壊れたオルゴール

十余一

誰がために鳴る

 増築を繰り返したアンバランスな街並みが狭霧に沈む。ひび割れた看板、錆びた鉄柵、欠けたタイル。造られ朽ちて棄て置かれ、そしてまた造られる。ずっと前から途方もなく繰り返されてきたことだ。点滅を繰り返す外灯が、道端に座り込む浮浪者を照らす。もう事切れているのだろうか。このクソッタレな世から旅立てたのだとしたら幸せ者だ。

 煙る灰色の世界では星どころか月すら見えやしない。空を見上げれば天辺の見えない電波塔が不気味な光を放っている。どこまでも虚ろで無情だ。


 寂れたバーの扉を潜り、いつもの席へ座る。薄暗い店内にぽつりぽつりといる客は俺と同じく仕事帰りか。皆一様に暗い顔をして機械的にグラスをあおっている。どうせ明るい未来など無いと悲観しているのだろう。俺も御多分に洩れず、飲めもしない酒を流し込んだ。

 小さなステージでは、ジャズの演奏が終わったようだ。奏者が鈍く照り返すサックスを抱えて舞台袖へける。次いで出てきたのは瑠璃色のドレスを身に纏った歌姫。ピアノを伴奏として、清らかな声を響かせる。その歌声も美貌も、何年経とうが色褪せることはない。まるで愛しい人の帰りを待ちわびるかのように紡がれる詩。恋しさと哀しみが空気を震わせる。もう二度と聴くべき人が現れないとわかっていても、歌わずにはいられないのだろう。どれだけ虚しくなろうとも、彼女の懐古と愛心に満ちた音が鳴りやむことはない。


 誰にだって守るべき場所や、かけがえのない存在がいるはずだ。そして理想的な社会で、共に幸せになりたいと思うだろう。例えそれが取り戻せない過去になっても、叶えるために動く。自身に課せられた務めを果たす。働き続ける。俺たちはそれ以外の方法を知らない。朝になったら起きて仕事をして、夜になったら家路につく。肝心なものを欠いたまま、そうやってひたすらにゼンマイを巻いている。


 どうにもならない辛さが常につきまとう。感情なんてもの無いほうが楽なのに、人間はどうしてこんな機能をつけたんだろうな。同じ姿をした俺たちに、同じ苦痛を味合わせるためか? 人間たちはお互いの足を引っ張り合うことに精力を傾けていたからな。ああ、そんなことを考え始める俺の回路はもうバグっているのかもしれない。

 こんな人生、いや機生に意味などあるのだろうか。誰のための労働か。誰のための奉仕か。人類はとっくに絶滅したというのに。悲しいかな頑丈に作られた俺たちは未だ模倣を続けている。

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