第22話 狐娘は、犬かと思われた狐だったが、そもそも犬も狐も哺乳網ネコ目(食肉目)イヌ科じゃないかとツッコみたい

 温かいシャワーが拡散ノズルから流れる。

 ボクの身体の汚れは、温水が優しく落としていく。


 「―――テン、身嗜みは綺麗にしないとね」


 ――そう言ったのはボクより背の小さな女の教師レイナ・ハナビシだった。

 ボクはおっちゃん、ゴールドのおっちゃんの家に下宿している身寄りのないボッチの獣人。

 生まれてから親の顔も知らず、孤児っていうらしいけど、ボクには難しくてよくわからないや。

 ずっと最底辺ボトムズで育ち、そこは吹き溜まりと評して余りあるとさえ思える程劣悪な環境だったけど、ボクはそれしか知らないから、不満なんてなかった。

 ゴールドのおっちゃんも育ての親だけど、本当の親じゃない。

 ガラは悪いけど、ボクをちゃんと見てくれた最底辺ボトムズの仲間たちだっていた。


 とはいえ、生活はいつだって苦しかったのは事実だし、おっちゃんに禁止されていたけど、観光客への窃盗は辞められなかった。

 そんなボクに初めてちゃんと手を差し伸べてくれたのは、ゴールドのおっちゃんより、少し年下のグラルのおじさんだった。

 ボクはまだ半信半疑だったけど、グラルのおじさんは、テキパキと物事を進めていった。

 ゴールドのおっちゃんに入学の説明、周辺への理解も求めてグラルはスラムまでやってきた。

 その熱心な姿はちょっと格好良くて、あぁでもビビりな所はやっぱり格好悪いかな?

 なんて表現すればいいのか……グラルは表面はまるで凍り付いたように冷めてるのに、その内部ではグツグツとマグマみたいに燃え盛る情熱があるのかな?

 ボク、グラルの手が太陽のように暖かく思えたもん。


 「ちゃんと洗えてるー?」


 ガララと、浴室の引き戸が開いた。

 スラムにはちゃんとしたお風呂が無いから、グラルが住んでいるシェアハウスのお風呂を貸して貰っていた。

 遠慮なく入ってきたのは、なんだかツンケンとした金髪碧眼のエルフだった。

 確かガーネット・ダルマギクさん、ボクエルフは初めて見たから、ビックリしちゃった。


 「えと、これどうすれば……」


 ボクは洗剤の使い方が分からなかった。

 浴室に置いてあったのは、奇妙な蛇口のような形をしたボトルだった。

 石鹸って四角いものじゃないのって、ジェネレーションギャップを感じるよ。


 「ああ、まあスラムの住人じゃ……て、アンタ、犬かと思ったら狐?」

 「ふえ? イヌ、キツネ?」


 ボクは自分の頭の毛を見る。ずっと洗ってなかったから黒ずんでいて、今は薄っすら汚れが落ちてブラウンの毛並みが覗いていた。

 エルフのお姉さんは驚いているけど、なにが変なのかな?


 「兄さんが突然汚くて臭い獣人連れてくるから、何事かと思ったら……!」


 あれ? なぜかエルフのお姉さんは拳を持ち上げると、ぷるぷる怒りで震えていた。

 ふええ! ボク一体なにをしたっていうの?


 「おーい、終わったかー?」


 あっ、グラルの声だ、エルフのお姉さんは苛立った様子で返事をする。


 「まだよ! それと絶対覗いちゃ駄目よ!」

 「うん? 分かった。任せる」


 そう言うと、エルフのお姉さんは上着の裾や、ズボンを捲りあげ、浴室に入ってきた。


 「洗ってあげるからじっとしてなさい?」

 「は、はいっ!」


 ボクは萎縮しながら文字通り硬直した。

 エルフのお姉さんはボトルの頭をプッシュすると、泡状の石鹸がノズルから出てくる。

 初めて見る物にボクはドキドキしてしまうが、エルフのお姉さんは本当にテキパキと手早かった。


 「うわ、毛の汚れやば! 脂と混ざって超手強い! この!」

 「ひう! 髪の毛引っ張っちゃ!?」


 ボクは思いっきり髪の毛を引っ張られて涙目になる。

 けれど、エルフのお姉さんは木製の櫛を使うと、ボクの毛を整えていった。


 「アンタの毛、ついでにトリミングもするわよ?」

 「ふえ?」


 とりみんぐ? どういう意味だろうと思うと、エルフのお姉さんはハサミを持ち出した。

 ボクは何をされるのか想像がつかずビックリするけど、お姉さんは問答無用という眼光で、ボクは大人しくじっとするしかなかった。


 チョキチョキチョキ。


 「アンタ磨いたらかなり良いじゃない? 勿体ないわね」

 「磨く? 金属のことですか?」

 「自分磨き、てアンタにはまだ早いか」

 「ふえ? 自分を磨く?」


 エルフのお姉さんはボクの毛をハサミで切り揃えながら、そう言うとボクは金属加工工場の板金のように火花散らせて磨かれる姿を思い出し、恐ろしくて身震いする。


 その間にもエルフのお姉さんはテキパキとトリミングと洗浄を繰り返し、気がつけば壁に掛けてあった小さな鏡に映るボクの姿はキレイなブラウンの毛色を取り戻していた。

 鏡に映るボクは、まるでボクじゃないみたいに綺麗で、まるで絵本の世界に迷い込んだみたいだ。


 「馬子にも衣装ね、尻尾もするわよ!」

 「えっ? まって尻尾は!」

 「ええい、問答無用! 磨かれろダイヤの原石!」


 まるでドワーフみたいな物言いをしながら、エルフのお姉さんはボクの尻尾を持ち上げ、トリミングする。

 ボクの尻尾も毛が脂やゴミとグチャグチャに絡まっており、最初は櫛が入る時の痛みに悶絶するけど、次第に汚れが落ち、毛玉が切り落とされていくと、次第に心地良く感じていった。


 「おっし、後はコンディショナーで整えてと!」


 その後もエルフのお姉さんは興が乗ったのか、ノリノリでボクを弄っていった。

 全身を洗剤で綺麗に洗い落とし、湯船にゆっくり浸かって、最後は乾燥するまで全身を炎の魔石で暖めて。

 まるで夢心地のように気持ちよく幸せだった。

 なにもかもがまるで非現実的だ。


 けれど―――。


 「兄さんもういいわよ?」


 ボクはされるがまま、エルフのお姉さんに着替えさせられグラルのおっさんの前にいた。

 胸がドキドキする、グラルが振り返るとボクは顔を真っ赤にした。


 「どれどれ……っ!」


 グラルは言葉に詰まると、口元を抑えた。

 二ンマリと笑ったエルフのお姉さんは「どや」と勝ち誇る。


 「お、女の子だったのか?」

 「ふえ? ボク男の子と思われてたの?」

 「まああんなどこにでもいそうなターバンのガキみたいな風貌してりゃね」


 あれ? エルフのお姉さんまで?

 ボクってそんなに男の子っぽいんだろうか?

 ボク女の子は知っているけど、同族は皆毛深いから気にしたことなかったや。


 「あ、あの……ありがとう、ございます!」


 ボクはせめて精一杯にと、グラルに頭を下げて感謝を表した。

 グラルは顔を抑えたまま、なにか念仏のように呟きながら、震えを止める。

 今の動きなに? ちょっと怖いけど?


 「ふうう……大丈夫、俺は正気に戻った」

 「それ大丈夫じゃないやつでは、グラルさん?」


 あ、ソファーでくつろいでいた黒髪の豊満な胸の女性が立ち上がり、グラルに突っ込む。

 確か剣術科のコールン・イキシアっていう先生だっけ。

 ボクもこれからお世話になるんだから、ちゃんと挨拶しないと。


 「こ、これからよろしくお願いします! コールン先生!」

 「うふふ、元気の良い生徒さんね? でもまだ入学前よ? 先生って言われ方はむずがゆいわね」

 「とか言って、子供がいたらお酒楽しめないじゃないですかー、てずっと愚痴ぐちってたの誰だっけー?」

 「ちょっとガーネットさん、言い方に悪意ありますよ!」


 あわわ、ボクはどうしていいか分からずしどろもどろに慌てふためく。

 どうしてガーネットさんとコールンさんが喧嘩を?

 見るとグラルも「はあ」とため息を吐き、静観の構えだった。


 「ああ、テンは気にし過ぎる必要はない。彼女らはいつもどおりだから」

 「い、いつもどおり? これが?」


 ボクは恐ろしくてワナワナ震えた。

 だって、ガーネットさんもコールンさんもなんだか殺意を孕んでいるように思えるけど?

 けれど、グラルはボクに駆け寄ると、優しくボクの頭を撫でてくれた。

 ピンと立った耳に触れられるとちょっとくすぐったいけど、それは優しかった。


 「これからよろしくな、テン」

 「あ……は、はいっ! グラル先生!」


 ボクは嬉しくて笑顔で頷いた。

 この人がボクの先生、ボクの夢ははどこまで続くんだろう?




          §




 ―――そして三日後、ボクの転入日がやってきた。

 関係方々の尽力によって、ボクのハイスピード転入が決まり、スラム街では住民が一堂に会した。


 「ううう、テンちゃん綺麗だよ」と薬屋のおばちゃん。

 「ほっほ、一杯学んでくるのじゃぞ?」こっちは掃除屋のお爺ちゃん。

 「ううう! おら感激だあ! あのテンが!」号泣している人は元農民のお兄さん。


 ボクは制服に身を通し、トントンと新品の靴を叩いた。

 そんなボクの晴れ姿をスラムの皆は自分の事のように喜んでくれた。


 「テン、いいか? もう俺たちの時代は終わりにしなきゃならねえ、怨念返しにゃなんの意味もねえんだ……だから」


 最後にゴールドのおっちゃんが逞しい拳を振り上げて、重苦しく言った。

 だからボクは今までで一番の笑顔でこう言うんだ。


 「ボクは知らないけど、なら知ってるよ! だから!」


 ボクはスラム街に背を向ける。

 朝日がボクの身体を照らしていた。


 「テン・マリーゴールド、学校へ行ってきます!」


 ボクはそう言うと軽やかに駆け出した。

 背中からはスラムの皆の大声援、あはは、大袈裟なんだから。


 身体はまるで別人のように軽い、身体を綺麗にしただけで、ずっと溜まっていた汚れやアカが落ち、ボクの足はまるで羽根だった。

 筆の先端のような丸みを帯びた尻尾はスカートを捲くりあげてちょっと恥ずかしいけど、この嬉しさは止められない!


 そんな尻尾上がりを揺らし、階段を駆け上がって、見慣れた商店街ストリートを駆け。


 「おっ、スリのガキ! 学校か!」

 「うん! もう窃盗なんてしないよー! しなくてもいい世の中になるんだからねー!」

 「ははっ! 朝飯だ、食ってけ!」


 そう言うと、いつも青果店を営んでいる四十代の店主は真っ赤な林檎を投げてきた。

 ボクはそれを受けるが、林檎はボクの手を跳ね、「ワタタ」と慌てて取ろうとするも、四苦八苦。

 頭の上を跳ねた所をボクはキャッチすると、後ろを振り返った。


 「林檎ありがとうー! 行ってきまーす!」

 「おう! ちゃんと授業受けろよ!」


 ボクは林檎に齧りつくと、あまりの酸っぱさと殆どない甘さに目を細めた。


 「うっ! すっぱぁー……! やられたぁ」


 あぁ、これ生食向きの品種じゃない、意地悪だな?

 と恨み節を吐きながら、林檎をしっかり食べ尽くす。

 同族じゃあんまり体力ない方だから、ちゃんと体力つけないとね!


 何度かショートカットを通ると、やがて白い大きな建物が見えてきた。

 校門の前には同じ制服に身を通した近い年齢の生徒達。


 「皆さん、おはようございます、良い一日を」


 校門に自信に満ち溢れた表情の綺麗な女性がスーツ姿で生徒達に挨拶していた。

 確か校長先生のアナベル・ハナキリンだっけ?

 アナベル校長は一人一人に笑顔で挨拶すると、やがてボクに気が付いた。


 「あら、貴方がテン・マリーゴールドですね?」

 「は、はいっ! これからよろしくお願いします!」


 ボクは精一杯頭を下げる。これで作法は合ってるよね?

 なんだか周囲からはクスクスと微笑が聞こえるけど、これって嘲笑?


 「顔を上げなさい、テンさん? 貴方はもうここの一生徒、そこに上も下もないのです」

 「は、はい」


 上も下もない、か。

 多分ボクが最底辺ボトムズだから言っているんだよね。

 校長先生は見下している風には見えないけど、それでもボクは根が臆病だから不安になってしまう。


 「それでは学び舎に案内します、ついていらっしゃい」

 「失礼、致します、でっしゅ! はうう舌噛んだ」


 醜態を晒しながらボクの学園生活は始まった。

 さあ、ボクの夢の続き、それを教えて。

 希望の未来へ、そう信じるから。

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