悪魔少女編

第36話 おっさんは、主様?

 いつも通り、それこそ予定調和というように、おっさんはコールン先生を背負って家を目指した。


 「んひひ、どんとこーい」


 酔っぱらいは背中で楽しそうな寝言を発した。

 おっさんは苦笑すると背負い直して、コールンさんの寝顔を確認する。

 コールン先生、肉付きの良さもあって、エロいけど少し体重が重いのがネックか。

 レイナ先生程とは言わないが、せめてガーネット位の体重なら……なんて、本人に言ったら何されるか分からないので、言葉にはしない。

 街灯に照らされた夜の街は、まだ賑わっており、二次会、あるいは三次会と盛り上がっている一団を見れば、いかに平和で活気に満ちているか分かるというものだった。


 「だというのに……」


 おっさんはボソリと誰になく呟いた。

 僅かに後ろを視線だけで覗くと、誰かがおっさんを尾行していたのだ。

 誰だ? とおっさんは少し緊張しながら探すと、一人怪しげな少女と目が合った。


 「あ―――」


 それは銀髪の少女だった。

 まるで宝石のように美しい蒼い瞳、死人のように白く透き通った肌。

 そして意味不明な用途の改造メイド服を身に纏い、大きな白塗りの杖を両手で握っていた。


 ……そこまではまあいい。歳が嫌に幼く見えるが、冒険者なら不思議でもないからだ。

 だが、おっさんがどうしても看過かんか出来なかったのは、その背中にコウモリのような翼、そして鞭のような尻尾があったことだ。

 おっさんは迷わず駆け出した。コールン先生を背負ったままなのが少し不味い。


 サキュバスか? おっさんは街中に何故魔族がいるのか疑問が尽きない。

 だが魔族といえど、その全てが混沌こんとんくみしている訳ではない。

 特にサキュバスは最も人間側に恭順きょうじゅんした魔族で知られる。

 殆どは風俗街に暮らすサキュバスがなんで歓楽街にいるんだよ!


 おっさんは後ろを振り返った。

 息を切らし、スタミナの無いおっさんの老いた身体を呪う。

 銀髪少女の姿はない、撒いたか、それとも勘違いだったか?


 「あ、あの――」

 「上からくるぞ、気をつけろおっ!」


 畜生ちくしょう飛べるの忘れてた! 銀髪少女は羽根を羽ばたかせ、頭上から降り立つ。

 俺は迷わずもう一度駆け出す。脱兎だっとごとく逃げるのだ。

 それにしてもなんでサキュバスに尾行されにゃならん! おっさん知ってるぞ、サキュバスは童貞が大好きだって!

 この作品をあっふん、ずっこんばっこんする作品にする訳にはいかないのだ!


 「あの……お待ちを」

 「ギャース! 追いつかれたー!」


 おっさんは年甲斐もなく、絶叫してしまう。

 銀髪少女は、完全に追いつくと、目の前に着地した。

 ぜえはあ、肩で息をすると、おっさんはもう足が棒のように固まってしまった。

 ちくしょう、ここまで、か。


 「な、なんのようだ……?」

 「お願いがあります」


 お、お願い? 銀髪少女はほっそりとした見た目の魔族で、ただおしとやかに頭を垂れた。

 害意は無い? けれどおっさん魔族と友達になりたいなんて思わないんだが?

 サキュバスにしてはエロさが全く無い、だとしたら別の魔族か?


 「ご奉仕させてください、なんでもします」

 「………は?」

 「ご奉仕させてください、なんでもします」

 「いや、聞こえてなかったんじゃないから! ていうか一字一句同じってすげーな!」


 おっさん、今何をされてるんでしょう?

 なんで魔族に奉仕されにゃならんのだ?

 ただ銀髪少女はというと、まるで人形のように表情は固く、その大きな蒼い瞳は夜闇に輝いている。


 「り、理由を教えて貰えんか?」

 「貴方こそがわが主様あるじさまに相応しいと思いました。これでは不適格でしょうか?」


 絶句した……それ以上の言葉がまるで思い付かないのだ。

 この銀髪少女が求めるのは主様の存在、それを俺に求めたのか?

 まるで奉仕種族かのような物言い、だな……おっさんは首を振った。

 違う、まして魔族がそのような思考を持つとは到底思えない。


 「おっさんは魔王じゃない」

 「私の魔王様はいなくなりました、主様が必要です」

 「魔王がいなくなった?」


 おっさんはピクリと眉を潜ませた。

 もしかして二十年前の人魔戦役に関係しているのか?


 「なんでもします。ですから主様、ご奉仕させてくださいませ」


 再び、少女はペコリと頭を下げた。

 何故か改造されたミニスカメイド服、隠しさえしない翼に尻尾。

 あからさまに魔族であり、しかし真摯しんしな魔族だ。


 ――そんなことはあり得るのか?

 魔族とは傲慢ごうまんで強大な力を誇る規格外の怪物だ。

 人族よりも賢く、獣人よりも力強く、エルフよりも長命で、精霊よりも魔法に長ける……それが魔族だ。


 「……んにゃあ、ぬふふ」

 「にゃあ? 大きな猫さんです?」

 「酔いどれケット・シーは要らない」


 世界の何処かに、猫だけの楽園があるという都市伝説があるが、ケット・シーは猫の王様だそうだ。

 断じてコールン先生は猫じゃないが。


 「はぁ……おっさんじゃなければいけない理由はあるのか?」

 「………………啓示インスピレーション?」


 凄く悩んだ上に出た言葉がそれかい!

 魔族の啓示となると邪神の類かと類推するが、少なくとも混沌の手先には見えんが。

 戦後人間側に恭順した魔族の一人という所か。


 「払戻可能クーリングオフ期間だ。ついてきたいなら、ついてこい」


 おっさんはもう面倒くさくなると、コールン先生を落とさないように背負い直して歩き出す。

 銀髪少女は、「あ」と小さく零すと、トコトコ杖を両手で握り直して追いかけてくる。


 「そういえば、お互い自己紹介がまだだったな……。おっさん、グラル・ダルマギクだ」

 「サファイアと申します」


 俺は少女の瞳を見た。ああ、まるでサファイアみたいな瞳とは思ったが、名は体を表すか。


 「フルネームはないのか?」

 「私の場合はありません。強いて言えば魔族の慣例かんれいならうのならばサファイア・コランダムと名乗るべきでしょうか?」


 魔族の慣例というのは初耳だな。そういえば昔何かの本で見た気がする。

 人間族は花を名に使うが、魔族は石を名に使うとあったな。

 有名な魔王には、それこそ宝石のような名前が多いんだったか。

 そして魔族は絶対数が人間族に比べ圧倒的に少ない、つまり名前の数が少なくても困らないのだ。


 考えてみれば著名な過去の魔王で見ても、フルネームがある魔王は珍しかった気がするな。


 「どう呼べばいい?」

 「お好きなように、主様」

 「……『ああああ』みたいになるから、それは辞めなさい」

 「なんの話でしょう?」


 サファイアは無表情だった。

 感情がいまいち読み取り辛く、何考えているのかわからんな。

 ただまぁ、悪い子には見えない……魔族を信用するべきか……それが一番おっさんにはわからんのだが。


 「あの、その大きな猫さん。私が背負いましょうか?」

 「猫じゃにゃーい……ぐぎゅ」

 「いや、体格差で無理じゃ?」

 「構いません」

 「いや、構うよ! コールンさんかわいそうだし!」


 サファイアは本当に何を考えているのだろう?

 ただ、彼女は無表情で、羽をパタパタ動かした。

 うーん、分からん。おっさん一体なにに巻き込まれたのー?

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