第三章

第35話 おっさんは、大人でも女三人集まれば姦しいと知る

 春が過ぎ、夏を迎えつつある。

 まだ真夏には程遠いが、じわじわとその熱はブリンセルに初夏の熱気を伝えていた。


 カランコエ学校ブリンセル支部、放課後、残暑を浴びる中おっさんは通路を歩いていた。


 「もうすぐ夏休みだよねー!」

 「今年はどうする? 海行っちゃう?」

 「海も良いけど、北部の避暑地で過ごすのも良さそうよね」


 放課後は学生達に一番活気溢れる時間だ。

 おっさんの脇を通り過ぎた二人の女学生の会話内容を聞いて「そうか」と思い出す。

 すっかり社会人になってしまうと、夏休みという概念を忘れてしまう。

 学生は休みと言っても、先生方は仕事だからな。

 もっとも、平時より仕事量は落ち着くが。


 「だからさ、今年はねー?」

 「ふむふむ、レイナ先生はどうするのです?」

 「アタシはねー、おっ、グラル先生チーッス!」

 「………うす」


 担任室の前でコールン・イキシア先生とレイナ・ハナビシ先生が二人で雑誌を手にキャイキャイ話し合っていた。

 二人はおっさんに気付くと、こいこいと笑顔でおっさんを招いてきた。

 おっさん国語のテストの資料まとめてる最中なんだけど……。


 「ねえねえグラル先生! 夏物コーデ、どれが良い思う?」


 ミニマム魔法使いのレイナ先生が見せたのはファッション雑誌だった。

 俺は「そんなの聞かれても男に分かる訳ないだろう」と小さく呟き、うなだれた。


 「生徒の前であまり派手なのはオススメしません」

 「い、いえ……私服ですよ? レイナ先生がファッションは拘った方が良いって」


 辺境の剣聖ことコールン先生は、控え目にそう言った。

 貴族の出の価値観なんて、平民にどの程度意味があるんだか。

 ただまあコールン先生はまだ若いんだし、少し位お洒落するべきなのかもな。


 「あら、皆さん集まって如何いかがしました?」


 さり気なくおっさんを一緒扱いするのは自信溢れる出で立ちの見目麗しいアナベル・ハナキリン校長だった。

 校長先生は定例の見周りだろうか、とりあえずおっさん早く仕事終わらせたいんですけど?

 しかしレイナ先生は物怖じする事さえなく、アナベル校長にまで話題を振るのだった。


 「アナベル校長って、いつもスーツですけど、私服ってどんな感じなんです?」

 「私服? 持ってませんよ。普段からこの姿ですし、あとは式典用のドレスを数着、合わせても十着未満かと」


 あら意外と、レイナ先生はおろかコールン先生まで驚いていた。

 アナベル校長は衣服に無頓着なのか、なにがいけなかったのかと困り顔で首を傾げた。


 「あ、あの……私なにか間違えを?」

 「いいえ、間違えていません。ただ意外ではありましたが」


 貴族なんていうのは、服を数え切れん程持っている印象だが、それもそれぞれなんだな。

 レイナ先生は特にファッションは拘る方だろうが、逆にアナベルさんは数着あれば充分、か。

 殆ど一張羅みたいに、同じ服しか持たないコールン先生とは極端だな。

 ……考えてみればガーネットもお洒落さんだったわ。


 ふむ、衣服とは見栄か。俺は三人娘を少し離れて見守ると、見栄が整えば服などどうとでもなるなと確信する。


 「皆さん何を着ても、美人なんですから似合うでしょう?」


 俺はそう言うと、三人は言葉を詰まらせた。

 ただほんのり顔を赤くして。


 「もうー! そういうお世辞はもっと大切な人の為にとっときなさい!」


 バシバシ! 顔を赤くしたレイナ先生は照れ隠しするように背中――体格差で腰だが――を叩いてきた。

 見るとコールンさんはそっぽを向いて、口角を持ち上げ、アナベル校長はスーツの裾を掴んで困ったように腰を揺らした。

 おっさんはちょろ過ぎる三人に呆れながら、担任室に向かった。


 「あっ、たまにはお酒付き合えー!」

 「また飲みましょう! グラル先生!」


 やぶさかじゃないが、結局コールン先生を背負って帰らないといけないんだよな。

 後のことを考えると頭が痛い、結局おっさんは一人で飲みたいんだが。

 おっさんは答えは曖昧にしつつ、担任室に入って、自分の席に向かった。

 さっさと仕事を終わらせよう。後のことは後のことだ。




          §




 居酒屋はどこも大賑わいだ。大陸最大の人口を誇るブリンセルにはそれこそ無数の居酒屋が存在するが、今回の幹事はコールン先生だった。


 「かんぱーい!」


 居酒屋は古巣バーレーヌで良く通っていた居酒屋に雰囲気が似ていた。

 おっさんまだ初めての店だ、つくづく選択肢が多いのは贅沢なことか。

 コールン先生に先に良い店見つけられたのは、ちょっと悔しい。


 さて無骨な木製のテーブルを囲むのは幹事のコールン先生は当然にして、おっさん、レイナ先生、そしてアナベル校長だった。

 すっかり仲良しのコールン先生とレイナ先生は友飲みする程で、ちょっと意外なのはアナベル校長だな。


 「アナベル校長、よく大衆居酒屋来ましたね?」

 「ふふ、何事も勉強かと心掛けていますので、それに皆さんがいれば安全でしょう?」


 アナベル校長は本当に勉強熱心だ。恐らくコテコテの貴族のご令嬢かと予想するが、本人は聞かれない限り答えはしない。

 ただ何をするにしても楽しげで、箱入りご令嬢が俗世に染まっていくかと思えば、少し不憫ふびんに思う。

 あ、レイナ先生とコールン先生は既に終わっているから、論外な。


 コールン先生は注文は秒で決めると、テーブルには料理が並んだ。

 全員に酒も配られると、直ぐにコールン先生は出来上がりつつあった。


 「うぇひひ、飲んでますかグラルさんー?」

 「おお、相変わらず燃費の良い女だね?」

 「あ、相変わらず飲むと人が変わるのですね?」


 レイナ先生は笑って、パシパシとコールン先生の肩を叩いた。

 校長はまだ戸惑っているが、おっさんは無視して食事に手を付ける。

 テーブルには色とりどりの料理が並ぶが、おっさんが先ず選んだのはコカトリスの串焼きだった。

 香辛料が小皿に添えられており、好みに味を変化させるよう促されているが、おっさんはとりあえずそのまま頬張る。

 うむ、品質も良いものだ、タンパクで癖のない脂が食欲をそそる。


 「美味うま美味うまし」


 レイナ先生が大層美味しそうに食べていたのはチーズたっぷりのグラタンのようだ。

 角兎ジャッカロープのチーズグラタンだろうな。

 アナベル校長は優雅に赤ワインを嗜んで、はあと息を吐いた。

 四人で飲み食いすると、やはり普段とは違う面も見つけやすいな。


 「グラルさーん? 全然酔ってないじゃないですかー?」

 「全くこの酔っぱらいは、アタシにはあんまり絡み酒しない癖に」


 既に酔いどれと化したコールン先生は目をわらせた。顔が真っ赤で時折「ひっく」としゃっくりしている。


 「今の聞き捨てならないんだけど? レイナ先生? 普段コールン先生とどうやって飲んでるの?」

 「そりゃ普通に飲んでお会計したら、バイバイだよ?」

 「……釈然としない」

 「あ、アハハ、けれど夜は危険ですからね?」


 アナベル校長は節制がよく出来ている。ただ冷静に婦女子の一人歩きの危険性を説いた。

 言ってもそこは辺境の剣聖と呼ばれるコールン先生だ。暴漢如きがどうにか出来るとは思えないが。


 「むしろアナベル校長のほうが心配です」

 「え? 私ですか?」

 「あ、言えてる! 露骨にアナベル校長はか弱そうだし!」

 「むきゅう……」


 既に出来上がっている一名を除き、注目はアナベル校長に向いた。

 校長はワイングラスを少し揺らすと、微笑を浮かべた。


 「そうですね。それではグラル先生にエスコートを」


 アナベル校長はそう言うと頬を赤く染め、微笑んだ。

 おっさんはドキッと胸を高鳴らせると、ビールを一気に呷った。


 「アハハ、なにそれ、アナベル校長それ誘っているの?」

 「えっ? あ、いえ……決して、やましい思いは……!」

 「……勘弁してください、ただでさえどこで噂好きの生徒アーシャ・ソレイユが聞き耳立てるか分からないんですから」


 おっさん思わず、辺りを見渡す。

 大丈夫、見知った顔はないな。

 おっさんはホッとすると、コカトリスの串焼きを食べる。


 「まあアナベル校長はアタシが責任持って送るから、そっちの酔いどれはグラル先生頼むわねー?」

 「……むべなるかな」


 おっさんは了承すると溜め息を吐いた。

 思わずおっさんの苦労はアナベル校長に悟られるが、彼女は空気を読んで苦笑した。


 「ところで、レイナさんが飲んでいるのはなんなのでしょうか?」

 「あれ? アナベル校長、ミードはご存じない?」

 「みーど?」


 おや、やっぱり庶民のお酒は眼中にないか。

 と言ってもミードを頼むレイナ先生も選択肢が渋いというか。


 「ミードはハチミツを発酵させたお酒ですよ」

 「甘ーいお酒、度数も高くないから女性にオススメですよ?」

 「はあ、お酒にも色々あるのですね?」

 「あ、良かったら色々試してみますか? オススメはジンジャーエールか、ハイポールもありかな?」

 「あ、あの……お、落ち着いて」


 レイナ先生はノリノリでアナベル校長をお酒の沼に引きずり込もうとしているな。

 アナベル校長は流石に一度に色々説明されても覚えられないと、手を振って静止を促した。

 否定拒絶ではない辺り、アナベル校長は本当に真面目なお方だ。


 おっさんは、かしましい女性陣を眺めながら、食事に舌鼓したつづみを打つ。

 レイナ先生はとにかくお喋りで、アナベル校長は苦笑して聞き入る。

 コールン先生は既に出来上がり、嫌に静かだった。

 意外と日頃の疲れがあったのかもな。

 夜はゆっくりと、しかし確かに老けていくのだった。

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