているお方でした。

 私個人にガーネット様方に恨みも憎しみもない。

 もとよりそのような感情が私にあるのかも疑問ですが。


 窓から空を見上げた、綺麗な三日月です。

 私は月を己に照らし合わせ、どうするべきか逡巡した。

 もう一人の主様、その名をグラル・ダルマギクといいます。


 取り立てて美形でもない、冴えないおじさんであり、世の中では不当な評価をされるそうです。

 私も確かに、最初はそう好感を持てる方でもありませんでした。

 もう一人の主様の命令で、グラル様に接近し、懐柔かいじゅうするように仰せ付けられました。

 私は忠実に命令に従い、グラル様から信用を勝ち取った。

 グラル様は私を信じてくれるって言ってくれました。


 けれど、それが私の心を揺らしてしまいました。

 グラル様は格好良い訳じゃない、情けない人でさえある。

 ですが、それでも主様です。主様は私に寵愛をくれました。

 私に温かさをくださいました。


 私の大切な主様になってしまいました……。


 「……物々しいな?」

 「―――ッ」


 私は咄嗟に声に振り返った。

 主様だ、主様は眠たげに瞼を擦っていました。

 私はなるべく平静を取り戻そうとした、けれどそれよりも主様が早かった。


 「出かけるのか? それとも何かする気か?」


 私は怖いと思えた。主様は気づいてらっしゃる?

 いえ、そんなはずはありません。主様は私を信用してくれています。

 けど、こんなのは初めてだった。私が主様の信頼を失うことが、こんなにも恐ろしいとは。


 「あ、の……私、は」

 「ああ、言えないなら別にいい」

 「……え?」


 主様は欠伸をすると、手を振った。

 主様の意図が分からない、主様は何が狙い?


 「サファイアは隠し事あるんだよな、まあ長く生きてりゃ色んな物を抱え込むだろうが」

 「あ、あの……主様? 一体なにを?」

 「すまん、歳を取るとつい話が長い」


 主様はそう言うと頭を掻いた。

 よっと、主様はソファーに腰掛けると、私をじっと見て言う。


 「サファイア、気を張り詰めているな?」

 「ッ、わかり、ますか?」

 「やっぱりか……時々子供みたいに震えてるから、気にはなってた」

 「………ッ」

 「おっさんはな、ことなかれ主義だ。可能な限り対立や面倒はごめんなんだ。けどこれだけは許せないってことがある、それはサファイアの力になれないことだ」

 「主様ッ、それは……」


 私は胸が高鳴る音を聞いた。恥ずかしくて主様から顔をそらす。

 どうしてこの方はそんなにもお優しいのだろう……いえむしろ甘いのか。


 「主様、今からサファイアはあり得ないことを言います」

 「あり得ないことを?」


 私は小さく頷く、少しだけ脅かすように。


 「私は本当は暗殺者で、本当は主様に接近して、ガーネット様とコールン様を暗殺するのが目的なんです」

 「………」

 「どうですか、あり得ないでしょう?」


 私は心の中では苦笑していた。主様は僅かに顔を険しくしていた。

 ああ、本当のことを言ってしまった、なのに私は予防線を張ってしまっている。

 いやしい女だ……私はこの期に及んでまだ主様の寵愛ちょうあいを受けたいんだ。


 「そうだな……ありえない。サファイアの行動には矛盾があり過ぎる」

 「……主様?」

 「サファイアは感情移入し過ぎる、狙っているのでないなら、こんな下手くそな暗殺者はいないだろう」


 私はあ然とした。主様は初めから疑いさえしていなかった。

 私は大きく思い違いしていたことに、唇を噛んだ。

 主様はずっと私を見ていて観察していて、そして質の悪い冗談と思われたのです。

 私はギュッと杖を握りしめ、抱き寄せた。

 震えが止まらない、主様が怖いから? 違う……そんな主様を利用している私が怖いのです。

 今は私の感情を主様に悟られないように努めましょう。その無機質さが、今の私には必要なもの。


 「やれやれ、サファイアにも冗談が言えたとはな?」

 「申し訳ございません」

 「いいさ、おっさんにはそのままのサファイアはちょっと眩しいからな」

 「眩しい? 私は光ってはおりませんが」

 「たとえだよ。変な所で真面目だな、おっさんもう寝るわ」

 「あっ、……はい」


 主様はソファーから立ち上がる。そういえばどうしてこんな夜に起きたのでしょう?

 主様、本当の主様はもしかすれば、私を試しているのでしょうか。

 だとすれば……今の私は主様にとってどんな扱い?


 主様が背を向けました、私は咄嗟に声を掛けてしまった。


 「あ、主様」

 「うん? どうした?」


 私は言葉に詰まった。そして何故引き留めたのか自分で分からなくなった。

 ただ怖かった、主様に側にいてほしい……ただそれだけだった。

 けど、それは叶わない。私は卑しい魔族風情だ。


 「そ、そのおやすみなさいませ」

 「ああ、おやすみ。サファイアもちゃんと休むんだぞ?」

 「はい……」


 私はそれが精一杯でした。

 頭を下げ、私はその場にへたり込んだ。

 主様はそのまま振り返ることなく部屋へと戻る――寸前で止まった。


 「サファイア」

 「主様? いかが、致しました?」


 主様が振り返った。

 私は今どんな顔をしているだろう。

 主様の一言が私を容易く天国にも地獄にも突き落とすって分かっている。

 主様は突然視線を天井に向けますと、ポリポリと顎を掻きました。


 その仕草は何か真剣に考えているのでしょうか?

 やがて主様は視線を私に向けておっしゃりました。


 「俺の部屋に来る、か?」


 私はあまりにも意外過ぎる言葉に目を丸くした。

 主様はあくまでも私のことを心配して……、私の為にずっと思い悩んで……ッ。寝首を刈られるという警戒さえないのですよ。

 どうして主様は魔族をそうも信用出来るのでしょう?

 主様は恥ずかしいのか、何度か視線を逸しました。

 私はそっと立ち上がる。


 「お願い、します」

 「ん……」


 私は泣き出しそうだった、けれど泣くことは出来ない。

 たとえ嬉し泣きでも許されないこの身体が少しだけ恨めしい。

 私は主様に抱きつくように駆け寄った。

 主様はそんな私を受け止める。

 ああ、やはり無理でした。


 私には主様を裏切れない。

 どうすれば……どうすれば良いのでしょうか?

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