第39話 悪魔少女蒼は、家政婦を演じる

 主様は心優しいお方だと思います。少なくとも私の知っている過去の主様の中では最もお優しいお方だ。

 二十年前、気がつけば私は数多くいる魔王様のメイドの一人だった。

 自分がいつからそこに居たのか、どうしてメイドなのか知りもしなかったが、そんなことは私にとってどうでも良かった。

 私にとって奉仕をすることが生きる意味であり、私自身きっと奉仕する為に生まれたのだろうと、本能が訴えていたから。


 戦争の中、私や私と同じように魔王様に仕える奉仕人達は、忙しく働きました。

 私は先輩達に奉仕の仕方を教授して貰えたのです。

 料理の下処理から片付けまで覚えまして、掃除の適切な仕方を覚えまして、主様に直接触れることは許されませんでしたが、あらゆる奉仕の仕方を学ぶ機会はありました。

 幸運だったのでしょう。きっとこの頃は一番楽しかったんだと思います。

 考える暇も無い程働けることは私にとって喜びでした。

 教養を学ぶ機会もありましたね。魔族は元々利口だから書物を読む機会も多かったように思います。


 けれど魔王様の下に勇者が現れました。

 魔王様は勇者に討たれ、共に働く多くの奉仕人達もその犠牲になったのです。

 私は運が良かったのでしょうか? いやきっと悪かったのでしょう。

 主様の為に死ねない等、メイドにあるまじき失態でありました。

 しかし何故私は後追い自殺をしなかったのか、これが未だに分かりません。


 ただ、あの時の気持ちは今でも覚えています。私は急いで次なる主様を求めていました。

 私が薄情なのか、それともそういうさがを持つ種族なのかは不明でしたが、私は生き残りと一緒に大陸を転々とすることになりました。


 それは辛い思い出です。最初は十人はいたと思います。ですが気がつけば一人、また一人といなくなっていました。

 そして気がつけば私の側には私と双子のようにそっくりだけど、瞳の紅いルビーという少女だけになっていました。

 私達は迫害されながら大陸を彷徨さまよい、ついにブリンセルへと辿り着きました。

 そして私は―――。


 「――あ」


 風が吹きました。ベランダで洗濯物を干していますと、シーツが風に煽られ飛んでいくのです。

 私は急いで手を伸ばしました。けれど手が届かない。

 羽を開き、急いで飛び上がります。今度は届きました。


 「良かった」


 私は間に合ったことに安堵します。

 急いでベランダに戻りますと、また洗濯物を物干し竿に干していきます。

 今度は風で飛ばされないように注意しなければ。


 「ガーネット様は」


 ガーネット様は今自室で眠っているようです。

 仕事が長引いて朝帰りになってましたから、もう少し寝ているのでしょう。

 冒険者という危険で不安定な職業、私にはちょっと理解できません。

 私は魔族なので生きる為にお金を稼ぐという感覚がありません。

 これといって食べる必要もなければ、眠る必要もないのです。

 少なくとも二十年はそうやって過ごしてきましたから。


 ベランダとリビングを遮る間口を閉めますと、私は掃除を開始しました。

 せっせと部屋を片付けていきますと、部屋は綺麗になりました。

 魔王城で覚えたお掃除テクニックが今活かされていたのです。


 正に美姫アフロディーテの髪を乳白色の貝殻のクシで、優しく艶やかにくかのようにですね。


 等と自分を自画自賛するのは傲慢でしょうか?

 え? 変なセンス? おかしいですね……これが私の普通ですのに。


 「ふあー、今何時?」


 あっ、ガーネット様が欠伸をしながら部屋を出てきました。

 ガーネット様は髪をボサボサにしており、衣服も乱れている。

 確かコールン様に散々厳しい物言いしていた方と思いますが、存外ガーネット様も寝起きはだらしないのですね。


 「今正午を過ぎた頃です」

 「……アンタ、まだ居たの?」

 「まだ、とは?」

 「本気で家政婦をする気なのね」


 家政婦ハウスキーパー、この私が、と思いましたが、悪い気はしません。

 今まで私は主様を求め、奉仕することが命であり、生き甲斐でした。

 あまり家政婦ハウスキーパーの地位に拘ったことはありませんがご光栄ですね。


 「身に余る光栄です」

 「いや、褒めたつもりは……まぁいいや。それよりもさ、兄さんのどこが良かったの?」

 「主様ですか? 奉仕しがいがあります」

 「いやいや! もっとこう……感情的な、さあ?」


 ガーネット様はニヤけると、そっぽを向いてモジモジ腰を揺らした。

 耳もピコピコ上下しており、何か期待とは違う答えを出してしまったのですね。


 「感情的? それはかの母神ティアマトよりも慈悲深く、ルルイエよりも深い愛は、かのキビツヒコノミコトを送り出す翁のように親愛を抱いております」

 「アンタ巫山戯ふざけてるの? 時々変な言い回しして」

 「おっしゃる意味が分かりません」


 主様、私は主様を何故選んだのでしょうか。

 勿論理由はあります。けれど私はそれをガーネット様には言いません。

 言わないのは、申し訳ないとは思うからです。


 「主様に罪はありません……あの方はお優しく少しだけ頼りないお方ですから」


 私は小さく呟きました。ガーネット様はピクピク耳を動かしています。

 多分聞かれたのでしょう、エルフは耳がとても良いそうなので。


 「ふん……アンタさ、せめて翼か尻尾、隠した方がいいわよ」

 「隠す? 何故です?」

 「そんな魔族です悪魔ですって格好じゃ、この街じゃ上手くやっていけないわよ?」


 私は羽や尻尾を動かしました。

 私の身体がデメリットになる?

 私はそっと念じ、呟く。


 「テケリ、リ」


 すると、翼と尻尾は身体に溶けて消えました。

 これでは咄嗟に飛ぶことが出来ませんが、止むに得ませんか。


 「やっぱり魔族ね、簡単に姿を変えられるんだから」

 「そういう種族特性なのでしょう?」


 私は少しだけ身体を動かします。バランサーの役割を持っていた尻尾がなくなると、ややバランスが悪くなりますね。

 何度か転びそうでしたが、慣れれば直ぐに順応出来そうです。


 「掃除の邪魔したわね、部屋戻るから」


 ガーネット様はそう言う戻って行きました。

 恐らく身だしなみは部屋で整えるのでしょう。

 私は特に気にせず、己のすべき事に集中しました。


 ……ガーネット様、私を明確に敵視している存在。

 そしてそれは間違ってもいません。

 私は魔族であり、魔族は迫害の対象。

 人間に恭順きょうじゅんした魔族も少ないが存在するようですが、しかし私はというと……どうなのでしょう?

 今更……いいえ、初めから人間と敵対する理由なんて特にありませんが。

 魔王様や私に優しくしてくれたお姉様達が犠牲になっていった時も、哀しかったけれど……私の中に怒りはありませんでした。


 私は、欠陥品なのでしょうか?

 今でも時々振り返ると、二十年の歳月が何をもたらしたのか、自信がなくなってしまいます。

 主様を求め、主様の為に奉仕する。それは間違いだとは思っていません。

 けれど二十年を無駄にしたかも知れないと言うのは恐怖であります。


 考えても仕方ないですね。掃除を続けましょう。

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