第2話 僕らの出会い

 僕らはどうしようもない高校で出会った。「僕ら」というのは、僕とケントと直樹のことだ。「どうしようもない」というのは、本当にどうしようもないということで、だらしなくてろくでもなくて、そしてそこには学ぶべきものが何一つないということだ。実際その高校には殺人以外は何でもあった。喫煙、いじめ、恐喝、窃盗、援交、麻薬、暴力。少年犯罪に関するほとんどのことを、実際僕はここで目撃した。でもこんなことはどこでも起こっている、ごく普通のことだ。

とにかく僕らはその学校で同級生として知り合った。ボクシング狂いのケント、喧嘩ばかりしている直樹、そして中学時代引きこもりだった僕は、たまたまこの高校で出会ったのだ。


 僕が中学時代に引きこもりになったのは、いじめが原因だったような気がする。でも実際のところよく覚えていないのだ。中学一年の二学期、確かに最初はいじめられるのがいやで休んだ。でもそれは最初の三日間だけで、その後は理由なんてなかった。ただ家から出るのが面倒で、外に出なくなった。家の中の生活は全く満たされていた。特に学校に行ったり外出したりする理由はないように思われた。外の世界は寒くて、人間関係も厳しかった。家の中でテレビを見ていれば情報不足になることはないし、インターネットがあれば娯楽と他人との交流の両方を実現できる、そう思えた。

 インターネットにつなぐとすぐにバトルに参加した。バトルとはオンラインゲーム上でのバトルだ。インターネットで接続した仮想現実で多数の人と組んだり戦ったりできるシステムだ。ここで戦っているのは参加者ごとのキャラクターだ。自分で気に入った髪形や服装が選べる。キャラクターは自分たちの分身だ。現実の世界では決してなり得ない分身なのだ。僕は自分と違って色黒でがっちりした体型のキャラクターを選んだ。

 学校にも行かないで一日中ゲームをしていたせいか、僕のキャラクターはすぐに強くなった。そうすると一緒に組んで戦おうと誘ってくる仲間も増えていった。強くなればなるほどゲーム仲間からの救援要請が頻繁になってくる。協力して敵を倒した時は本当にうれしかった。仲間からも頼りにされている。いつしか現実の世界に無理して出て行く必要なんて感じなくなっていた。インターネットの中にだってれっきとした現実がある、この中でしばらく暮らそう、そう思った。僕は学校には全く行かなくなり、ますますゲームの世界にのめり込んでいった。

 時々はチャットのサイトに入って、いろんな人と話をした。そのせいか世間から孤立しているという感覚はなかった。ほとんどはナンパ目的のサイトだったが、中には真面目なテーマを語り合うインテリなサイトもあった。僕は女の子にも一応の興味はあったので、ナンパチャットとインテリチャットの両方へ行った。インテリチャットには真偽は不明だが、大学生や新聞記者、弁護士、医者、大学教授なんて人まで来ていた。

 僕が不登校の引きこもりだとわかるといろいろな人が盛んに話しかけてきた。新聞記者は少年問題の取材のために入ってきたらしい。僕は取材に少し協力してあげたけれども、やたらしつこいので途中でやめた。法学部の学生は十四歳未満は犯罪を犯しても罪には問われない、と教えてくれた。今のところ犯罪を犯す予定はないと答えておいた。脳科学の研究者は麻薬・覚醒剤には絶対に手を出すなと言っていた。人間の脳は麻薬よりももっといいものを自分で出せるのだ、それを脳内物質というのだ、とも言っていた。

 僕はインターネットの検索で「脳内物質」について調べてみた。ノルアドレナリン、ドーパミン、セロトニン、β‐エンドロフィンなどたくさんあるらしい。

インターネット上には膨大な情報が溢れている。しかもそのほとんどが、ただなのだ。僕はますます外の世界に出て行く必要を感じなくなった。

そうやって僕は中学一年の後半から中学卒業までの二年半を家の中で過ごした。その間、実際に言葉を交わしたのは家族だけだ。他人とどうやって音声でコミュニケートするのか、ほとんど忘れてかけていた。

それでも僕が高校に進学することになったのは、母親が泣いて頼んできたからだ。僕としては断るのも面倒だったので、受験することだけはしぶしぶ承知した。しかし運悪く僕の受験した高校は定員割れしてしまい、受験生全員が合格してしまったのだ。

僕はこれからのことを考えると少し憂鬱であったが、母親が制服の採寸やら教科書の購入やらにいそいそとついて来て僕の世話をうれしそうに焼いているのを見ると、悪い気はしなかった。僕にしても、こうやって誰かが無理やりにでも引きずり出してくれないといつまでも引きこもっていただろう。そろそろ引きこもりにも息苦しさを感じてきたので、いい頃合というところだろうか。

入学式は高校の体育館で行われた。僕はあまりの人の多さに目まいを感じた。入学式は式次第通りにおごそかに進んだ。これから起こる息苦しい生活を象徴しているような式だった。

 入学式の後、教室で担任が簡単なオリエンテーションを行った。担任は三十代半ばの男で、何だかやる気なさそうに説明していた。

リアルワールドは僕や母親が想像していたほどやはり甘くはなかった。二年以上誰とも話をしていなかったのだから、急に集団生活に馴染める筈はなかった。当然のように僕はいじめの標的になった。中学の時に不登校だったことが知られるといじめはいっそう加速した。最初はからかいから始まり、それが軽い暴力に、暴力は徐々に過激になっていき、やがて金をせびられる。お決まりのパターンだ。

 今日も僕のところへヤンキー三人組がやって来た。こいつらのいじめは最終局面に入っていた。つまり恐喝段階だ。

「お前さあ、中学校卒業もできてないのに、どうして高校に入れるわけ?」

「卒業はしてるよ。義務教育なのだから。」

一人が急に僕の腹を蹴る。不意打ちされた驚きと腹を蹴られた苦しさで、僕の顔は歪む。

「そういうとこ、生意気なんだよ。」

別のやつがニヤニヤしながら言った。

「明日、授業料持ってきてくれる。」

「いくら?」

「一万でいいや。」

「わかった。」

僕は相手の目を見ないように俯いて答えた。

「はい、わかりました、だろ。」

そいつは髪の毛をつかんで、無理矢理顔を上げさせた。

「はい、わかりました。」

これで彼らは去って行った。しかし彼らは明日確実に僕から金を巻き上げるだろう。

どうにかしてこのいじめを食い止める必要があった。じゃなければ僕は何十万円と巻き上げられるだろう。そのうち親の銀行口座にまで手を出すかもしれない。何とかしなければと焦れば焦るほど、僕は危ない解決方法しか思い浮かばなくなっていった。

 ゲームならどう戦うだろうか、僕は考えた。まず武器が必要だ、そして技とパワーと経験。協力者は欲しいところだが、今はいない。僕は一万円札を母親の財布から抜き、大きめのカッターナイフとともにポケットに突っ込んだ。

 次の日、三人組はすぐの僕のところへやって来た。僕はカッターをズボンの右のポケットに、一万円を左のポケットに入れておいた。今日金を出してしまえば、要求がますますエスカレートすることは目に見えている。

僕はカッターを出すことに決めた。けがまでさせなくていい、制服を切ってやるくらいでいい、追い込まれたネズミがどれほど怖いかを教えてやるのだ。

「お金持ってきたよね。」三人が僕の机を取り囲む。ポケットの中でカッターの刃を二段ばかり出す。カチッという音がしたが、やつらは気づいてない様子だ。口がカラカラに渇いて、心臓が今にも飛び出そうなくらいバクバクしている。ポケットの中でカッターを握る手に力が入る。

 その時突然、背後から右手を捕まれた。そいつは小さな声で「やめときな」と僕に言った。そして三人の前に立ちはだかり、

「お前たち、カツアゲしようとしてただろう。」と怒鳴った。

「何だ、お前は」一人がすごんだが、そいつは怯むことなく言い返した。

「つまらないことはやめろよ。見つかれば停学だぞ。」

「何だと、やるのか。」

一人が殴りかかった。しかしそいつは上半身を軽く反らしただけでそのパンチをかわし、空振りしたヤンキーは勢い余って机に突っ込んだ。怒りが収まりきらない様子で立ち上がると、再び殴りかかろうとするが、他の二人に止められた。

「あいつ、ボクシングやってるらしいぜ。」なにやらひそひそ話しているのが聞こえる。しばらくして別の一人がやってくると、

「今度こんなふざけた真似しやがったら、ただじゃおかねえぞ。」

と、捨て台詞を吐いて行ってしまった。

 それが僕とケントとの出会いだった。気がつかなかったが、ケントは同じクラスで席も割と近いかった。彼はボクシングを中学時代からジムでやっていて、今は高校のボクシング部に入っていると言った。

「本当は殴ってやりたかったけど、ボクサーのパンチは凶器と同じだ、絶対に手を出しちゃいかんって、ジムのトレーナーにいつも言われてるから。」

ケントはそう言って、自分の拳を見つめた。

「人を殴ったら、試合に出られなくなっちゃうからな。俺、ボクシングできなくなったら、何もやることないから。」

ケントは両拳を顔まで上げて構えた。そして一発、右ストレートを出した。目にも留まらぬ速さだった。あれを食らったら、ヤンキー達はすっ飛んで気絶していただろう。

「あ、ありがとう。」僕はやっとのことでお礼を言うことができた。

「僕、コースケ。中学校行ってなかったから、他人と話すの慣れてなくて。」

「気にすんなよ。話なんか、そのうちできるようになるよ。」

ケントはその後、何かと気を使って話しかけてきた。僕はケントとは何とか会話でいるようになっていった。

 ケントには直樹というヤンキーっぽい友達がいた。ボクシング部に入っているらしいのだが、直樹はケントとは違って、腹に贅肉がついていた。今の体重ならヘビー級だな、と僕は思ったが、怖くて言えなかった。

 直樹は受験の面接で「ボクシング部に入って、喧嘩が強くなりたい。」と言って、本当にそのままボクシング部に入部してしまったという輩だ。ボクシングの経験はないので、練習はきついと言っていた。特にロードワークが苦手らしく、直樹曰く

「俺は小学生の時からタバコ吸ってるんだから、走れるわけないじゃん。」だそうだ。

 直樹は最初、運動音痴の僕がケントと一緒にいることが気に入らなかったようだが、ゲームが得意だと知ると、いろいろなゲームの攻略法を聞いてきた。そうしているうちにだんだん親しくなっていった。友達ってこうやってなっていくんだ、そんなに難しいことじゃないんだ。僕はそのことに新鮮な驚きを感じていた。

 「お前をカツアゲしようとしてた奴ら、俺が痛めつけておいたから。」

知り合ってから数日後、直樹がそう言ってきた。

「俺はボクシングより喧嘩が好きだからさ。」

「ボクサーのパンチは凶器じゃないのか?」

僕はケントが言った言葉を呟いた。

「ああ、それは強い奴の話さ。俺のはまだボクシングになってないからいいんだよ。」

そんな理屈でいいのかな、と思いながらもあの三人組が直樹にやられている姿を想像して気持ちが良かった。

「それにあいつらのやったことは許せないからな。俺の友達をカツアゲするなんて。」

「トモダチ」という言葉が何ともくすぐったかった。

 「明日友達を連れてくるから」と僕が言った時の母親の喜びようったらなかった。まさに狂喜乱舞とはあのことだ。親戚や知り合いに電話しまくるし、そのうち泣きながら仏壇に線香を上げだす始末だ。長らく引きこもってた息子が友人を連れてくるのだから、仕方がないのかもしれない。母は明日に備えてメロンを買い、掃除を入念に行った。僕の部屋も掃除しようとしたが、僕はそれを断固拒否した。母親はどんな友達なのかしつこく聞いてくる。僕が「ボクシング部のやつ」とだけ言うと、母は目を丸くしていた。

 次の日、ケントと直樹が僕の家にやって来た。二人とも体育会らしく挨拶は爽やかな大きい声でしたので、母は安心したみたいだった。僕は二階の僕の部屋に二人を通した。掃除しない六畳の和室は足の踏み場もないほど散らかっていた。ベッド、二十五インチのテレビ、パソコンが二台、オーディオコンポ、何種類ものゲーム機のコントローラーが畳の上で絡まっている。

「引きこもりはこれだからなあ。」直樹が呆れながら言った。

「直樹、少しは気を遣って話せよ。それにしても散らかってるなあ。コースケはホントにヒッキーだったんだなあ。」

ケントは僕を見て笑っていた。この二人は僕のことを認めてくれている。ありのままの僕を受け入れてくれるんだと思った時、少し胸が熱くなった。

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