第10話 緑の風

「…………あ…」

気づくと、灰色の煙が辺りに立ち上っていた。ところどころに火花が散り、頬がピリピリする。

「おいお前ら……無事か…!?」

日暮ひぐれの声が煙の間から微かに聞こえた。

「……なんとか大丈夫だよ」

「爆発自体はそこまでの威力があったわけじゃないな。多分、戦場用の広範囲なやつだろ……」

煙が去っていき、だんだんみんなの姿が見えてきた。

紙一重のところで私たちはなんとか廃墟から逃げることができた。

しかし、あのは壊れてしまった。

「ここは無法地帯だし、政府のやつらがくるまでに時間はあるだーが、とっとと退散しねえとマズいな……」

日暮は頬の傷をこすってこちらに近づいてきた。

「ああ……煙が落ち着いたら一度中に入って残ったものを持ち出そう。幸いすぎるが車が無傷だ。少し離れたところに隠してたからな……」

「じゃあ僕、行ってくるよ」

なぜか誰よりも元気そうに立っている長瀬さんが、口にハンカチを当てて廃墟に近づいた。

「煙が落ち着いてからって!」

「ああ、ごめん」

…………そういえば、清野は……


「川森ちゃん!日暮!まさくん!長瀬くん……!」


後ろのほうから清野の泣いているような震えた声が聞こえた。

振り返ると、そこにはボロボロに涙を流した清野がこちらを向いていた。


「クロエが……クロエが……!!」


「…………!!」


大量に出血したクロエは、地面に寝そべっていた。

全く動かず、呼吸しているかもわからない。

確実なのは、かなり危険な状態だということ……。

「……長瀬、もう中入っていいぞ。とりあえず情報機器と、貴重品、それから医療器具優先でできるだけ持って来い」

「……わかった」

「俺も行く」

長瀬さんと日暮が去った後、泉野さんは廃墟の方へ歩いていきながら清野に言った。

「川森凛とクロエを車に運んで。そこに少しなら医療器具があるでしょ。応急処置ならできる」

「でもそのあとは?こんな傷、ちゃんと処置しないと……」

泉野さんは、足を止めて振り返った。

「大丈夫だから」

その言葉は強く重く感じた。まるで、何かを押さえ込むようだった。

清野はうつむいたまま、しばらく動かなかった。

「……行こうか」

私は清野の手を引いて立ち上がらせ、クロエを抱えて一緒に車のところへ向かった。





ひと通り荷物をまとめ、私たちは車に乗り込んだ。

泉野いずみのさんの車は意外と広く、クロエを寝かせても十分みんなが乗ることができた。

こういう場合に備えたものなのだろうか。

「じゃあ、いいな、みんな。出発するぞ」

「うん」

車が走り出す。沈黙の空気が漂った。

「あの様子だと、議員の息子は爆発でバラバラになったよな」

泉野さんは、その空気を遮るように話し出した。

「山梨自体が爆発した。あれで生きてるってことはないと思う……」

いや、そもそもあれは、生きていたのだろうか。

まるで人間の形をした機械のようだった。

「川森。あいつが、例のプロジェクトへのツテだったんだろ?」

「うん……」

「あいつ自身も、プロジェクトに関わってるって線はないか?」

山梨も……?

「加盟してたとは聞いてないけど……」

…………とにかく確かなのは、私が提示した作戦、山梨を利用するというものは実行不可能になったことだ。

また話し声はなくなり、沈黙が続いた。

車は、できるだけ裏の方を通って進む。

「…………待って、どこに行くの?」

私たちはまだ行き先を聞いていない。しかし泉野さんは迷わず運転している。

「クロエをまず病院に!」

清野が運転席に身を乗り出して強く言った。

「でもよ……普通の病院には行けねえよなあ。銃弾で俺たちが何者かもバレちまう。どうすんだよ」

それはそうだ。どこか隠蔽できるようなところに行きたいが、そんな場所すぐには見つからない。

「早くしないと、クロエが危ないわ」

急がないと……。

ミラーに映る泉野さんは難しい顔をしていた。

「……僕、知ってる」

え?

長瀬ながせ、なんかあるのか」

長瀬さんはゆっくりとうなづいた。

「僕、日暮たちと会う前に、道場に通ってたんだ。今は長期休暇というか、ほぼ辞めたというか……なんだけど、たまに師匠と連絡とってて。師匠の道場関連で、その…いわゆる“隠蔽できる病院”があるんだ」

隠蔽できる病院……!?

「それ、信用できるの?」

「もちろん!師匠は僕にとって父親同然だし、兄弟子たちもいるし!」

「でもなんで、道場付属の病院で隠蔽ができるんだよ?」

長瀬さんは日暮の言葉に、少し躊躇っていたが、自信なさそうな顔で、口を開いた。

「その……道場がね、意外とやばいことしてたりしてなかったりだから、怪我人多くて……隠蔽の実績はたくさんあるよ!」

全員が顔をしかめた。

……怪しすぎる。本当に大丈夫なのだろうか。

「でも、長瀬くんの知り合いなら大丈夫かも……」

まあ、これ以上のツテはないし。

「……行ってみるか。長瀬、なんて場所だ?」





ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


ガタガタガタガタ


車が激しく揺れる。

日暮ひぐれの不満そうな声が、助手席側から雑音に紛れて聞こえた。

「おい、泉野いずみの。運転下手だぞ?」

「っせえな!」

無理もない。今走っている山道はとてもごつごつしている。普通車では走らせるだけでも難しいだろう。

しかも…………

長瀬ながせ…!なんでこんな細っい道通んなきゃなんねえ場所に道場があんだよ!?」

「し、知らないよ!そんなの…!」

窓のすぐ外は地面が見えないほどの崖っぷち。落ちてしまったら、命どころか私たちの腕や脚やらがなくなるだろう。

「師匠の道場は人目につかない場所にないといけないんだ。修行の妨げになるって……」

「仙人かよ!?」

仙人……。

そう言われれば、この山は霧が濃いような気がした。木々は街中のビルなんかよりずっと高いし、空気も澄んでいる。

ただし、その完璧な自然の景色が、なぜだか奇妙な雰囲気を纏っているように思えた。

「本当に……仙人がいたりして」

まだ沈んだ目をした清野せいのが、うつむきながらつぶやいた。

「はは、まさか……」

日暮はビビっているのか、少し声を震わせて自信のなさそうな笑みを浮かべた。

こいつは昔から、オカルトに弱い。

「……よし!僕がこの場を盛り上げよう!」

長瀬さんが急に声を上げ、ポケットに手を突っ込み、スマホを取り出した。

「何をする気だ長瀬?」

「こういうときはもちろんこの曲だよ!」

長瀬さんは満面の笑みで、スマホを操作し、再生ボタンらしきものを押した。



おばけなんてなーいさ


おばけなーんてうーそさぁ


ねぼけたひとがぁ……



…………え?

「おーい長瀬何をしている!!?」

日暮はわめき散らかしながら後部座席の方に手を伸ばしてきた。

「危ないわよ、日暮。やめなさい!」

「長瀬、余計なことするな」

「え!?なんで!?」

この曲って……。

こんな童謡に覚えがあるのは、確か“賢太郎けんたろう”がよく聞いていた曲だから……。

これは偶然なのだろうか。



『私たちは……えっと、熊頭…じゃない、賢太郎さんに会いに来てて……』


『なんで……あいつを知ってるの?』


『えっ……だってよお、あいつが捕まったとき俺たちが……』


『あ!えっと、賢太郎さんの友達と…!実は知り合いで!それで!会ったこともあって……』



待て、この会話はなんだった?

あのとき……そうだ、仕事で刑務所に行ったとき。

日暮とクロエに会って……。

言いかけたんだ、日暮が。



『えっ……だってよお、あいつが捕まったとき俺たちが……』



捕まったとき?

つまり、私が指揮をとった賢太郎捜索部隊が行ったあの山へ、この人たちも行ったのか?

…………気づけなかった。私情とか、そういうのに慣れていなかったから。

私は表面的には政府の人間だと、忘れてはいけない。

だからといって、今この人たちを売ったところで私になんの利益もない。

そう、賢太郎に関しては“目的”がある…………。


「どうしたんだあ?川森」

日暮は、不思議そうに、黙っていた私を見つめていた。

「……いや、なんでもないよ」

……

「ねえ、いつになったら着くの?」

珍しく機嫌の悪そうなトーンで、清野は長瀬さんを横目に見て言った。

よく考えたら30分以上このガタガタな道を走っている気がする。

「えっ…と、この道を越えたらすぐだと思うけど…」

「思うってなんだよ。お前しか知らない場所だろ」

「いや、僕もこんな道から行ったことないんだよ……師匠の家に住んでたし、街に行くときはそこの崖から降りてたから」

え。

私たちは窓の外を覗く。

「どんな神経だよ……」

「ほんと」

「ちょっ…お前ら、片方に寄るな!崖から真っ逆さまだぞ!」

泉野さんの焦り気味な声が車内に響いた。

不満そうな顔をして、みんなはまた元の席に戻る。

「はーい」

「ごめんなさい」

「チッ」

「なんで日暮キレてんだよ、死にてーのか!?……ったく、いつまでもこんな危ない道が続いてて、本当にその場所には着くんだよな?」

泉野さんはイライラした感じで正面から目を離さずに長瀬さんに尋ねた。

「うん……」

自信のなさそうな長瀬さんの言葉に、泉野さんは短くため息をついた。

少しうつむいて黙っていた日暮が、真面目な顔になって口を開く。

「……早くしねえとクロエがやべーぞ」

「そうよ。それに……みんなだって、爆発で無傷ではないわ……」

そう言われれば、そうだ。

私たちは戦闘派が多いが、清野や泉野さんはそうではない。治療は必要だ。あまりにも長い時間放っておいては危ないかもしれない。

「……まあ、色々言ったって早く着くわけでもないからな……あんまり車とばすのもこんな崖じゃあ……」

突然、泉野さんが言葉を止めた。

「まさくん?…………あ!」

「………!」

見えた。細い道が終わり、また山の景色が。

そして、緑の木々の間、その奥の方に、村のようなものがあった。

長瀬さんは目を輝かせて、身を乗り出した。


「……ここだよ!僕の育った道場のある村!……“長瀬村”だ!」


泉野さんは車を広いところにとめて、外にでた。

続いて日暮たちが飛び出す。

最後に私が出て、泉野さんは鍵をかけた。

…………不思議なところだ。緑ばかりだからか、空気や風まで緑色に見えた。霧はさっきよりも濃い。

何よりも、村がまるで自然のもののように見えることが不思議。馴染みすぎていて、こんなに近くへ行かないとあるかどうか気がつかないのだから。

排気ガスや腐臭だらけの街とは大違いだ。空気は今までにないぐらい澄んでいる。

「綺麗な場所ね」

清野は少しだけ笑みを浮かべてつぶやいた。

「とってもいいところなんだよ。村は小さいけど、みんな同じ一族でね。修行しながら静かに暮らしてるんだ」

「そういえば、“長瀬村”って言ってたけどよお」

「え、うん。そうだよ」

長瀬さんは日暮の顔を見てけろっと言った。

「お前の一族?の村なのか?」

日暮の言葉に、長瀬さんは眉を少し動かし、表情が固まった。

「ああ……それは」


「何者だ」


背後から太く低い声に、反射的に私たちは振り向いた。

そこには、髪を高い位置で結び、藍色の着物を着た目つきの悪い男が立っていた。

カチャッと刀を抜く音が森に響く。

まるで戦国の武士のような姿に、私たちは立ちすくんだ。

………音がしなかった。村からきたなら、どうして気づかなかったんだろう。

何故なにゆえに村の場所を知った?」

ただでさえ目つきの悪い男は、ぎゅっと私たちを睨んだ。

恐怖に近いものを感じたのは何年ぶりだろう。

冷たいものが背中を走った。

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