シャンプー台のやまんば

美容院に現れるやまんばの存在を知る人は少ない。


 というか、私しかいない。もし私以外にその存在に気付いている人がいたら物凄く怖い。

 と言うのも、そのやまんばは私の脳内にしか存在しないからだ。やまんばは、美容院でシャンプーをしてもらう時に現れる。


 小さい頃、漫画で読む日本昔ばなしのシリーズが家にあった。お馴染みの有名な話の他に、各地に伝わる民話の様なものも多く、幼い私のお気に入りだった。

 中でもとりわけ記憶に残っているのが、やまんばの話だ。どこの地方の話か忘れてしまったが、そこに載っていたやまんばは少し変わっていた。  


 旅人を襲って食べる恐ろしい一面がある一方、自分の住む山のふもとの村人とは妙に仲が良く、機嫌がいい時は農作業を手伝ったり、洪水で流された橋の修理を手伝ったりしてくれる、フレンドリーやまんばでもあった。


 村人からしたら何がきっかけで機嫌を損ねるか分からない人喰いババアの手伝いなんて、ありがた迷惑でしかなかろうと思うが、案外みんなすんなり受け入れてお祭りに呼んだりしている。村人も大概である。


 そんなフレンドリー人喰いババアの悩みは、いつも頭が痒いこと。村人との宴会の最中にも「痒い痒い」と言ってボリボリ頭を掻いていた。

 見かけた村人が掻いてやろうと手を伸ばすと、そこはやまんば、もさもさの髪の中からムカデや毛虫が這い出てくるもんだから、さすがの村人も腰を抜かして逃げ出してしまう。人喰いやまんばは平気で毛虫に驚く基準は謎である。

 それでも痒がる姿を気の毒に思った村人が代わりにクシを渡してやると、やまんばは大変にそのクシを気に入り、ガリガリとクシで頭を掻き「こりゃあ良いなあ。すごく良いなあ」と言いながら上機嫌で山に帰っていく。


 クシで頭を掻くやまんばの姿が、本当に気持ちよさそうで、なんだかとても好きだった。そのエピソードだけ、擦り切れるほど読んでいたのに、成長するにつれてだんだんとページを開く事も無くなっていった。


 時は流れて大人になった私は、そんな本の存在もすっかり忘れていた。忘れたと思っていたのだ。


 ある時、伸びてきた髪を整えるため、いつも行く美容院に向かった。なじみの美容師さんにいつものカットを頼み、いつも通りにシャンプー台に案内される。


 そしていつもの様に美容師さんの手が私の頭に触れた時、不意に記憶の底から、頭が痒いやまんばが飛び出してきた。


 「どれ、掻いてやろう」と村人が手を伸ばす。でも頭には虫が潜んでいるので、掻いてやる事ができないのだ。その時私は、やまんばと一体化していた。

 いけない。美容師さんが頭の虫に驚いてしまう。クシをくれれば自分で掻くのに。あの気持ちよさそうなクシさえくれれば。


 しかしさすが美容師さんはプロだ。村人とは違い、頭の虫をものともせず、ガシガシ頭を洗ってくれる。物凄く気持ちいい。やはり自分でクシを使うのと、人に掻いてもらうのでは、気持ちよさは段違いだ。

 そうか。あのやまんばも本当は、村人の手で頭を掻いて欲しかったに違いない。しかし虫に怯えるその姿を見て掻いてくれとは言い出せず、クシで喜んでみせたのだ。なんて健気な人喰いだろう。


 やまんばよ、もう我慢しなくていい。これからは美容院に行くたび、私の記憶から召喚して、人に頭を掻いてもらう心地よさを堪能してもらおう。

 その日から、私は美容院のシャンプー台でやまんばになる事を決めた。


 やまんばはまず、お湯に驚く。ちょうどいい温度に調整されたお湯がじゃぶじゃぶ出てくる道具など、昔話の山奥に住むやまんばが知る由も無いのは当然だ。

 そして何やらいい匂いのする液体を塗りたくられ、満遍なく頭を掻いてもらえる。虫たちはなす術もなく流されていく。やまんばは感動している。


 注意すべきはマッサージだ。美容師さんはただガシガシ掻くだけではない。ある程度洗い終わると、頭皮を強く押し込んでマッサージしつつ洗ってくれるのだが、突然強く頭を押されたやまんばが攻撃されたと勘違いする恐れがある。怒って美容師さんを食べてしまったら大変だ。

 だから私は脳内のやまんばに「これは頭の凝りをほぐしてくれているだけだから、心配はいらない」とちゃんと説明してやらねばならない。


 美容師さんは色々と気遣ってくれる。お湯の温度はちょうどいいか、力は強すぎないか、洗い足りないところはないか。その全ての質問に、私の口を借りたやまんばが答えているとは、夢にも思うまい。

 ちなみに答え方が分からないでお馴染みの「痒いところはございませんか?」という質問には、やまんばも「大丈夫です」としか答えられない。


 最後にタオルで全体をごしごし拭いてもらうのだが、実はやまんばはこの瞬間が一番好きだ。あと、耳の入り口のところを洗ってもらう時もやまんばは喜ぶ。


 洗髪が終わり、シャンプー台から立ち上がる。美容師さんに案内されて、カットを行う鏡の前まで移動するそのわずかな距離が、やまんばの帰り道だ。あくまで頭を掻いてもらえればそれでいいので、カットに興味は無いのだ。もう山に帰りたい。鏡の前に座る時の私はやまんばではなく、いつもの「私」である。なので、ドライヤーの音に驚く心配は無い。


 これが美容院に現れるやまんばの正体である。洗髪のたびにこんな事を考えているが、実際には頭に虫は住んでないので安心して欲しい。

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