第42話 おっさんは、ハンバーグを皆と精一杯楽しんだ

 「なにこれ、このハンバーグ美味しい!」

 「ハムハム! うーん! これはワインでいただきたいですねー!」

 「お褒めに預かり光栄です」


 サファイア渾身のハンバーグは、あのガーネットの肥えた舌さえ満足させていた。

 コールンさんも絶賛し、早速どんなお酒が合うか検証しているようだ。

 俺も一口頂くと、肉汁が溢れ非常に美味であり瞠目どうもくしてしまう。


 「本当に美味しいな、凄いぞサファイア」

 「主様、正に恐悦至極きょうえつしごく

 「それでそれで、サファイアさんはどうなんですか? ちゃんと食べるのは初めてなんですよね?」

 「味見などは勿論致してますが……あむ」


 一番楽しそうにサファイアの様子を見ていたのはコールンさんだった、また慈しむ様に目に掛けた。

 まるで妹でも出来たみたいに気に入ってしまったようだ。

 サファイアは鉄面皮のまま、一口ハンバーグを咀嚼するも、その顔は……なにも変わらない。

 まあ当然といえば当然だが、サファイア自身が作ったんだからな。


 「美味しい、です。けど」

 「けど? なんですか?」

 「賑やかなお食事は、楽しいですね」


 なんとなく、その時サファイアは微笑んでいる気がした。

 サファイアは感情表現が極端に乏しいが、だからって人形じゃないんだ。

 彼女を理解するにはまだまだ時間が足りない。けれど少しずつ彼女の僅かな機微が理解出来るようになっていった。

 思わず俺はそれを愛おしいと思ってしまっている。愛情かと聞かれれば、家族愛なんだろうが。

 サファイアがほんの僅かでも、喜怒哀楽を見せてくれれば、それだけで嬉しいなんてな。

 この感情は多分ガーネットに向けていたものと同じ類なんだろう。


 「ふうん、伊達に家政婦じゃないわね」

 「家政婦ハウスキーパーなど、勿体もったいなきお言葉」

 「でも本当に立派ですよ、サファイアさん!」


 俺はガーネットの顔を覗く。ガーネットはまだサファイアを疑っているのだろうか。

 単純に性格が気に入らないとかなら、いずれ雪解けを待てば済むだろうが、魔族だからって理由なら、おっさんは否定する。

 ガーネットとサファイア、どうすれば安心させられるだろうか。


 「主様が教えてくれたのが、この気持ちなんですね」

 「そんな大袈裟なもんじゃないさ」


 俺はそう言うと食事を進めた。

 照れ隠しだが、やっぱりサファイアにも食事を促して正解だった。

 いくら魔族は食べなくても平気って言ったって、一人ポツンと背後に立たれちゃ、なんだか居心地も悪い。

 王族じゃないんだから、皆で無礼講に楽しみたいじゃないか。


 サファイアは小さな口で、モグモグと食べている。

 上品な食べ方だ、ガーネットやコールンさんなんて子供みたいな食べ方なのにな。

 おっさんも、作法は成人してから習ったが、あまり気にする方でもないからな。


 「サファイア、食事の作法はいつ覚えたんだ?」

 「いつからでしょう? 過去の主様か、あるいいは全く別の人からでしょうか?」

 「習ったんじゃないの? 魔族って知力の高さは伊達じゃないわね」


 ガーネットは魔族の基礎スペックの高さに改めて感心していた。

 サファイアは見て学習ラーニングするタイプなのか、本人は至って控えめに見えるが、やはり魔族の高種族値ハイスペックは推して知るべしか。


 「モグモグ、サファイアさんの食べ方、確かに綺麗ですね……察するにある程度の作法を学んだのでは?」

 「まあ、魔王にも仕えたってんなら、そういう経験も出来るんじゃないか?」

 「兄さん、魔王がどんな生活していたか知っているの?」

 「いいや知らん。とはいえ魔王を名乗る輩なら、体裁は気にするんじゃないのか?」


 俺はそう言うとサファイアを見た。

 興味本位から言えば、是非魔王の私生活を知りたいものだな。


 「そうですね、魔王様の食事は貴賓を招いた時でした。人間と比べれば回数は然程でもないでしょう。魔王様は俗世の価値観とは異なる生き方をするものでした」

 「そりゃまあ、種族特性も異なるものね。人間に近いか神に近いかって比べたら、神のほうが近いなんて謂われる訳だし」

 「神様ですか……、思えば神様がどんな生活をしているのか想像も出来ませんねー?」


 魔族の生活か、確かに知らないことばかりだ。

 魔王が魔王らしく生きるには、その理由も必要になる。

 力だけが正義であり、人間を憎しむのが当然なのか……それは決してそうではない。

 少なくともサファイアを見て俺は確信した。


 彼女は人間を憎んでなどいない。

 感情を表すのが極端に苦手なだけの、普通の感性の少女だ。

 いや、本来は少女は正しくないだろう。年齢は正しければおっさんと同等か、それより年上かも知れない。

 だが彼女が少女にしか思えないのは、それが魔族という成熟するのが遅い種族だからだろうか?


 多分だが、いな、否定する。彼女は今急速に人間の感性を学んでいる。

 食事会を楽しいなんて、正に良い傾向だ。

 きっと、彼女は人間にとって当たり前のことを、学ぶ機会が殆どなかったのだろう。


 ずっと魔族の中で生きるならそれでも良かっただろう。けれど彼女は今、人の輪の中にいる。

 今の人間は魔族を迫害するだろう。おっさんだって最初は偏見を持っていた。

 でも今は違う。サファイアを見て魔族を計るのは浅はかだろうが、彼女だけは確信して言える。


 「サファイアは、今は人の子だな」

 「えっ? 主様?」


 ちょっとおっさんらしくなかったかな。

 サファイアはいつもの鉄面皮で振り返った。

 あからさまにいぶかしんだのはガーネットだ。


 「兄さん、感情移入してる?」

 「ないとは言い切れないな、だがサファイアは魔族だけど、魔族じゃない」

 「私が魔族であって、魔族ではないとは?」

 「サファイアは人の中で生きているんだ、そしてそれは俺達の知る魔族とは大きく異なった」


 サファイアを最初はサキュバスかと勘違いして、びびったのは本当だ。

 魔族はそれほど得体が知れないのだから、けれどサファイアは俺が知っている魔族とは何もかも違った。

 そんな彼女を嫌うなんて、おっさんにはあり得なかった。

 ほだされたか……なんて言われたらぐうの音も出ないな。それほどおっさんは彼女に入れ込んだのだろう。

 ガーネットはそこが気に入らないという風に眉をひそめる。

 対してコールンさんは、うんうんと頷きながら、既に完食していた。


 「サファイアが兄さんに危害を加えないのは百歩譲って信用してあげる。でも私はまだサファイアをそこまで信頼はしないわよ?」

 「もうツンツンしちゃって! こんなに良い子ですのに!」

 「貴方はむしろもっと警戒感持ちなさいよ、じゃないといつか寝首を掻かれるわよ?」


 二人の意見は今回も合わない。コールンさんは「まさかー」と半信半疑だ。

 申し訳なさそうにしているのはサファイアである。


 「サファイア、あんまり気にするな、行動で示していけばいい」

 「はい……主様」

 「サファイア?」


 気のせいかな? サファイアは一層暗い顔をした気がした。

 ちょっとおっさんは勘が鈍いから、間違っているかも知れないが、その時の顔は、裏路地に入っていったあの時の顔と同じに思えた。


 思えば……あの時サファイアは誰かを追って行ったように見えた。

 だけどサファイアが今にも死にそうな雰囲気で出てきた時は驚いてしまった。

 俺はサファイアをどうにかしないといけない。そう思えたから、彼女を安心させる為に手を尽くした。


 ……ことなかれ主義、それがおっさんだ。

 日和見野郎と言いたければ言え、臆病なのもおっさんなのだ。

 長い物には巻かれて、偉い人には逆らわない、それがおっさんの生き方だ。

 だけど……これだけは嫌だなと思う。


 サファイアを見て見ぬ振りをしたくはない、と。


 「ご馳走さまー」

 「あっ、お片付けををしますのでコールン様は」

 「いいのいいの! サファイアさんは食べて食べて! 生活はシェアなんだから!」

 「そう言うなら、もうちょっと私生活はしっかりして欲しいわねー?」

 「ガーネットさんは一言多いです!」

 「まあ真面目な話サファイアはまだ住民登録してないから、本来は不法住民なんだがな」

 「あ、う……それは困りました」


 コールンさんは食べ終えた食器を洗い台に持っていく。

 オロオロ困り顔のサファイアは、それでも目配せを行い、コールンさんに一言告げる。


 「食器はお水に浸してくださいませ」

 「オッケー、水に浸けるのね?」

 「コールンさんはガサツなのよね、まあサファイアが居れば少しはマシになるかしら?」

 「ガーネットさんが神経質なんです! グラルさんにばっかり甘々で!」

 「いや、おっさんはガーネットに怒られるのが怖いからなんだが」


 二人暮らしの時は、ガーネットは毎日文句を言う生活だった。

 おかげでおっさん今では結構神経質になった方だろう。

 ガーネットはおっさんを見るとニコリと笑った。そしてそれがどうしたと勝気にコールンさんを見下す。


 「兄さんは学んだのよ? あなたと違ってね? だから兄さんに甘くなるのは当然じゃない?」

 「なるほど、これがクーデレさんですね」

 「ちょ! クーデレってなによ! サファイア私のことそう思ってたの?」

 「ふふ、ご馳走さま。美味しかったよ、サファイア」


 俺はやりとりに思わず微笑んでしまう。

 ガーネットのことを馬鹿にするつもりはないが、思わず声に出てしまったな。

 ガーネットは顔を真っ赤にすると、机に突っ伏した。

 相当恥ずかしいのだろうな、おっさんはそんなガーネットを優しく見守り、食器を洗い台に運ぶ。

 コールンさんの食器に重ねるように水に浸けると、もう少しこのやりとりを見守ることにした。


 「楽しいですねグラルさん」

 「ああ、悪くない……本来は賑やかなのは苦手なんだが」

 「多分グラルさんは人見知りなんですよ、だから賑やかなのが苦手じゃない。陰キャなんだと思います」

 「コールンさんは陽キャだよな、生粋の」


 コールンさんは満面の笑みを浮かべ、陽キャであると肯定する。

 人懐っこく、人付き合いに躊躇いがない点は、確かにおっさんとは大きく違うわ。


 「さてさて、ちょっとお酒でも頂きましょう」


 コールンさんは喜々として、キッチンの棚の中をまさぐった。

 取り出したのはアルコール度数の高いジンだった。


 「また度数の高いお酒を」

 「でも安いんですもん。家飲みはなるべく安く済ませたいんですよ」


 アルコール度数の高い酒はガーネットが目くじらを立てるから、おっさんは滅多にたしなまない。

 見れば早速ガーネットは嫌な顔をしていた。

 鼻が良いから、アルコール臭が苦手らしい。

 ワインはフルーティだから良いけれど、とは彼女の言だ。

 ガーネットは直ぐに勢いよく夕食にがっつくと、そのまま食べ終える。


 「ご馳走さま! もう部屋に戻るから!」


 これ以上はボロが出る可能性もあるからか、ガーネットは食器を片付け、水をコップ一杯飲み干すと、部屋へと戻って行った。

 バタンと強めに閉じられた扉から、不機嫌さが推し量れるな。


 「私が最後になってしまいました」

 「気にする必要はありませんよ、自分のペースでいいんですから」

 「そうだぞ。他人に合わせて、それが無理矢理だったら、いつかそれは破綻する」


 俺たちはサファイアの周りに座った。

 コールンさんは、酒を勧めてくるが、おっさんはやんわり遠慮する。

 なんとなくサファイアの前では酔った姿は見せたくなかった。


 サファイアは無表情だ、一見しただけではその鉄面皮が何を表しているのかはまるで分からない。

 けれど、ゆっくり自分のペースで食べるサファイアは、どこか楽しげに思えた。

 それは多分におっさんの願望も含むだろう。それ程にサファイアに幸あれと思ってしまったのだ。


 神様、いつも平坦な人生を切に望むおっさんだが、サファイアだけはこれからもっと幸福を与えてくれ。

 見返りはおっさんが受けるから。

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