第12話 長瀬一族

鳥のさえずりが小さく聞こえる。

川の流れる音、風が木々を扇ぐ音……まるで作業用BGMを聞いているかのような自然に囲まれた屋敷の廊下を、私たちは歩いている。

「わわわ長瀬ながせくん!これって何年前からある建物なのかしら!?書院造みたいだけど……少し違う……」

清野せいのがきょろきょろと辺りを見回して目を輝かせている。確かに、京都とかの観光地にありそうな造りの屋敷だ。歴史オタクにはたまらないのかもしれない。

「うーん……僕はよくわからないな。師匠とかならわかるかもだけど……」

そして真面目に答える長瀬ながせさんは、同じようなふすまを見比べながら先へ進んでいく。

「同じような部屋ばっかりだなあ。ここの人たちみんな見分けられんのかよ?」

「まあ、慣れればね……でも師匠の部屋……5年も前から来てないから、間違えるかも……」

「いや……5年もここまでの道のりを覚えてるお前は…すでに…おかし…い」

泉野いずみのさんは息を切らしながら疲れた顔で一番後ろからゆっくりとついてきていた。

「まさくんは相変わらずもやしだね」

千尋ちひろちゃんが言う……?」

「私は別に疲れてないもの」

「あはは……まあ仕方ないよね。このお屋敷は村の中で一番広い建物だし。なにせ……」

長瀬さんはあるふすまの前で立ち止まり、こちらを振り向いた。

「ご当主様のお住処だからね」

ふわふわと笑みを浮かべていた長瀬さんは、他のにはなかった金箔が散りばめられた障子が貼ってあるふすまを前に、膝を付いて真剣な顔つきになった。


「長瀬一族本家養子、歩です!失礼します!」


大きな声でそう言って、ゆっくりとふすまを開けた。

ここにきてみんなそういった挨拶をするが、伝統なのだろうか。

…………養子?


「歩か……」

長瀬さんは静かに部屋に入り、歩き出した。なんとなく一緒に入っていい気がしなくて、私たちはふすまの隙間から部屋を覗いていた。

部屋はかなり広くて、一番向こうの少し高くなったところに、鶯色うぐいすいろの着物を着ていて真っ白な髪と髭の大柄な男が座っていた。おそらく、この人が当主……。

「……師匠、戻りました」

部屋の中央あたりで長瀬さんは止まり、また膝をついた。

当主は立ち上がり、長瀬さんの目の前で止まった。

「これは……お説教が始まる感じじゃねーの?」

日暮がにやにやしながら私に耳打ちしてきた。

「怖そう……当主さん」

と言いながらも、清野はわくわくした目でその光景を見つめている。

でも、ここから何が起こるか、気にならないわけではな……


「よぉくぞ帰ってきたのぉー!!」


……え?

太い筋肉質な腕で、当主が長瀬さんに飛びつく光景を前に、私たちは唖然としていた。

「お説教……じゃねえのかよ……?」

それどころか……

「すごい……久々に孫と会ったただのおじいちゃんみたいね」

清野が苦笑いで、呆れ3割、残念7割なトーンのため息をついた。

「当主って言うからどんな強面コワモテかと思ったら……」

泉野さんは苦笑しながらそうつぶやいた。

私も見た目の威厳と長瀬さんの話からして、もっと武将のような感じかと思っていたから、イメージが180度覆され、言葉を失った。

「師匠……?え……師匠!?」

長瀬さん本人もテンパっているのはよくわからないが……。

「ああ、すまん。ついな……」

当主は笑いながら長瀬さんから腕を離した。

「いや、えっと……どうされたんですか……?随分雰囲気がお変わりで……?」

長瀬さんは助けを求めるようにきょろきょろと辺りを見回したり、私たちのほうを振り返ったりを繰り返した。


「歩じゃないの!」


そのとき、別の入り口の方から女性の声が聞こえ、その方に視線が集まった。

そこには、鮮やかなピンク色の着物を着て黒い髪を高い位置でまとめた同年代ぐらいの女性が、湯飲みをひとつのせた盆を持って立っていた。

ときさん!お久しぶりです!」

長瀬さんに“とき”と呼ばれた女性は、当主の姿を横目で見て、呆れた顔をした。

「父上また……歩、すまないねえ。最近この人すっごい気が緩んでて……」

ときさんは私たちに気づくと、笑顔になり、持っていた盆を当主のそばにおいて手招きをした。

「ごめんなさいね。歩のお友達かしら?ささ、遠慮しないで入ってらっしゃいな。お茶をお持ちしますからね」

ときさんは、また出てきたふすまを開けた。

「あ、すみません」

「いいえ。あ、歩、座布団出していいからね」

「はい!ありがとうございます」

彼女が部屋を出て行くと、一瞬シーンとした空気が漂った。だが、これまで大人しかった分が爆発するかのように、日暮はわめき始めた。

「おい長瀬!何もかも予想ハズレなんだけどよお!?」

「僕もびっくりだよ……師匠、何があったんですか?」

「すまんの……」

当主は、ゆっくりと立ち上がり、座布団に座り直した。

「ここ数年……といっても歩が出て行ってからの間、全く争いごとも起きんでな。村は平穏無事。それで大分気が緩んでのぉ……自覚はあるんじゃが、もうわしもいい年。そろそろ“跡継ぎ”を考えとる……」

「おっちゃん、跡継ぎってどうやって決めんだ?」

おっちゃん………。

清野は、目を細めて日暮の頬を引っ張った。

「ちょっと日暮」

「痛ででででで」

当主は日暮の失礼は気にも留めない様子で、腕を組んで気難しい顔をした。

「うむ……本来は長瀬一族本家嫡男が継ぐのじゃが……わしには息子がいない」

「……やはりはやぶさ兄さんですか?」

長瀬さんが、人数分の座布団を……5枚を一気に片手で担ぎ……持ってきてくれた。

「いや、分家なら候補はまだおる……歩、お前が村を出ている間、力をつけたものが何人か…」

「父上、その名前は伏せるのではありませんでした?」

いつの間にかときさんがまた部屋に入ってきた。当主は思い出したように誤魔化し笑いを浮かべた。

ときさんは、私たちの前にそれぞれの湯飲みを置いた。

「ありがとうございます」

そう言うと、ときさんは綺麗な笑顔を見せた。

「いいえ、ゆっくりしてくださいね。あ、まだちゃんと挨拶していなかったわね」

「ああ、わしもじゃった」

二人は姿勢を正した。ときさんは盆を置き、頭を下げた。


「長瀬一族当主、うぐいす

長瀬一族本家 嫡女ちゃくじょときにございます」


まるで時代劇の姫君のような振る舞いで、私は一瞬本当に現実なのか信じられなくなった。

そう、大河ドラマとか、そういった世界に入り込んでしまったような気さえ………

時代劇?大河ドラマ?そんなもの見たことはない。

なぜこんなにもはっきりと知っているのだろう……?

…………澪…か。そうだった。彼は清野程ではなかったが、歴史が好きだったんだ。いつも長々と聞かされてたっけ。一緒に大河ドラマを見ていたことも何度かあった気がする……

今まで全く覚えてなかった。そう、最近は澪のことをよく思い出す……

「川森?」

声をかけられ我に返ると、日暮と目があった。

「なんだよ、ぼーっとしちゃってよお?」

「別に……あ」

ふと向けた視線の先、ときさんが入ってきた方の入り口から、小さな陰がチラッと見えた。

……女の子?

「どうしたの?川森ちゃ……あら、ときさん、あそこから覗いてるのは……?」

清野は微笑みを浮かべ、ふすまの陰を見つめた。

ときさんは、そちらに気づくと、短くため息をついてから、声をあげた。

「………入ってきなさい、ひわ

彼女がそう言うと、ふすまの陰からそっと、うすい黄色の着物を着て、蝶々結びの紐で髪を高く結った少女が顔を出した。

「娘です……。ほら、挨拶をしなさい」

少女はふてくされた顔をしたまま、捨てるように言葉を並べた。


「長瀬一族本家、ひわでーす……」


彼女の言葉を聞き、またときさんはため息をついた。

「私の次女で、村から出したことないのに今どきの子なの…全く、何が不満なのか」

ひわちゃん……!?」

何か思いついたように、長瀬さんは目を見開いた。

ひわちゃん、大きくなったんだね…!わからなかったよ」

ひわさんは黙って長瀬さんを見つめ、ときさんの方に視線を移した。

「……この人誰、母さん」

「あんた覚えてないの?歩さんよ。よく遊んでくれてたじゃない」

「……いつそれ」

「5年前だから……あんたが4、5歳のときね」

「……覚えてるわけないし」

ひわさんは鬱陶しそうな顔で、部屋をでようとしていた。

「ちょっと、どこ行くの?」

「別に私がこの場にいる必要ないでしょ」

彼女は振り向かず、部屋を出て、ふすまをバタンと閉じた。

泉野さんが少し面白そうに笑い、つぶやいた。

「反抗期……だね」

「かわいかったわ」

ひわのやつ……そろそろ“相手”を探してもいいかもしれんな。そうすれば少しは落ち着きが…」

当主はひわさんが出ていった方を見つめ、悩むように自分の髭を撫でた。

「相手……?」

意味が分かっていないらしく、日暮がデリカシーの欠片もなく首を傾げた。

それをみて、泉野さんはため息をつき、日暮に耳打ちした。

「婚約者」

「ああ、さっき言ってた……“イイナズケ”か」

だからデリカシー……。

「婚約って……あの子まだあんなに小さいのに……」

「長瀬一族本家のは15になる前に伴侶を決めなければならん。ひわはもう10になる」

それを聞いて、ときさんは重々しく首を横に振る。

「でもあの子は嫌がるんです。好きでもない人と結婚何てしたくないと……」

それは…当然だろう。親の決める相手と結婚するなんて、本当にいつの時代だ。

もし私が……ひわさんぐらいの年のときにみお以外の人と結婚を決められていたら…………


妙に苛立ち、目の奥がパチパチと点滅するような感じがした。


「失礼します」


入り口側から声がして、ふすまが開いた。

はやぶさか」

隼さんは部屋に入ってきて、膝を付き、頭を下げた。

「何かあったのか?」

隼さんは、顔を上げ、私たちに気づくとキリッと目を細めた。

そして視線を逸らし、ゆっくりと口を開いた。

「ご報告があります……」

「隼!」

振り向くと、また同じところからひわさんが覗いていた。

しかし、表情はさっきよりも明るく、同じではない。

「これは……ひわ様」

「久しぶりね」

彼女はピンク色の頬を見せ、目をキラキラさせた。

……本当に、表情が全く変わった。

「しばらく山奥に修行へ出ていたので」

隼さんは分家といっていたから、本家の人には敬語、ということだろうか。

「……この人たち、知ってる?」

「……先ほど、村に帰ってきてすぐにつづみの屋敷近くで会いました」

「ふーん……」

ひわさんは目を輝かしたまま、私たちに視線を移した。

「あなたたち、街から来たの?」

確実に私と目があっていたので、私が答えた。

「はい」

そう答えただけで、彼女はさらに目を開いて期待するように見つめてきた。

「“トーキョー”?」

「そう、ですが……?」

「すごい!私、言ったことないの、トーキョー!」

ひわさんは、カタコトな言葉遣いで、“東京”という単語を、わくわくした様子で繰り返した。

「ねえ、“ハラジュク”とか、“アキハバラ”とかって、どんなところなの?聞いた話だと、物も場所も食べ物も着物も人も、全部全部キラキラしてるって!綺麗なお化粧とか、あと……“ヨウフク”とか!私、大人になったらいつか……!」

ひわ!」

ひわさんの話を遮り、ときさんは怒鳴るように叫んだ。

ひわさんは黙りこくり、ときさんを睨みながら部屋を出て行った。

ときさんは視線に気づくと、表情を崩して微笑を浮かべた。

「ごめんなさい……あの子、すぐにいらないことを覚えてしまって……」

「いえ……」


『物も場所も食べ物も着物も人も、全部全部キラキラしてるって!』


キラキラ……。

私もそういえば、学生時代はよくそのような場所で遊んでいたな。

あの頃は原宿やら秋葉原やらなんて当たり前で、キラキラだなんて考えたこともなかった。

でも……あのときの私はよく笑っていた、気がする。

…………そうか、あの子は知らないんだ。今の東京がどんなに暗く恐ろしい場所か。

5年前からキラキラなんて何もない。どこにもない。たくさんの人に憧れられ、人々が笑いあって日々を過ごした場所はもうない。

どす黒く憎悪が渦巻き、人々は泣き叫ぶような、悲しい世界になってしまった。


…………変えなければ。未来のために。


「……すまん、隼。報告とはなんじゃ?」

沈黙の後、当主は隼さんに向き直った。

「はい。ですがその前に……」

隼さんは私たちをまたキリッと睨んだ。

「こちらのことです。は席を外していただけますでしょうか」

……態度が悪い。だが、低くの太い声で言われとしまったため、私たちは部屋を出ることにした。

泉野さんが今にも爆発しそうな顔をしているのを見て、長瀬さんは焦りながらみんなに言った。

「じゃあ……鼓さんのお屋敷に戻ろうか?」

「そうね」

「だな!じゃあ!失礼しましたあ!」

あんな言い方をされたのに、意外にも日暮は普通だった。どうもこいつのキレるポイントがわからない。

速やかに部屋を出て、廊下を歩き部屋から離れると、日暮は小さな声でわめきだした。

「なあなあ、ときさんってよお!?20歳ぐらいだよな!?10歳の子供がいるってどういうことだ!?」

それを聞くのか。デリカシーがないにもほどがある。……まあ、確かに私も全く気にしなかったというわけではないが……聞いてはいけないこともあるだろうに。

「え……?ああ……ははっ」

日暮の騒ぎ立てる言葉に、一瞬困惑した表情を浮かべた長瀬さんだったが、すぐに吹き出した。

「何言ってるの日暮。ときさんは42歳だよ」

42……!?

「うっそ!若すぎじゃない!?私、同い年ぐらいかと思ったわ!?」

「俺も」

20歳以上若く見えるなんて。……こんなにも現代社会とかけ離れた村のことだから秘伝の美容法でもあったりするのだろうか……など、適当なことを考えいると、いつの間にか屋敷をでていた。

「……にしてもあいつ、癪に触る」

泉野さんは、強い口調で言い出した。

「隼かあ?」

「ああそうだよ。全く、俺たちをなんだと……てか日暮、お前よくブチギレなかったな?」

「まさか、ときさん……綺麗な人がいたから……?」

「彼女、既婚者子持ち」

「っせえな!違ぇーよ!……これは俺の作戦だ」

作戦……?

「ここでブチギレてギクシャクしてよお、もう協力してくれなくなったらどうすんだあ?あいつはかなり良い戦力になるし、仲良くしとくに越したことねーって!そうだろお?」

日暮……珍しく納得のいくことを考えているじゃないか。

「あの日暮バカがここまで成長するなんて」

「人生何が起こるかわからないものね」

「大雪対策しとかないとね!」

「全員完っ全になめてんな?」

…………今日はなんだから、自分が人間らしかったような気がした。この雰囲気にも慣れてきたし、嫌ではない。……もしかしたら、これが私の求めていた世界の縮小図なのかもしれない。

「……でも、水の泡だね。私さっき隼さんと喧嘩したから」

「ええ!?」

「川森ちゃん……!?」

「はあ!?川森お前……!?」

「やるなエリートSP」

私は自分の顔が少しにやけいるのに気がつき、見られないようにすぐにみんなを追い越して歩くようにした。

……見られたくはないが、今は今の私が嫌いじゃない。


『私、大人になったらいつか……!』


未来では“いつか”と夢を見られるように、私は今、世界を変えたい。

「ちょっと、川森ちゃん早いわよー!」

「おっ、勝負すっかあ?」

「あ、待って、日暮!」

「俺は走らないからな」

「ビリだったやつは川森から往復ビンタ10発だぞ泉野」

「はっ?勝手に…!」

「仕方ない、走るか」

「泉野さん?」

全く……何でこの人たちは走るのがそんなに好きなんだろう。みんないい大人だろうに…。

「川森」

ふと前を見ると、日暮だけが立ち止まり、いつものいたずらな笑みを浮かべて手招きをしていた。


「……はいはい」


これまでの私なら、こうは言わなかったはずだ。

そう、私はこの人たちと関わって、知らなかったことを知って、変わった。


『お、ちょっとな』


そうか。日暮と再会したときのあの言葉……そういう意味だったんだ。

“戻った”………のかもしれない。少しなら。


私は、これまでの自分ではないように、彼らを追いかけ走った。

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