第38話 おっさんは、独りよがりな愛よりも、真心を君に求めたい
「わ、美味しい」
銀髪蒼眼の魔族少女サファイアがたった一人で用意した朝食、それはパンとチーズ、それにスープがつく程度の質素な物だったが、スープを一口頂いたコールンさんが
サファイアはおっさんの斜め後ろで、沈黙を守っていた。
嬉しくないのかな、サファイアの鉄面皮は感情を測りがたい。
「毒は……入ってないわよね?」
「そんな手間を掛けて毒殺は無駄だと思いますけど」
ガーネットはスプーンでスープをかき混ぜる。
異物を探しているようだが、そんな物は見つかるはずも無い。
そんな様を見てコールンさんは呆れ返っていた。
おっさんは、チーズとパンを交互にいただきながら言った。
「もう少し心開いてみたらどうだ?」
「……ふん、兄さんは甘過ぎるわ。相手は魔族よ?」
「良い魔族もいないわけじゃないと思いますけど……」とコールン。
「人間に悪人がいるなら、魔族に善人がいないとおかしい、か。善悪二元論だな」
正直言って、種族や風土、文化による善悪の価値観は考えるだけ馬鹿らしいのだ。
生粋のエルフからすれば、肉を食い金属を扱うガーネットはまさに異端者の悪だろう。
価値観は世界に一つじゃないんだ。おっさんに獣人のような尻尾やスキュラのようなタコ足の気持ちなんて分かるわけが無い。だから逆に分かって貰う必要性もない。
重要なのは認め合うことだ、そして尊重することこそが大切なんじゃないか。
違って当たり前、それこそ魔族なんて、何もかもが違い過ぎる。
破壊を是とする価値観、死を喜ぶという美意識。
魔族とはそのように言い伝わる種族なのだから。
とはいえ――。
「ご馳走さまです!」
「お粗末さまでした。食器をお片付けます」
コールンさんが誰よりも早く食べ終えると、ようやくサファイアが言葉を発した。
はたして、はたしてだ。この物静かな少女に、本当に
サファイアは食器を洗い台に持っていくと、貯めていた水に汚れた食器を浸け洗いする。
教会の流布するような魔族の像は、やはり脚色された物じゃないのか。
魔族……これ程神秘的で未知な種族は、やはり他に無い。
「サファイアさん、料理や家事など、どこで覚えたのですか?」
「先代の魔王様の下で学びました」
「え? 先代の魔王って……一番近年でも確か十五年前ですよね? サファイアさん、何歳なんですか?」
「それが……よく覚えていません。二十年前より過去の記憶が無いのです」
コールンさんはあ然と口を開いて固まってしまった。
ガーネットは眠いのか、「ふあ」と欠伸すると、つまらなさそうにコールンに告げた。
「世界一長命な種族は精霊、その次はハイエルフ、そして魔族って言われるわね……魔族ってそもそも何千歳とか何万歳とかよく聞くわね?」
「有名な神代の魔王ローズクォーツなら三億歳だって言うな」
何千年だか、何万年だか、おっさん程度じゃ気も遠くなる程の過去から魔族は生きている。
長命であるが故に、種の総数は人間族に比べ余りにも少ないが、押並べて強力な力を有する種族だ。
そして神代の時代から人間族は魔族と敵対してきたのだ。
何度と繰り返される戦争、それは幾度も覇権の座を入れ替えながら今日まで続いてきたと言われている。
もしかすればそう遠くない未来、今度は魔王が覇権を握り、世界は混沌と殺戮に染まるかも知れない。
「ご馳走さま。美味しかったぞ、サファイア」
「お褒めに預かり光栄であります主様」
ペコリ、と恭しく下げられた頭、サファイアは食器を回収する。
とはいえ、見方を変えれば塩対応にも思えて、おっさんは苦笑しながらサファイアに質問した。
「えと、喜んでいるのか? それ?」
喜怒哀楽の全く無いサファイアは言動と顔がしばしば一致しない。
気になっていたのかコールンさんも少しウズウズしている。
「喜んでいます。喩えるなら、天へと舞い上ったイカロスが傲慢にも、やったぜジャスティスと叫ぶ位」
「いや! 喩えが逆に分かりづらい!」
「と、とにかく嬉しいんですね?」
おっさん、久し振りに盛大にツッコんだよ! 対するサファイアは動じずそのままだ。
コールンさんも思わず愛想笑い、サファイアは個性的だった。
「お飲み物はいかがでしょうか、主様」
「ああ、うん。貰おうか」
サファイアは特にツッコミも気にせず、平常運転っぷりを見せつけた。
予め用意していたコーヒーが差し出される。
「ふう、ガーネットは今日はどうするんだ?」
コーヒーを一杯飲んでまったり一息吐くと、ようやく食べ終えた彼女は言った。
「今日は休み……もう疲れたし、正直眠い」
そう言うと「くあ」と
おっさんとコールンさんは今日も仕事だ。コールンさんは既に自室に戻って行った。
コールンさんは朝練を監督しているから、おっさんより出るのが早いのだ。
そうこうしている間にもコールンさんは身嗜みを整えて、部屋を出てきた。
いつもの白いカッターシャツに藍色長ズボン、腰には仰々しいベルトに一振りの曲刀が挿してある。
彼女はパタパタと足早に出口に向かうと。
「それじゃお先に行ってきまーす!」
「後で学校でー」
「行ってらっしゃい……くうう、う!」
コールンさんが飛び出すように出て行くと、同時にガーネットが大きく伸びをして、テーブルに突っ伏した。
サファイアは無言で空になった皿を回収する。
俺はリビングに掛けてあった時計から時刻を推測する。
まだ余裕はあるな。
「何か手伝おうか、サファイア」
「いいえ、主様にお手を煩わせる訳には」
「しかし……」
「任せりゃいいじゃない? 折角楽出来るんだしさ?」
おっさんが渋ると、ガーネットは楽観的にそう言った。
確かにサファイアは命令されてやっているんじゃない、自主的にやっているだけだ。
嫌になればしない、嫌じゃないなら任せるべきだろうか。
「主様はどうぞ、ごゆっくりとお
「……分かった。無理強いはしない、けれど俺を頼ったって別にサファイアに不利益は与えないぞ?」
「主様は嫌なのですか? 私はもしかしてご迷惑を?」
サファイアは無表情だ、けれど言葉には不安が混じっている気がした。
いかなる理由で主様を求め、奉仕を生き甲斐とするのかは俺には理解出来ない。
サファイアの価値観を理解するのは、おっさんには困難であり、けれどサファイアに価値観の押し付けをする気は更々無い。
ならばおっさんとしては何も口答えするべきじゃないのか。
「迷惑な物か、けれど心配はする」
「えっ? 心配をお掛けして?」
「はあぁぁぁ、アンタさ? 奉仕奉仕って立派だけど、兄さんの何を知っているの?」
堪らずガーネットは剣呑な表情でサファイアを睨んだ。
サファイアは僅かに俯くと、直ぐにおっさんを真っ直ぐ見つめた。
蒼い瞳はおっさんだけを映し、しかしその瞳は変わらず微動だにしない。
「私は主様を知りません」
「聞かれてないからな、だが知りたいなら教えるぞ?」
「知りたい、教えてください主様のこと」
俺は微笑した、ようやくサファイアがおっさんを見ようとしたな。
独りよがりな奉仕が上手くいく訳がない。
サファイアは健気で純真かも知れないが、それだけじゃおっさんの心は打たれない。
「ああ、教えてやる、その代わりサファイアのことも教えてくれよ?」
時間はまだ少しある。
ガーネットは眠たげに瞼を擦り、けれどここで見守るつもりらしい。
サファイアはまるで人形のような少女だ。けれど真心があるなら、おっさんはそれに応えよう。
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