狐娘編

第20話 おっさんは、すこしここまでを回想する、そして

 首都ブリンセルに赴任して早くも二週間が過ぎ去った。

 徐々に新生活にも慣れてきたが、おっさんの毎日はあまり変わったように思えない。

 国語の受講者は相変わらず少なく、おっさんは存在意義にちょっと不安も覚えちゃうが、そこはまあポジティブに考えておこう。


 受講者はルルル・カモミール、大きな赤いツインテールヘアーが特徴的な夢も理想もいっぱいな元気印の娘だ。

 本人の志望は王国魔導師を志望してる。現在の評価では望み薄だが、良くも悪くも彼女は乾いた砂が水を吸うように授業内容を覚えている。子供の可能性は無限大だとは思わないが、信じなければ教師はやってられんか。


 次にシャトラ・レオパード、淑女しゅくじょ然とした茶髪の大人し目の少女、ルルルと交友関係あり。広く浅く多くの学生と交友しているらしく、一方で本当に親しいのはルルル位のようだ。志望はまだはっきりしていないが自主的に園芸を行っていることから、農業系の志望者か?

 成績の方はルルルとは対象的にどの教科も優秀で、よほど無茶な進路でもなければなんでも熟せるだろう。

 しかし内面を一番見せてくれないのも彼女だから、おっさんも一抹の不安はある。


 最後はアルト・シラン、野暮ったいやや平均よりは低身長な頑張り屋の少年だな。田舎に立派な錦を飾りたいとのことで、恐らく進路で言えば騎士ではないかと思うのだが、まだ明確なビジョンはないらしい。

 なんていうか下には下がいたというか、成績はルルル以下であり、才能もちょっと厳しいかも知れない。

 一方で底なしに明るく、偏見を持たない純粋な心の持ち主で、友達は多そうで、人格面では心配はいらないだろう。

 彼はルルル以上に教師の能力が求められるだろうな。


 バーレーヌなら少なくとも二十人は受講者がいたことを思えば、たった三人は哀しくなるぜ。

 とはいえ、そのお陰で生徒たちのプロファイリングもスムーズに進んだ。

 後は横の連携だが。


 まず魔法科の教師レイナ・ハナビシ、魔力発達障害で肉体年齢が十二歳前後で止まっているミ二マムな二十六歳。

 本人曰く才能は無いとの事だが、お手本としては理想的な教科書の体現者で、おっさんは彼女を高く評価する。

 魔力総量はそこまで多くないが、一方で高い精度、安定性、魔法を使うという意味でなら、派手ではなく堅実なのは美徳だと思う。しかし本人としては魔力発達障害を害してもこの程度というのはキツい劣等感コンプレックスになっているようだ。

 それでも極度に人懐っこく、物怖じもせず、面倒見の良い先生だ。おっさんも頼りにさせてもらおう。


 もはやお馴染みだが剣術科のコールン・イキシアは、こっちに来ても相変わらずだった。

 本人がまず非の打ち所のない化け物級の達人な上、教えは実戦的だが、理に適っており、受講者も右肩上がりだ。

 あれであのお酒の悪癖がなければ最高なんだがな。

 あれか? 結構コールンさんもストレス溜めてんのか?


 最後はアナベル・ハナキリン校長だ。容姿美麗、才気に満ち溢れた女傑であり、トーマス理事長も推す若手教育者だ。しかし咄嗟の判断力にやや鈍く、アドリブは苦手のようだ。

 押しに弱いというか、やや精神的に脆いんじゃないかって所が露見しているのが、危惧する所か。

 それでもまあ全生徒を愛して、旅立ちを見守る立派な教育者であるとは思っている。


 今の所、おっさんの周りは相変わらずなんか変なのが妙に多くて、振り回されてばっかりだが、なんとかやっていける。

 義妹のエルフ娘のガーネットなんかは、早々に新生活にも慣れているし、この前なんか酔って倒れたコールン先生を背負って帰ったら、すっごい渋い顔していたっけ。

 まあシェアハウスで共同生活する以上、多少見なくて済んだものを見てしまう訳だからな。



 たった二週間、でも二週間か。

 おっさん、グラル・ダルマギクは産まれて三十五年、ただ流されるまま惰性だせいで生きていたように思える。

 嫌な事なんて数え切れない、ちょっと嬉しい事も山程ある。平坦とは少し違うがそれがおっさんの人生だ。


 だけど多分本質はあまり変わらないのだろうけど、これだけは確信出来る。もう惰性じゃないな。

 惰性で生きるのは止めた、というか無理だった。

 確かに頑張るのは正直しんどい、甘えたくなることも多い。

 仕事が山程あれば鬱にもなるし、生徒と上司に板挟みにされれば胃がキリキリ痛みだす。

 おっさんももう若くないからこそ、無茶なんて出来ない。

 でももうおっさんだからこそ、おっさんの義務があるんだと思う。



 ――それが、二週間後のその日の昼の事だった。



 

 「それでさー、ハンターが言うんだよ。次はお前の真心ハートを狩るぜって、いややっぱクサ過ぎだって! リアルだと吐くよ!」


 定休日のその日、おっさんは街をブラブラしていた。

 そこで偶然演劇を見てきた帰りのミ二マム魔法使いのレイナ先生と遭遇してしまう。

 レイナ先生は退屈な観劇の後だったようで、おっさんを見つけると全力で駆け寄ってきた。

 まるで犬だな、獣人なら尻尾を振っていただろう。


 「でもね? やっぱ作劇的都合っていうの? お約束って大事なんだよねー? ねえ分かるかな? グラル聞いてる?」

 「はいはい、聞いてますよ」


 正直うざい、おっさん一人で散策をしていただけなのに、なんで外でよりにもよってレイナ先生と出会ってしまうのか。

 前から思っていたが、レイナ先生のトークは止まらない。こういうのをマシンガントークと言うそうだが、おっさんからすればキツツキトークでよくないかと思う。

 てか、控えめに言って面白くもない演劇をなんで見に行ったんだろう? しかも一人で?


 「いや休日って退屈でしょ? だから久し振りに演劇でも見ようかなってさ? あーやっぱり漫談にするべきだったかー」


 高尚なオペラよりも噺家はなしかの漫談の方がイメージ的にも好みそうだが、ちょっと意外な趣味だな。


 「ときにグラルは何か趣味はないの?」

 「何も変わらない一日を享受すること」

 「え? なにそれ? つまんない」


 つまらなくて結構! てかおっさんも共感なんて求めていないから。

 おっさん酒こそ嗜むが、タバコはやらないし、賭け事もしない。結構健全なつもりだ。

 散歩だって、言ってみれば平穏を享受している所なのに、現実は簡単に破壊されたからな。


 「グラルって不思議だよね。謙虚っていうか、なんか虚無感を持ってるっていうか」

 「……そう見える? ならそうかもな」


 他人がどう見るか、おっさんは殊の外無頓着なものだ。

 そもそもどれほど繕っても、おっさんグラルおっさんグラルである以上、それを繕って誤魔化すのには限界がある。

 だからこそ俺はおっさんであり、おっさんは見下されるのだ。


 まあ反骨心なんて彼程も有してないってのはあるのかな?

 昔はあったのにな……老いた証だろうか。


 「あ、イカ焼き食べない! あそこあそこ!」


 ミ二マム魔法使いは今日も祭りみたいに立ち並ぶ出店の一つを指差した。

 鉄板で炙られたイカの匂いが、鼻腔びこうをくすぐる。


 「悪くないな」

 「おーし、おっちゃんイカ焼き二つ!」


 ほんのり甘い生地で包まれたイカ焼きは特濃ソースで味付けされ、仕上げに青海苔が踊ると完成だ。

 簡素な使い捨ての紙の皿に乗ったイカ焼きをおっさんは受け取ると、片方をレイナ先生に手渡す。


 「うーん、ソースの匂いがたまらない!」

 「海産物が出店で食べられるなんて、やっぱり首都の物流は凄いですね」


 おっさんは居酒屋でこういうのを食べたことはあるが、首都ブリンセルはやはり格が違う。

 海の幸山の幸、あらゆる珍味が文字通り集うブリンセルは成るべくして成った大都市だと痛感した。


 「この街って、東の方に大河が縦断してるのよ。だから船の交易で栄えたのよね」


 地政学で学んだことだが、ピサンリ王国は横に豊かな草原地帯を、縦に山脈と大河という十字に地質が異なるという。

 ブリンセル周囲は大陸有数の大穀倉地帯で、豊富で品質の高い小麦の生産で知られる。

 一方海のない国であっても、大河は海へと注がれ、その川を遡上そじょうして海運は発達した。

 結果としてピサンリ王国は交易によって財を成した成金の国なんても言われるが、成金は成金なりに豊かさを分配出来るからな。現王権の支持率は高いくらいだ。


 「うむ、毎日美味しい物にありつけるだけでも幸福というものか」


 我ながら渋いな、と思いながらイカ焼きにかじり付く。

 おっさんの好みの濃いソースと甘めの生地、イカの旨味が凝縮ぎょうしゅくしており、青海苔が良いアクセントになっている。

 隣のミ二マム魔法使いも実に美味そうに食べていた。


 「いやいやグラル、楽しいがあってこそ幸福だよ。笑顔だけあっても腹ペコじゃ本末転倒でしょう?」

 「まあそりゃ人間は喜怒哀楽の四つで精神を構成するって言われ―――」

 「うん? いきなり黙ってどうしたね?」


 俺は口を紡ぐと真剣な表情で正面を見た。

 ボロを着た子供が、フードで顔を隠して周囲をキョロキョロしている。

 その背中からは黒い尻尾が不安げに垂れ下がっていた。


 「――獣人?」

 「多分何か犯罪を狙っている」


 ミ二マムといえどレイナ先生も獣人に気が付いた。

 だが顔の見えない獣人は見るからに細く、それはバーレーヌでは見たことのない物だった。

 知っているとすれば戦時の……。


 「ねえグラルこんな話知ってる? ピサンリには上には上がいる、されど下を覗けばその闇は見えぬって」

 「いいや……。察するに貧富の格差をうたった話だろうが」

 「豊かになる分にはいいんだけどね、誰もが平等に豊かになる訳じゃないんだよ。アレは最底辺ボトムズだ」


 最底辺ボトムズ? 聞き慣れない言い方だが言い得て妙なのか。

 いずれにせよどん底にいる者の最終手段は容易に想像できた。


 「レイナ先生、万が一の時はアシストお願いします」

 「おいおい? やめておいた方が」


 分かっている、キリがない。あの獣人の子供もこの街じゃ珍しくないのだろう。

 義妹もスラム街には絶対に近づくなと警告していた。あの子は間違いなくスラム街の出身だろう。


 「そこの君」


 俺は獣人の子供に声を掛けた。

 すると獣人の子供はビクッと身体を震えさせて、おっさんに振り返った。


 「な、なに……?」


 青い瞳の子供だった。痩せこけていたが、獣人特有の毛並みは汚れていてもしっかりしている。

 声変わり前の男の子か、女の子か少し判断しづらいが、声は上ずり、尻尾は怯えていた。


 さて、どう声を掛けたものか。

 犯罪の抑止と言ってもな……。この子の狙いは恐らく窃盗スリだろう。

 それも慣れていない。残飯拾いでももう少しマシだろうに。

 とにかく思考は絶対に止めるな、考え続けろよ俺。


 「ふぅ、えっとおっさんは君のことを知りたいんだ」


 俺は息を吐くと、子供の前でなるべく穏やかに微笑んだ。

 子供の少し大きな目は収縮していた、恐怖か。


 「あ、あうあ……!」


 子供は怯え、小さく呻いた。

 やっぱり関わるべきじゃなかったのか?

 違うだろう、日和るな俺。もう惰性で流されるのは止めろ。


 「……うん、よかったらこれ食べる? その代わりおっさんと話して貰えるかな?」


 俺は半分食べたイカ焼きを差し出すと、子供は顔色を変えたが尻尾は急に横に振り出した。


 「ご、ゴクリ……!」

 「遠慮しないで」

 「うぅ、もう駄目……ッ!」


 少女はイカ焼きを手で掴むと、そのままガツガツ急いで食べた。

 おおよそ品性の欠片もなく、まるで野人そのものだ。

 後ろから静観していたレイナ先生も「うわー」と呆然としていた。


 獣人の子供はあっという間に食べ終えると、名残惜しそうに皿のソースや青海苔まで舐め取った。

 一体最底辺ボトムズがどんなものか、この子からその一端は見えた気がするな。


 ブリンセルに赴任して、ある意味最初の転機……それはアクシデントめいて目の前に転がっていた。

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