15.ロリババアとインターネット②

「この動画……いつ撮られたものなんですかね」


 投稿日は今日。編集が入っているため短く見積もっても撮影から投稿まで数時間はかかる。時間帯はいまと同じ夕方。であれば、どれだけ早くても昨日だろう――と、いうような推測を滅三川は話した。芙蓉はよくわからなかったが、そういうものだと思うことにした。


「昨日……というと、わしらが大学に行っておるくらいか?」

「そうですね。今と同じ時間――十六時ごろなら、優子さんと芙蓉さんはまだ帰ってはいなかったかもです」

『えっと……何階かな? 一階ずつ見て行きますね。尺稼ぎじゃないですよ(笑)』


 撮影者は廊下を歩き、部屋の前に立つと「ここは違う」「ここも違う」となにかを探る様子を見せていた。部屋を一つ一つ訪ねているようなものだが、動画はカット編集を交えながらテンポよく進行していく。


「あれ? 芙蓉さん、ちょっと止めてもらえますか?」

「止める?」

「先ほどチラッと映った一階の様子がおかしかったようなので……」


 ぐちゃ。と、およそ似つかわしくない生々しい音が動画から響いた。


『あれ? あちゃ~。やっぱりここもそうみたいですね。ほら』


 撮影者はカメラを足元に向ける。彼が足を退けると、その下。

 大理石の床が、


「……CG? 仕込み?」


 いずれにせよ凝っている。ただの素人撮影と思いきや、そのように見せかけたプロのモキュメンタリー作品なのかもしれない。滅三川も食い入るように画面を覗き込んだ。


『さて! そろそろ本命に向かいましょう。やっぱり……こういうのは四階ですよね!』


 撮影者がエレベーターに乗り込む。そして振り返るそのとき、カメラは閉まるドアの隙間から一階の様子を一瞬だけ捉えていた。


「あ!!」


 ピントは合っていなかった。

 それでも、見間違いでなければ。もはや一階は手遅れだ。床も、壁も、なにもかもが腐り落ちている。


「なんじゃ、耳元で急に大声を……。ん~? それより、なにかにおってきたのう」

「におって……?」

「硫黄のにおい……なにか腐っているような……におわんか?」

「いえ、幽霊ぼくに嗅覚はないみたいで。においって、まさか……」

『※ここからはノーカットでお送りします(いつもの)』


 芙蓉も滅三川も画面を食い入るように見ていた。男がエレベーターに乗っている、ただそれだけの地味な映像に見えて、じわじわと、変化があった。駆動音に異音が混ざり、ボタンが、扉が、壁が、歪んでいく。床から這い上がるように、粘菌のような、血管のような、葉脈のような、による――侵蝕が起こっていた。


「芙蓉さん。これ……なんかやばくないですか」


 動画主は「四階」といった。つまり、だ。

 チーン。エレベーターが到着する。


「お。この男、もうそこまで来ておるのか?」


 動画というものをよく知らない芙蓉の勘違い――ではない。たしかな気配があった。


「生放送、ではないはず……。芙蓉さん! 止めてください! その動画は……なにかおかしい……!」

「止める、とな?」

「えっと、どこでもいいので動画をクリックしてください!」


 クリックという操作はさすがに覚えた。戸惑っていたのは「動画を止める」という発想がなかったからだ。


「ん? お? 止まった?? おい、滅三川。止まったぞ!」

「はい。そうやって止められるんですよ。動画ですから」

「だとすると、この男は今なにをしておる? そういえば、妙なにおいも消えたな……」


 芙蓉は席を立ち、トコトコ走って玄関から廊下を眺める。顔を出すだけでもエレベーターまで一直線に見える。


「ん~? エレベーターは開いておるようじゃが……」


 撮影者の姿もなく、においもなければ腐っている様子もない。


「どうでした? 芙蓉さん」

「……まさか、わしが止めてしまったことでこやつの命を絶ってしまったのでは?」

「そういうことではないんですが……」

「ぬ。もう一度くりっくすれば再開するのか」

「あ、ちょ! だからやばいんですってば!」

『はい! 四階です! いや~、気配をびんびん感じます。視聴者の方にはわからないと思いますけど、僕って心霊系YouTuberですから(笑)』


 動画が再開する。映し出されているのは、ついさっき芙蓉が玄関を開けて見た廊下を逆側から見た光景である。


「芙蓉さん、においは?」

「ん。そういえばまたにおってきたの」

「おかしいです。怪異ですよこれ。動画止めましょう」

「待て待て。なんでもかんでも怪異あやかし呼ばわりするでない。……ん? これ怪異あやかしなのか?」

「明らかにおかしいじゃないですか!」


 明らかにおかしいといわれても、芙蓉にとってはなにもかもおかしい。彼女にとってはインターネットがそもそも意味不明だ。


「ぬ! そ、そうか! そういうことか! そういうことじゃったのか!」

「なにかわかったんですか?」

「以前、優子が年号の一覧を見せてきての。どういうことかと思っておったが……あれもいんたーねっとじゃ! そうじゃろ?!」

「はあ」


 最近は滅三川の反応が冷たい気がする。こんなにも明晰な知性の輝きが煌めいているというのに。


『401号室は……う~ん……特になにもなさそうです!』


 動画は続いている。彼は部屋の前で立ち止まり、ドアや表札を映して吟味する。ただそれだけの映像だが、画面の端からなにかが歪んでいく。

 ぐちゃり。ぐちょり。臓物を踏むような足音が聞こえる。

 男の声や足音が動画越しでなく、すぐ近くから聞こえてくるような気がした。


『402号室です。気配は強まっている気配はしますが……はたして……』


 それは、どんどん近づいてくる。


「芙蓉さん! 動画止めてくださいって! やばいですから!」

「やかましいのう……」


 芙蓉としては続きが気になる。動画を止める理由はなにもない。


『……違いますね!(思わせぶりな演出やめろ) 次行きましょう。403号室!』

「お。滅三川、おぬしの部屋じゃぞ」

「あ、そういえば芙蓉さん鍵閉めてました? この部屋の鍵です」

「鍵?」

「このままだと……!」

『うわあ。すごい気配です。これはいらっしゃるんじゃないですか?』


 すぐ隣である。動画と同じ声が、くぐもって外から聞こえてくる。


「ん? やはりすぐそこまで来ておるようじゃの。現代の技術とやらは本当に不思議じゃ……これではもう怪異あやかしと変わらんではないか」

「だから怪異なんですって!」


 生放送であれば同じことは再現可能だが、肝はそこではない。そこではないが、説明が難しい。たまたま近所を映した動画も探せばあるだろう。それでもなお、この動画は異常だ。現代人なら感じずにはいられない不気味さが芙蓉には伝わらない。かつてはなにもかもに驚いていたが、今となっては「そういうものか」と思考を麻痺させてしまっていた。


『おおっと。これはいます。絶対います。います……けど! もっと気になってるのはこのお隣です! 404号室!(デデン!) え、404号室あるんですかこのマンション(!?)。いかにもな部屋にいかにもな気配、ワクワクしますね』

「芙蓉さん芙蓉さん! もう来ます! 来てしまいますよ!」

「ええい、静かにせんか。よく聞こえんじゃろ」


 ピンポーン。インターフォンが鳴る。

 動画は、なぜかそこから無言だった。


「なんじゃこの音は。もう部屋の前まで来ておるようじゃが……」


 芙蓉が優子の部屋に転がり込んで四日。誰かが部屋を訪ねてくることはなかったので芙蓉はインターフォンの概念をまだ学んでいない。


「動画! 止めて! ください! 早く!」

「止めたら……止まってしまうではないか!」

「もうそこまで来てるんですよ!?」


 ピンポーン。男は無言でインターフォンを鳴らす。ただそれだけの映像が流れている。

 ピンポーン。少しずつ、歪んでいく。ボタンを押す指先から、なにかが滲み出す。

 ピンポーン。インターフォンのモニターには、顔の見えない男が映っている。


「そうか、この音は訪ねに来たことを知らせておるのか。鈴のようなものじゃな。雅じゃのう」

「とにかく動画を止めてください」

「ちょっと出てくるか」

「ま、待ってくださいよ芙蓉さん!」

「ん? そうか。わしが出ても人間には見えんかもしれんのか……」

「そうではなくてですね。多分人間ではないのでそこは問題ないんですが」

「だったらなおさらじゃろ」

「いえ、だから……!」

「さっきからなにを怖れておる? 怪異あやかしというのなら、わしらの仲間じゃろ?」


 言われ、滅三川はポカンとしていた。


「それも……そうですね……」

「まったく。おぬしまだ人間気分か? 幽霊がなにを怖れておるんじゃ」

「すみません。でも、自分が安全だとわかっててもホラー映画って怖いじゃないですか」

「ふむ。では招くぞ」


 と、芙蓉が再び立ち上がろうとしたそのとき。

 画面が切り替わり、真っ白な画面に「404 NotFound」の文字が浮かび上がった。


「芙蓉さん、なにかしました?」

「なにもしとらん」

「F5押しました?」

「押しとらん」


 そもそも「F5」がなにを意味するかわからないが、押していないものは押していない。


「キャッシュに残ってたりしませんか。そこをこうしてああして――」


 滅三川の指示であれこれ試したが、先の動画は二度と見つからなかった。「アカヒト」なる心霊系YouTuberも見つからない。

 とはいえ、冷静に考えると急に邪魔が入って横道に逸らされたようなものなので、それ以上は深く追求しないことにした。


「まあ、気を取り直して……優子さんの手がかりを探しましょう」

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