第11話 信用と疑い、そして安心

緑の風が首を撫でる。

ザワサワと木々が騒いだ。

この男は……何者だ?


はやぶさ兄さん!」


長瀬さんの嬉しそうな声が高鳴った。

……兄さん?

「…………あゆむか!?」

長瀬さんは、戸惑う私たちに、満面の笑みで言った。

「兄弟子だよ!長瀬ながせはやぶさ兄さん!」

隼、と呼ばれた男は刀を素早く鞘に戻し、膝をついた。

「我が弟弟子おとうとでしの友人とあろう方々にご無礼をいたした。長瀬一族分家嫡男、隼にございまする」

本当に武士のような口調に、私たちは唖然としていた。

「こんな一族とか分家とか嫡男とか、難しいこと言う人いたんだなあ」

あまりのデリカシーのない言葉を放つ日暮に、鋭い視線が集まる。

「……なんだよお?」

隼さんは立ち上がり、長瀬さんの顔を見つめた。

「歩。道場を去り、何をしていた?」

「ああ……えっと……説明はあとでゆっくりするから。……助けてほしいんだ!」

隼さんは長瀬さんの言葉を聞き、少し眉を動かした。視線は私たちが乗ってきた黒い車に注いでいる。

「微かな血の匂い……怪我人か。こちらに」

隼さんは瞬時に状況を把握し、村の方へ歩き出した。

「…………なんか、すげーガチの武士みてーだなあ」

「末裔、とかかもね」

日暮に続き、泉野さんが歩き出す。

「……川森ちゃん」

ぼーっとしていた清野せいのが、私の顔を目をキラキラ輝かせてのぞき込んでいた。

「……この村、もしかしてすごく歴史的な文化が残ってるのかもしれないわ!」

そうか、そうだった。

清野は歴女……典型的な歴史オタクだった。

状況が状況だが、憎めはしない。

…………清野が笑ったことに、少し安心した、ということだろう。

スキップに近い足取りで泉野さんたちを追いかける清野をしばらく見つめ、私はクロエを抱えてゆっくり追いかけた。





「あらー、結構傷深いわね」

村に入ってすぐの屋敷の、台に寝かせたクロエを、隼さんの知り合いらしき若い女性が、ドラマなどでは見ない医療器具で調べている。

はやぶさ、あんた、女の子には少しは手加減というものをねえ」

「この怪我は私がやったものではないぞ」

太く長い三つ編みを揺らして、女性は私たちの方を振り返った。

「普通の病院じゃあ、まあ無理だね。でも私なら……治せるわ」

ホッ、と空気が緩んだ。


「ひとまず村の漢方を飲ませたから、あとは回復を待つだけ。……そうだ、自己紹介がまだだったわね」

彼女はメガネをカチッとかけ直し、明るく笑った。


「長瀬一族分家、つづみ。笑っちゃうけど、一応、隼の許嫁いいなづけよ」


許嫁いいなづけ……。

本当にこの村は古風な文化が残っているものだ。文化、と言っていいのかわからないが……。

ふと見ると、日暮ひぐれ清野せいのに耳打ちをしていた。

「おい清野、“イイナヅケ”ってなんだ?歴史っぽいからオタクのお前はわかるだろ?」

「人にものを聞く態度かしら?…………まあ、簡潔に言うと、決められた“婚約者”よ」

日暮は“あー”というふうにうなづいて、また正面をむき直した。

「鼓姉さんはこの村の病院の娘さんだから。医者としての腕はどこよりも信用できるよ!」

長瀬さんは穏やかな表情を見せた。

「あらあゆむったらー!随分と褒めてくれるようになったじゃないのぉ?」

鼓さんは、長瀬さんのほっぺを両手で掴んで引っ張った。

「痛たた、鼓姉さん、僕もう大人だよ!20歳超えてるんだからね?」

長瀬さんが困ったようにそう言うと、鼓さんは少し黙り、目を細めて寂しそうな笑顔を浮かべた。

「あーそうか…………もうそんなに経つんだ。歩が村を出てから……えっと……5年、ぐらい……?」

5年前……。

澪が兵に出た年だ。そして…………死んだと告げられた年。

「……長瀬さんは」

私が口を開くと、静かに視線が集まった。


「………どうして……村を出てまで澪を探してくれるの?」


長瀬さんは微妙に表情を変え、目を逸らした。

それでも、私は尋ねる。そんな相手は慣れている。


「澪といつ知り合ったの?」


私は幼稚園の頃からずっと澪といた。澪が関わったほとんどの人を私は知っているはずだし、私が関わったほとんどの人たちは澪も知っている。

でも、澪を探している人たち……泉野さんやクロエ、そして長瀬さんのことは知らなかった。日暮の友達だったとして、なぜ危険を冒して澪を探してくれる?

それに長瀬さんや隼さん、泉野さんは。兵に出なくていい理由が何かあるはず。長瀬さんたちの村は政府に把握されていない。でも、こんなに武道に優れた人々が見つからずに兵士にならなくていい理由なんて……。

暇そうに椅子に腰掛けていた日暮が、むくっと立ち上がった。

「俺が話すとげぇからな」

日暮は、わざとらしく私にそう言ってにやっと笑った。

「……歩、お前には私も聞きたいことがある。師範は教えてくださらなかったのだ…………。お前が急に村を出た理由わけを……」

長瀬さんは何か考えるようにうつむいて、深く息を吸ってから、ゆっくりと口を開いた。

「…………僕が13歳のとき……村からずっと離れた森の裏側に行ったときにね、政府の飛行機が墜ちてきたのを見たんだ」

政府の飛行機が?

困惑する私たちの前で、隼さんと鼓さんが目を見開いて動揺する姿があった。

「聞いていないぞ!?何故報告しなかった!?」

「そんなの……!村が危険じゃない!!」

「そうなんだけど……!2人乗りぐらいの小型の飛行機だったから多分村も気づかなかったんだよ。それで、近づいてみたらやっぱり乗ってた人は動かなかった。2人倒れてて1人はSPバッジを付けてた女の人でもう1人は……性別はわからなかったけどひどい怪我してたんだ」

「それで、長瀬はどうしたの?」

「どうしたらいいかわからなかったから、とりあえず村に戻ろうとしたんだ。そうしたらSPの女の人が呼び止めてきて僕に…………」


『……誰かに話してはだめ。あなたが殺される………それと、あいつを逃がさないで……』


「その、“あいつ”って……」

「もう一人の人、しかないと思う。それでその人が倒れてたところを振り返ったら……いなかったんだ」

沈黙が続いた。

SPとそうでない人間………。逃がしてはいけないということは、護送していたのだろうか?どこに?……いや、1人の罪人にSPが1人で、ということがあるか?それも小型の飛行機で……。それに、そのSPの女は何で長瀬さんを守ろうとした?本来なら……“本来”であってはならないが……政府の人間は口止めするのは当たり前。重傷を負っていたとはいえ、そんな異様な光景を見られた一般人を放っておいてはならないはずだ。

自問自答を繰り返して訳が分からずにいると、隼さんが何か気がついたように声を上げた。

「そうか……もしかして数年前、村の近くまで政府の人間が彷徨いていてしばらく隠れて暮らしたとき……あれは墜落した飛行機を捜索していたのか……」

「私らが15の時だね」

私は、思い切って……いや、SPなのでそんなに躊躇する必要はないのだが……話の流れの間に、聞くことにした。

「じゃあ……長瀬さんたちの一族が兵士にならなくていいのは……?」

今度は、隼さんが話し出した。思いのほか何も気にせず話してくれた。

「それは……長瀬一族は表向きが医療機関で、街のほうではちゃんと兵士が利用する政府公認の病院を経営してる故。村の場所はバレていない。長瀬一族はもっと栄えているのだ。隠し通すため一族の中でも特に医学に長けた者が街の方に住んでいる……私たち村の住人は戸籍もない」

戸籍もない?

今の政府が見落とせるようなカモフラージュができるなんて、この村は…………この人たちは何者なんだ?


「……それに僕、師匠にはちゃんと伝えたんだ。飛行機のことも、SPのことも」

「……そうか。何故に師範は私たちに知らせなかったのか……」

「多分、色々あるんでしょ。師範のことだし」

「……まあとりあえずよお、その件はゆっくり考えることにしようぜ?」

これまで黙って話を聞いていた日暮が、沈黙を遮るように言った。

「……日暮、めんどくさくなっただけじゃないかしら」

「はあ!?」

「話が難しすぎて一ミリもわかんないんだろうね」

泉野いずみのてめっなめてんじゃねえぞ!?」

「まあでも、確かにすぐに解決できる問題ではないから。クロエが回復するまではここを動けないし」

泉野さんは、“荷物を取ってくる”と、日暮と清野を連れて一緒に車のほうへ行った。

…………そういえば、長瀬さんの“澪との関係”を聞いていなかった。

そうか、隼さんが上乗せで質問したからその話になって……それは私も知りたかったことだったから、自分の用件を忘れて、聞き入ってしまっていたんだ。

…………自分の用件を忘れる?

待て。そんなことが私にあっただろうか?SPの私が。

私は話が始まる前のくだりを思い出した。


私が尋ねた時の長瀬さんの表情。何か言いにくい過去でもあるのかと思ったが、そのときの隼さんや鼓さんはどうだった?どんな反応をしていた?


『……歩、お前には私も聞きたいことがある』


隼さんの上乗せした質問。よく考えたらタイミングがおかしい。私が話を持ちかけて、まだ答えも返ってきていないのに失礼ではないか?あの様子からして、彼はそんな子供のような態度はとらない。武士のような雰囲気さえ纏っていたほどだから、誠実なんだろう。


…………意図的に話を逸らした?


…………なぜ?


「じゃあ、私はちょっと倉庫に言ってくるわー」

その声が聞こえたときには、鼓さんはもう部屋を出ていた。さっきまであった薬瓶がなくなっていたから、薬をとりに行ってくれたんだろう。

クロエが眠る部屋には、私と隼さんだけになった。

隼さんは、じっと窓の外を眺めていた。特に話すこともないから、私はクロエを静かに見つめていた。

「……川森殿」

突然、隼さんは目を合わせずに口を開いた。


「私は……弟弟子の信じる人であるが故、あなたを信用している……SPのあなたを」


隼さんは言い切ってから振り返り、まつげの長いつり目で私を見つめた。まさに、何かを狙う“ハヤブサ”のように。

「……私は、ある目的があってみんなに協力しています。あなたが私を信じようが信じまいが関係ありません。他の人たちにだって…………それに」

私は、隼さんに一歩近づき、同じように鋭く見つめ返した。


「私も………あなたを信用しているわけではありませんから」


お互いに目をそらしてからも、沈黙が続いた。

平和すらないのに、平和ボケ、しているのかもしれない。

“信用”はなくていい。ただそれぞれ目的を持って、同じように動いて、同じ到着点まで辿り着くのなら、意味なんて関係ないのだから。


「ただいまー」

部屋に、車のところまで行っていた長瀬さんたちが荷物をもって戻ってきた。鼓さんも一緒だ。

「鼓さんが部屋を貸してくれるとよお!しばらくいさせていただくことになるしなあ?」

周りを見渡すに、荷物がほとんど長瀬さんの手にあることに唖然としているのは私だけらしい。

「私はそろそろ修行に戻る」

「うん。ありがとう、隼兄さん!」

隼さんは私のことをさりげなく睨みつけ、部屋を出て行った。

「そういえば、鼓姉さんは修行行かなくていいの?」

長瀬さんは明るく鼓さんを振り返った。

そうか。長瀬一族だから、鼓さんも何か武道を……。

雰囲気は変わらないが、鼓さんの顔が微妙に曇ったような気がしたのは、気のせいだろうか。

「僕たちのことは大丈夫だから、鼓姉さんも修行行ってきてもい」


「辞めたんだー」


鼓さんは、長瀬さんの言葉を遮ってそうつぶやいた。

「…………え?」

「剣も合気道も、全部辞めたの。やっぱり、“女は続かない”って、正解だったんじゃない?」

苦笑しながらそうぼやいた鼓さんだが、少し寂しそうな言い方をしていた。

「そんなことっ……」

「いいのいいの。別にね、無理矢理辞めさせられたんじゃないからねー。結局自分から辞めたんだよ。私はそんなに気にしてないからー。ほらみんな、さっき歩に泊まってく部屋教えたから、荷物置いてきなよ。クロエちゃんの薬、ここ置いとくねー」

早口で話しながら、鼓さんは薬を手際よく並べて、部屋を出て行った。

「鼓姉さん……」

この村は、そういうところも古いのか。

政府の人間……兵士は別だが……SPは、男も女も関係なく戦っているのに。

「鼓姉さん、小さい頃からずっと武道やってたんだよ。最初はほぼ全部やってたみたいだけど、最終的に剣道と合気道に絞ってね……子どもの頃は男なんて相手にならないぐらい強かったんだ。でも大人になるにつれて、体格差とか出てきちゃって……それでもすっごく練習して、ついていってたのに、女が武道をやるんじゃないって言われてた……まさか本当に辞めるなんて…………」

長瀬さんがうつむいていると、日暮が腕を組んで口を出した。

「でもよお、なんで鼓さんがそんなガチになるまで周りのやつらは止めなかったんだ?そんなに女が女がって気にすんならよお、もっと小さい頃に辞めさせることもできるだろ」

「それが……鼓さんって、長瀬一族の中で当主……僕らの師匠の次に偉い系統なんだ。医学に長けた、ね」

「なるほど……“お姫様”ってわけね」

「そんな感じ。だから周りもあんまり言えないんだよ。鼓さんのお父さんも優しいから……でも、さすがに周りの声がうるさくなったの、かも……」

…………世界の裏側には、こんなにも絶えない、消されたと思われた文化が残っているんだ。それによって苦しむ人がいるなら、消し去ってしまえばいいのに。

「……とりあえず、その当主さんに挨拶しに行きましょうよ?」

清野が沈黙を遮って、優しい笑顔で言った。

「そうだね。俺らはお邪魔するんだし」

「“歩がいつもお世話になっとるのお”みたいなこと言われるんじゃねえのお?」

「……っはは、師匠そんなこと言わないよ!……でも、そうだね。僕も会いたい。……行こう!」

長瀬さんはさっきまで沈んでいたのが嘘のように、軽い足取りで部屋を出て駆けて行った。

「おっ、競争か!?」

「ちょ、走るの日暮!?」

「やだよ俺は」

「ほら、凛さんも!」


ダダダダダダダダダダダダ


なぜ、走ることになるのか。

でも……清野や長瀬さんたちの背中と笑顔が、どことなく昔のを思い出させて、不思議と不安を払っていくような気がした。

“信用”は、いらない。

それでも“安心”をおぼえてしまう私は、矛盾している。

…………いいか。別に。

少し、子どもに戻ったような感覚がした。

すごく楽だった。

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