第40話 悪魔少女蒼は、主様とお買い物する

 主様の暮らすシェアハウスの中の清掃は終わりました。

 大分綺麗になったと、これは私でも自画自賛してしまいます、えっへん。

 時刻は夕刻、なにもなければそろそろ主様が帰ってくる頃でしょうか?


 ガーネット様はというと、部屋に閉じこもって休んでいるご様子。

 いえ、時折奇妙な音がするので、装備品の点検でしょうか。

 ガーネット様は冒険者だそうなので、仕事の生業なりわい道具の整備点検は欠かせないのでしょう。

 何か入り用がないかたずねましたけれど、ガーネット様は「必要はない、後部屋に勝手に入ったら承知しないから!」と怒鳴られてしまいました。

 やはり彼女にはまだ信用されていないのでしょう。

 簡単にはいかない物です、ぐっすん。


 「ただいまー」


 入口が開きました。あのお方の声が聞こえます。

 私は直ぐに駆け寄りました。

 草臥れた取り立てて格好良い訳でもない三十代の男性。

 私は頭を深々と下げ、そんな主様を出迎えました。


 「お帰りなさいませ、主様」

 「ん……ああ、ちょっと慣れないな」


 主様は片目を閉じますと、困ったように後頭を掻きました。

 私は少しだけ不満を持ちます、主様はまだ私を受け入れてくれないのでしょうか?

 ううん、首を小さく横に振る。焦るのは良くない。

 主様が仰っていました、ヤマなしタニなしの精神ですね。


 「お荷物お持ちします」

 「え、いや……まあ、いいか」


 主様はバッグを見て逡巡しゅんじゅんしますが、直ぐにバッグを差し出しました。

 私は丁寧に受け取りますと、主様に道を譲ります。

 主様は私の脇を通ってリビングに向かうと、その後ろを静かに同伴します。


 「あ、お帰り兄さん」


 リビングでは、既にガーネット様がソファーで寛いでいました。

 あれ、さっきまで部屋にいたはずですが?

 ガーネット様は嬉しそうに微笑むと、主様に手を振ります。


 「ただいま、ゆっくり休めたか?」

 「ええ、兄さん今日は早かったわね?」

 「仕事が少なかったからな」


 主様は大して興味もないように自室に向かいます。

 私もその後をついて行きました。


 「あ、そう言えば羽とか尻尾、隠したんだな」

 「はい、ガーネット様に薦められて」


 主様は私を頭から爪先まで見比べました。

 そして頷くと、小さく微笑みます。


 「うん、そうしていると可愛らしいお人形さんみたいだな」

 「可愛い?」

 「自覚ないのか?」


 フルフル、私は首を横に振った。

 魔族は変身が出来るなんて当たり前ですから、可愛いという表現は不適格でした。

 可愛いは魔族にとっては造れるのです、だから褒められたのでしょうけど複雑です。

 けれど主様が喜んでいただけるなら、この姿が私の本質でなくとも、それは形骸けいがいなのでしょうか。


 「可愛い……あの、主様は可愛い方が好きですか?」

 「ええ? あ……そうだな。まあ可愛い方が好きだが……」


 主様は目を見開いて顔を赤くしました。

 なにかおかしな質問だったのでしょうか、私は少しだけ不安になる。

 気がつくと、後ろから怨嗟の眼差しが突き刺さっていました。


 「サファイア、ちょっとこっち」

 「はい」


 私は鞄を主様のベッドに置くと、主様に頭を下げ、ガーネット様の下に駆け寄りました。


 「アンタ、兄さんに色気使うんじゃないわよ」

 「色気? なんのことでしょう? 主様の好みに合わせるのは奉仕人にとって当然でしょう」

 「それ完全に依存症の彼女の発想でしょうが……」


 何故かガーネット様が呆れ返ってしまいました。

 私は意味が分かりません、何が間違いなのでしょうか。

 主様の為に妥協するような駄メイドではないのですから。


 「あ、主様お聞きしたいことがあるのですが」

 「うん? 答えられることならなんでも答えるぞ」

 「では、晩御飯はいかが致しましょう?」


 そろそろ買い物に行きませんと、この街では買い物が出来なくなってしまいます。

 夜になれば商店はみな閉店してしまうのです。


 「あー、うん? でもサファイア、ここはシェアハウスだぞ、皆好きに食べるから買い物は――」

 「主様に食べていただきたいのです」

 「アッハイ、そうだな……それじゃ、一緒に買い物行くか?」

 「主様と? はい喜んで」


 私は無表情ですが、喜びをなんとか表現しました。

 後ろではガーネット様が「その手があったか」なんて呟いてましたが、なんのことでしょうか?

 主様は上着だけ着替えますと、直ぐに財布を持って部屋を出てきました。


 「どこで買い物するんだ」

 「南部通りに一通り揃っている商店街がありました」

 「じゃ、そこでいいか」

 「はい、ご一緒させていただきます」

 「ハハハ、俺がオマケだけどな」


 談笑しながら、出口に向かうと主様はガーネット様を振り返りました。


 「ガーネットはどうする?」

 「……留守番してる」


 ガーネット様はソファーに座ると、プイっと顔を背けました。

 癪だけど、次の手は次の手、という呟きを聞いてしまいましたが、私は特にどうとも思いません。


 「それでは行って参ります」




          §




 主様と一緒に南部通りにある商店街を目指しました。

 茜色に空が染まる頃、商店街は人で賑わっています。


 「歓楽街もかくやだな」

 「主様、お気をつけを。都会ではスリ等の犯罪者も多いとか」

 「むしろ気をつけるのはサファイアだと思うが?」

 「私は平気です。魔族ですから」


 主様はポリポリと頬を掻きますが、なんとか納得したようです。

 小さいとそれだけ不安なのでしょうか?

 大きくなる事は出来るけれど、今の姿が変身の最適化だから、あまり異様な変化は望ましくない。

 幸い怪しげな動きをしている人間は見当たりませんし、早速買い物して参りましょう。


 「主様、何か食べたい物はございますか?」

 「今日の店長のオススメメニューは?」

 「はい? 店長とはどなたでしょうか?」

 「ごめんなさい……ふざけました。反省します」


 何故か主様が落ち込んでしまいました。

 私また間違えたのでしょうか?

 私はオロオロと、主様を慰められず困惑してしまう。


 「それじゃハンバーグ」

 「ハンバーグですね、ではお肉屋さんに行きましょう」


 私はそう言うとお肉屋さん向かって歩き出します。

 だけど少し不注意を冒してしまいました。


 ドン。私の肩が大柄な男性の腕にぶつかってしまいました。

 大柄な男性は、ジロリと私を見下ろしてきます。


 「ああん? なんだこのガキは?」


 私は特に動じません。だけど動じてしまったのは主様の方でした。

 主様は咄嗟に私を庇うように抱き寄せ、背中に回すと、大柄な男性に対して平謝りしました。


 「す、すみません! ウチの子が不注意で!」

 「親御さんか……ち、ちゃんと手を繋いで、迷子にならねえようにな?」


 大柄な男性はそう言いますと、人混みを掻き分けてどこかへ行ってしまいました。

 主様はダラダラ汗を流すと、「はあああ」と深い溜息を吐きます。


 「見た目と違って優しい人で良かったあぁ」

 「あ、あのごめんなさい……私の性で」


 私は自分の失態に自信喪失でした。ショックでガビーンです。

 さっそく主様にご迷惑をかけるなど、奉仕人失格です。

 けれど、主様は私の頭に手を置くと、優しく頭を撫でてくださった。


 「気にするな、誰だって失敗するさ、失敗は成功の母だぞ?」

 「いいのですか? 失敗しても? 私捨てられませんか?」

 「見捨てない、おっさんもヘタレだし、色々不出来だけどな? サファイアを見捨てたりなんかするもんか」


 嬉しい? 私はその時胸が熱くなった気がしました。

 私はその感情の正確な答えが分かりません。

 かつて以前の主様に仕えていた時の喜びは今の喜びと何かが違っていた。

 主様は何者なのでしょう? 私はどうなったのですか?


 「手を繋ごう、その方が安全だ」

 「はい」


 主様の大きな手が私の手を掴みます。

 私はそっと、指を絡めました。そして主様に寄り添います。

 何故かは分かりません、欠陥品の私では情動を制御しきれないのでしょうか?

 もっと側に寄りたい、けれどこれ以上は主様の歩行を阻害する。

 私の中のジレンマはグルグルと、欲求と自制の間で逡巡しゅんじゅんしました。


 「肉屋だ、どれを買えばいいんだ?」

 「え、あ」

 「サファイア?」

 「我思う故に我あり、茫然自失ぼうぜんじしつの夢見の中、蝶が優雅にハネを広げるように、けれどそれが夢だと知らず……その気持ちでした」

 「回りくどい! ぼうっとしていましたで十分では!」


 気がつくとお肉屋さんの前でした。

 透明なショーガラスの奥で、色んな種類の肉が陳列しています。

 私はショーケースに近寄ると。


 「主様は沢山食べるのですか?」

 「いいや、少食だと思うぞ。コールンさんの方が食うな」


 私はそれを聞くと店主に注文をしました。


 「合挽き肉をいただけるでしょうか?」

 「はいよ、何gグラム必要だい?」


 私は主様は当然として、コールン様やガーネット様にも必要か考えます。

 皆活動時間が異なり、全員が揃うのでしょうか?


 「ガーネット様たちも必要でしょうか?」

 「用意するなら食べると思うぞ、ガーネットは無愛想だが付き合いは良い」

 「であるならば三人分……」

 「ってどれ位になる?」


 主様が肉屋の店主に尋ねた。

 四人分? 一人多いようですが?


 「四人だと五百gグラム位だな、ハンバーグとかなら、だが」

 「主様、四人分は多いです、三人分で十分です」

 「いいや、四人分だ。それで貰おう」


 肉屋さんはそれを聞きますと、合挽き肉を計量して袋に詰め込みました。

 主様は財布から料金を取り出すと、会計を済ませてしまいます。


 「あの主様……なぜ四人分なのですか?」

 「え? だっておっさん、ガーネット、コールン、サファイアで四人だろう?」


 私が含まれている、その言葉が驚きでした。

 それこそが主様が、それまでの主様とは異なる証でした。


 「私は魔族です、食べなくても平気です」

 「魔族は食事をしないのか?」

 「魔王様など一部は嗜好品として嗜みますが」

 「なら良いじゃないか、食事は一緒の方が楽しいぞ」


 そう言うと主様は微笑みました。

 また当たり前のように手を繋ぐと、店を出て行きます。

 私はまだ戸惑いました。


 だって―――だって、こんなに幸せなのよ?

 そんな事が許されてもいいの?


 「―――あ」


 私はその時心を凍てつかせました。

 人混みの奥で、監視するように私にそっくりな銀髪の少女が襤褸ボロを被って私を見つめていました。

 紅い瞳はまるで凍ったように冷たく、槍を脇に抱えています。


 「ルビー……」

 「えっ? なんだってサファイア?」


 私はそっと主様の手を離します。

 主様の暖かさは心地良く、それだけにまるで魅惑の毒のようでした。

 酔いしれてはならない……私は決して。


 「どうしたんだサファイア?」

 「主様、少しおいとまをいただきます」


 私は極めて無感情に頭を下げました。

 そして私そっくりな少女を追いかけます。

 少女はそれを確認すると、槍を携えて裏路地へと向かって行った。

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