二度と無い出会い

 せっかくなので、noteのアカウントにプロフィール写真を載せた。


 ご覧の通り、金色の虫である。


 何年か前、自宅マンションの駐輪場にいたのだが、そのあまりの金色っぷりに思わず写真を撮ってしまい、それ以来、何かとアイコン写真などに使わせてもらっている。だって凄く金色だし。


 本当は捕まえたかった。私は取り立てて昆虫好きな訳ではなく、どちらかと言えば虫は苦手な方なのだが、ここまで金色なら話は別だ。ぜひ手に取って、ゆっくりと観察してみたい。できれば連れて帰りたい。

 しかしその時、私は浅草演芸ホールの出番の時間が迫っていた。


 ギリギリに家を出てしまったため、この綺麗な虫を部屋に連れ帰っている時間はない。

 写真を撮るだけで精一杯なのが悔やまれていたが、その時ふと思い付いた。



 連れて行こうか。楽屋に。



 部屋まで戻っていたら電車に間に合わないが、その場で捕まえて浅草に向かう分には問題無い。別に荷物になる訳ではない。


 どうやって連れて行こうか。当然虫カゴなど持ち合わせていないし、虫を入れておくちょうどいいケースなども持っていない。

 鞄やポケットの中に入れて歩けば潰してしまう可能性もある。やはり手で持って行くのが確実だろう。


 だがいい大人がむき出しの虫を手に持って、電車に乗っていいものだろうか。

 万が一車内で逃がしてしまって、飛び回ったりなんかしたら迷惑になる。


 それに無事、虫と共に演芸ホールにたどり着いたとして、その後どうするかだ。

 出番の間、楽屋に放置しておく訳にもいくまい。繋いでおこうか。いや、犬じゃないんだし、虫を繋いでおけるちょうど良いリードも無い。


 やはり前座さんに預けておくのが得策だろうか。だが何と言って預けるのが正解だろう。

「出番の間、虫を預かっていて欲しい」などと言われても困るのではないか。と言うか絶対困る。



「虫はちょっと…」と言われてしまうかもしれない。そう言われても、中には「いいから預かってろ」と押し付けられる人もいるだろうが、あいにく私は、そういう強引な先輩風を吹かせるのが苦手である。断られたらそれ以上は強く言えない。



 ならば断る隙を与えなければいいか。高座に上がる直前に、何気なく「あ、ちょっとこれ預かっといて」と、なんの説明もなく何かを手渡そうとする。

 おそらく向こうは腕時計か何かだと思って、特に疑問も持たずに手を出すだろう。その手の上に、虫を置くのだ。

 置かれた方は戸惑うだろうが、高座に上がってさえしまえば、もうこっちのものである。



 と、ここまで考えて思ったのだが、これは嫌がらせではないだろうか。

 別にこちらとしては嫌がらせのつもりは無く、ただ純粋に預かっていて欲しいだけだが、説明も無く虫を手に置かれた方にしたらたまったものではない。

 昆虫ハラスメントだ。虫ハラである。


 ハラスメントと言う言葉は冗談半分で使うものではないとも思うが、虫が苦手な人だったらこれはシャレにならないハラスメントだろう。

 もし私が前座の頃に先輩から虫ハラを受けたら、多分その時点で心折れて噺家を辞めていた。それくらいの事である。


 辞めるまでいかなくとも、そんな奇行に走ったら間違いなく、その後長きに渡って仲間内で語り草になることは避けられない。

『出番前に虫を渡してくる女』として楽屋に名を馳せる勇気は、残念ながら私には無かった。そんな奴、もはや都市伝説であろう。


 そんな訳で、泣く泣くその金色の虫の入手は諦めたのだが、やはりいまだに少し後悔している。あれ以来、あんなに金色の生き物にはお目にかかった事が無い。


 やはり都市伝説になる覚悟で捕まえておくべきだったか。

 考えてみれば、あそこまで美しい虫なら、渡されてもなんとなく縁起のいい感じもする。

 ただの虫ではなく『出番前にめでたい雰囲気の虫を渡してくる女』なのだ。どちらにせよ都市伝説になってしまうことは免れないが、この都市伝説は人間の味方だ。


 渡された人には、ちょっとした幸福が訪れる。ただし、出番のたびに渡して来るとは限らないので、狙って受け取る事はできない。

 しかも必ずめでたい虫を渡されるとは限らないのである。もしかしたら飴玉かもしれないし、小銭の時もあるかもしれない。ハズレの時はガムの包み紙だ。



 ただし、『金色の虫』以外の虫を渡してくる事は絶対にないので安心して欲しい。この都市伝説は虫ハラを断固許さない。



 そう言う存在になら、ちょっとなってみたい気もする。

 懐に金色の虫を忍ばせて、高座に上がる直前に前座さんに声をかけるのだ。


「ちょっとこれ預かっといて」


 何の疑いも無く出された手のひらに、私はそっと虫を置く。

 その前座さんにはどんな幸福が訪れるだろうか。その日の高座が物凄くウケるのだろうか。売れっ子の師匠に気に入られて、仕事が増えるというのもありだ。ことによると、少額の宝くじが当たったりもするだろう。

 なんにせよ、一つだけ確かに言えるのは、私は死ぬほど嫌われるという事だけだ。

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