14.ロリババアとインターネット

「え、彩さんと話したんですか?」


 同じ台詞を、ついさっき芙蓉も口にした気がする。


「電話がかかってきての。なぜかはわからんが、電話越しには話せた」

「僕と同じですね。それで、なんの話を?」


 芙蓉は彩から聞いた、「伊藤優子」の痕跡や記憶が消えている話を伝えた。


「なるほど……。疑問だったんですよ。芙蓉さんや優子さんがどうやって大鏡駅の裏ホームに迷い込んだかはわかりませんが――」

「裏ほうむ?」

「あ、僕の造語です。えっと、疑問というのは……過去にも似たような被害者はいなかったのか、ということです。意図せず偶然に迷い込んでしまうようなら、同じような行方不明者が出ているはずだ、と」

「そうじゃな」

「存在の痕跡がまったく消えてしまっているというのなら、その点はかえって納得です」

「わしらの存在が多くの人間から見えぬように、行方不明者もそうなるわけか」

「そのうえで、彩さんのような例外が発生することもある……。彼女ただ一人の記憶にしかないのであれば、頭がおかしくなったと扱われるしかないでしょう」

「それで明るみに出ておらんわけか。わしの見たところ、電車内にぎゅうぎゅうに立ち並ぶほどの人がおったのだが――」

「え、つまりそれだけの数の行方不明者が?」

「思えば、そういうことなのかもしれん」

「んー、だとしたら望みは薄いかもしれませんね……。それだけの人が行方不明になり、一人でも行方不明者のことを覚えてる人がいれば、もっと騒ぎになりそうなものですし。彩さんは例外中の例外なのかもしれません」

「なんだ、心当たりがあったのか?」

「インターネットですよ」

「いんたあねっと?」


 滅三川は首を捻りながらうーんうーんと唸る。


「なんて説明すればいいのか……噂話が集まっている場所といいますか……」

「ほう。つまりそこへ行けばなんらかの情報を得られるかもしれんということじゃな」

「そうなんですが、噂話にすらなっていないかも……」

「ええい、どのみちわしらはなんも知らんのだ。知るかもしれんものを探すしかあるまい?」

「そうですね。では、やってみましょうかインターネット」

「ん? やる??」


 滅三川は優子の残したノートPCを指さした。芙蓉は言われるままに机に置く。


「スマホでもいいんですけど、芙蓉さんがフリック操作を使いこなせるとは思えませんので」

「なんじゃと」

「ノートPCの方が画面も大きくて後ろから覗く僕にとっても助かりますので。さっそく電源を入れてみてください」


 芙蓉は座布団の上に正座してノートPCに向かい合った。滅三川は幽霊であるため物には触れられない。手取り足取りのジェスチャーを駆使して芙蓉に操作方法を伝えていく。


「ほう。なるほど。これは……テレビの一種じゃな?」

「そこの、マウスっていうんですけど、それを動かしてみてください」

「ぬ?! なにやら白い虫(?)みたいなのが動いたぞ!?」


 デスクトップには各ソフトのショートカットだけでなく、レポートのテキストファイルや無計画にダウンロードした猫や犬の画像などで乱雑に散らかっていた。優子のプライバシーが無慈悲にも侵害されようとしている。


「えっと、ブラウザは……あ、これか。芙蓉さん、このアイコンをダブルクリック」

「ぶらうざ。あいこん。だぶるくりっく」

「はい。一つずつ順序立てて教えます」


 マウスを動かすとマウスポインタが……マウスポインタはこの矢印のことで……マウスポインタをアイコンの上まで持っていき……アイコンというのはその小さな絵のことで……ダブルクリック……クリックというのはマウスのボタンを……ボタンというのはなんかその押せるやつで……説明に次ぐ説明は幾度となく回り道をしながら、芙蓉はついにブラウザアイコンのダブルクリックに成功した。

 さて、ブラウザを開けば前回まで開いていたタブのキャッシュが残っている。真っ先に出てきたのはYouTubeの動画である。


「なんじゃ。やはりテレビではないか」

「『今日もズボラ飯! 皿洗いなんてしたくない!』――へえ、優子さんこういう動画見てたんですね」

「ぬ! これは前に食べたような……いやもっとぐちゃっとしておったな……」


 つい見入ってしまったが、五分程度の短い動画だったのが幸いした。


「まずは警察庁の行方不明者統計でも見てみましょう」

「おう」


 もちろん芙蓉はなにもわかっていない。キーボードの概念を理解するのがまず困難だった。ローマ字のことも当然わからない。


「なんなんじゃこの文字……仮名でもカタカナでもない……現代ではたびたび目にした気がするが……」

「アルファベッドっていうんですけど。とりあえず、僕のいうとおりにキーを叩いてくれますか?」


 習うより慣れろ。という思想が滅三川にあったかはともかく、キーを一つずつ指定して芙蓉に検索キーワードを入力させた。


「お、おお……? わしが突いた文字がテレビに? それが漢字に?」

「ようやく入力できましたね。見てみましょう」


 警察庁の発表する「行方不明者の状況」のPDFファイルを開く。


「これは令和二年、つまり二年前の統計データですね。行方不明者は約七~八万人……」

「八万人?!」

「他のデータも見てみましょう。ちょっと下にスクロールしてみてください」

「すくろおる?」

「マウスの真ん中にコロコロするのがありますよね? それを転がして……」

「お、おお……」

「あ、このへんで。なるほど、そうはいってもやっぱり五割が受理当日、八割が一週間以内に見つかってるみたいです」

「ほ、ほう?」

「一年以上見つからないケースは数千人といったところでしょうか」

「数千……それでもかなり多いのではないか?」

「日本全国の数字ですからね。一箇所に集めればもちろん大人数ですけど」

「う、うぐむ……」


 芙蓉にとっては理解を超えることばかりだった。PCの操作では言われるがままに意味不明な動きを要求され、それが画面に反映されていることまではわかった。優子から日本の総人口は一億を超えると聞かされていたが、数万人とか数千人といわれてもピンと来なかった。それだけの行方不明者の数をどのように把握し、なぜインターネットによってその数を知ることができるのかもわからない。まったく完全に理解不能というより、あと一歩で理解できそうなもどかしさが芙蓉の頭脳に莫大な負担を強いていた。


「つ……つまり、その数千人のうち何百人かがあの電車に乗っていた、ということか?」

「いえ。これはあくまで警察が把握している数字ですから。彩さんがおっしゃっていたというように、優子さんの存在があらゆる記憶・記録から消えているなら捜索届けも出されないはずです」

「う、うむ……」

「数百人の行方不明者……現代日本の常識で考えると明らかに『異常』です。僕たちの存在が信じられていないように、そんな事件が存在するなんてほとんどの人は考えもしないはずです」


 滅三川がなにをいっているか半分も理解していなかったが、芙蓉は適当に相槌を打っていた。


「怖ろしいですね。何百人も行方不明になっていながら、誰も気づいていないなんて」

「おそろしい? そんなわけがあるか。やつは逃げておるだけじゃ」


 それでも、わかっていることがある。


「知られることから逃げておる。何百人と拐いながらも、それを誇るつもりがない。あやかしの名折れじゃ」


 その主張に、滅三川は目を丸くしていた。


「なるほど……。存在の痕跡を消しているということは、知られると困るから……。こうして僕らに知られてしまっているということが相手にとっては最大に弱みになる、と」


 それからしばらく、滅三川の指示に従って警察の資料を調べた。


「やっぱり警察では把握してなさそうですね……。だとしたら、どんな検索キーワードが……」


 滅三川がブツブツ独り言を漏らしながら考えごとをしている。その間、芙蓉はキーボードをガチャガチャしたりマウスをカチカチしたりして操作方法を覚えようと努めていた。遊んでいたわけではない。


「なんじゃこりゃ。またテレビじゃ」


 滅三川が少し目を離している隙に、芙蓉はなんらかの動画を開いていた。


『はいどうもー! いや~、もう夕暮れですね。夕暮れですが(?)やっていきましょう! 心霊系YouTuberアカヒトでーす!』


 軽妙な語り口の男性。適度に装飾された字幕。セルフツッコミの効果音。作り慣れている動画であった。


「芙蓉さん。なんですかこれ」

「知らん。勝手にはじまった」


 芙蓉にとっては画面で動くものであればまだなんでも珍しい。声の主が画面に映っていないことを不思議がり「心霊系とはそういうことか?」と滅三川に問うたが「違う」といわれた。


『はい! それでですね、本日はここ、大鏡市まで来ています』

「お! 大鏡駅ではないか!」

「そのようですね。優子さんが住所を登録しててサジェストされたのかな……」

「ははーん。つまりこれは電話の一種でもあるわけじゃな? テレビと電話がいっしょになっておるのじゃ。こやつはいま大鏡駅におるわけじゃな?」

「いえ、動画ですから。編集されてるじゃないですか」


 直後、滅三川の指摘に応じるように画面が飛んだ。大鏡駅からの移動シーンを省き、目的地周辺まで辿り着いたようだった。


「ば、馬鹿な……こやつ、電車より速い……?」

「カットしただけですよ」

『はい! ここが本日の心霊スポットになります。どうです? 一見ふつうに見えるでしょ? でもこういうとこなんですよね~』


 画面に映し出された建物には、芙蓉もひどく見覚えがあった。


「おおう……? このマンションじゃぞ?」

「え、このマンションって心霊スポットだったんですか」


 芙蓉は「心霊スポット」がなにを意味するのか理解していない。ツッコミそびれたのはそのためである。


『え~、セキュリティがしっかりしてますねえ。入り口はオートロックです。あれ? いやどうしましょうか。これは……もうダメかも?(オイ) ~数十年後~ なんとかなりました(※どうやったかは聞かないでください)。それでは行きましょう!』


 動画タイトルは「おばけマンションに突撃してみた!」。投稿日は二〇二二年三月八日。再生数は、0である。

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