13.ロリババアと
だが、変な名前だなと直感が働いてググってみた。
出てきた。「この世のものでないものが名乗る苗字」――と、されているらしい。怪談界隈では有名なのだろうか。なんにせよ、つまり偽名だ。
不安が大きくなる。いきなり非通知でかけてきて、なぜかこちらのことを知っていて、偽名を名乗る男。信用できる要素がなに一つない。にもかかわらず、優子は駆け出してしまった。
なにか心当たりがあるのか。だとしても。
(……やっぱり繋がらない……)
それもそのはず、優子はスマホを忘れたと言っていた。今ごろは家の中で着信が鳴り響いているはずだ。
あるいは。滅三川という男の言葉を信じるなら。
――「芙蓉ちゃん」が、届けようとしている。
(いや、そんな……)
正直、まだ疑っている。というより、信じられるはずがない。人には見えないおばけのような幼女を拾って、今もいると言われても信じられるはずがなかった。優子がおかしくなったか、手品で騙そうとしてるのか。前者が状況証拠で否定される以上は後者しかないが、そこまで友人を疑うことはできない。あるいは、そこまでの演技力を信じられない。どのような解釈でも、よく知る現実と常識からの逸脱を要求された。
(やばい気がする。実害はないからいいんじゃね、とは言ったけど)
取り返しのつかない「実害」が発生しようとしている、そんな悪寒。
四限目の発達心理学がはじまる。奇妙な違和感が嫌な予感を悪化させた。
(あれ?)
飛び出していった優子に、彼女は代返を頼まれていた。選択科目も含めて受けている講義はほとんど同じだったからだ。
この授業もそうだ。いつも隣で受けていた。
(あれ? なんで?)
伊藤優子の名が、呼ばれない。
***
「ほう。電話をかけた? 彩なる優子の友人に?」
芙蓉は電車に乗って近城大学まで足を運んでいた。優子を探すためだ。大鏡駅で姿を見て、姿を消した。己の目を信じるなら探すべきは大鏡駅であったが、状況をより正確に理解するためだ。とはいえ滅三川の話を聞くに、どうにも無駄足になりそうだった。
『はい。いけるかな……と思って試したら、いけました。おばけってすごいですね』
「そのへんの理屈はわからんが……なにを話した?」
『芙蓉さんが優子さんにスマホを届けるため大学に向かって、大鏡駅で迷子になった旨を伝えました』
「迷子にはなっておらん」
『僕としても、芙蓉さんとの通話が突然途絶えて不安でしたので。打てる手は打ちたいな、と。僕自身は部屋から動けませんので。それが裏目に出てしまったようですが……』
「なるほどな。それで優子はわしを探しに来たのか……」
それでも、疑問は残る。
「あの場所はなんじゃ? わしもそうだが、優子はどうやってあの場所に入った?」
『さあ……。そのあたりの話はしなかったんですか?』
「した。だが、優子もよくわかっていない様子じゃった。すぐはぐれてしまったうえに……あれが本物の優子なのかもわからん」
『うーん。ずいぶんと大変な体験をなさったみたいですね。僕も混乱してきました。そのあたり、落ち着いて整理して考えたいのであとは芙蓉さんが帰ってから話しましょう』
「そうじゃな……」
通話が切れる。もう大学にいる意味もない。だが、足取りは重い。
(現代の
このまま優子が戻らないのであれば、それこそ神隠しだ。それとも、人が溢れ返った現代では人間が一人消えるくらいはなんでもないことなのか。
懐に戻したスマホが再び鳴る。芙蓉は訝しみながら取り出した。
「ん? また滅三川か……?」
が、表示名はいつもの「非通知」ではない。「月宮 彩」の文字がそこにはあった。
「ふむ。そうか、それもそうか。これは優子のスマホであったな」
着信を受けるという複雑な操作もすでに慣れたものである。
『優子!? よかった、やっと繋がった……!』
「その声は……やはり彩じゃな。以前、さいぜりあで会った……」
沈黙。そうか、優子以外の人間とは会話もできなかったか――と、芙蓉は思い直す。
『え、誰……?』
だが、そうではなかった。
「ん? 聞こえておるのか。芙蓉じゃ。わしのことは知っておるな?」
『え、芙蓉――ちゃん……? 冗談でしょ……?』
声だけでも、強い猜疑心が伝わってきた。
『ど、どういうことなんですか? ぜんぶ説明してください。あなた、優子のなんですか……? 優子をいったい、優子は、……!』
混乱している。それも声だけで伝わってくる。強い感情はいったん吐き出させるにかぎる。しばらく聞きに徹するため、芙蓉は噴水の縁に腰を下ろした。
「落ち着いたか?」
『……誰なんですか?』
「芙蓉といっておろう」
『わかりました。そういうことにしておきます。だったら、なぜ話せるんです? 見えもしないし話せない設定ですよね?』
「わからん。電話とはそういうものではないのか?」
『知りませんよ……。それで、なんで優子のスマホを?』
「聞いておらんのか?」
『……聞きましたが』
「で、あれば、おおむねその通りじゃ」
『いまどこにいるんです? 優子といっしょじゃないんですか? 優子は、あなたを探しに飛び出したんですよ……!』
様子がおかしい。この態度はまるで、優子が大鏡駅で消えたのを知っているようではないか。
「大鏡駅について、なにか知っておるのか?」
『……なんの話?』
「知らんのか。どこまで知っておる?」
『だからなんの話なんですか!』
「優子とは大鏡駅ではぐれた。いいか、見たままを話す。嘘も誇張もない。はじめ優子に声をかけられたが、優子は電車に乗り込んでおりそのまま出発してしまった。その直後に、また背後から優子に話しかけられた。しばらく会話をしておったが、いつの間にか優子は別の電車に連れ去られてしまった」
『ふざけてるんですか……!』
「わからぬのも無理はない。わしもわからんからな」
『それで、会ったならなぜ優子にスマホを渡してないんですか』
「渡しそびれた。それどころではなかったのでな」
『優子は、消えたっていうんですか……?!』
やはり妙だ。
「なにがあった?」
『あなたじゃないんですか? こんな、わけのわからないことに……!』
「だから、なにがあったのだ」
『消えたんですよ! 優子は! どこからも! 誰の記憶からも! 友達からも、先生からも、学生記録からも! まるではじめから、いなかったみたいに……!』
またしても、飲み込むことの難しい話だった。
「……おぬしだけが覚えておる、と?」
『そうです。あなたも……芙蓉さんも覚えているようですけど』
ただの神隠しではない。そう理解した。
「奇怪な話じゃな。なぜおぬしだけが覚えておるのだ?」
『それはあなたもそうでしょう?』
「わしはその、大妖怪じゃし……」
『はい?』
電話越しとはいえこうして話せている。そして、彼女だけが「例外」となっている。芙蓉は、彼女にもう一度「会ってみる」価値があるのではないかと感じた。
「わしは今、近城大学に来ておる」
『!! だ、大学のどこに?』
「うーん、噴水? というやつじゃったかの」
電話越しに雑音が入る。どうやら駆け出したらしい。
『噴水広場といっても、構内には二つあります。他になにか見えますか?』
「ん~、高い建物が……」
『高い建物なんてどこにでもあります!』
「あとは楠木……いや欅か?」
『もういいです! どっちにも行きます! そこで待っててください!』
それからしばらく、荒々しい息遣いだけが聞こえた。
『来ました。私が見えますか?』
「ん? んん~。おう。おぬしの顔は覚えておる。さいぜりあで会ったからな」
『いるんですね?! どこですか!』
電話を構えて忙しなくキョロキョロ見回す彩の姿がたしかにあった。芙蓉は、その目の前にいた。
「あ~、目の前におるんじゃが……」
『そうですか。そうなんですね……』
偶然か、彩は芙蓉の隣に腰を下ろした。やはり、彩に芙蓉の姿は見えていないらしい。そして彼女は肺の空気をすべて吐き出すかのような深いため息をついた。
『……はじめは、優子の冗談か、手品かと思ってました。でも、優子はそんなんじゃないし……だとしたら、悪い人に騙されるのかなって……でも』
すぐ隣にいるのに、電話越しに話すのも妙な気分だった。もっとも、芙蓉の方はスマホを耳に当てずとも声を聞けるし、彼女の横顔を眺めることもできる。
『もう、それどころじゃない。信じられない規模の陰謀論を信じるか、おばけとか幽霊の存在を信じるか……。もう、どうしたらいいか』
「ふむ。おぬしの視点では、つまりわしは悪者か?」
『わかりません。なにがなんだか……いったい、なにを信じればいいのか……』
「そうか。まあ、心配するな。優子はわしが連れ戻す」
『え?』
「では、わしは行く。やはり、おぬしにわしは見えんようなのでな」
『ま、待って……!』
「まだなにかあるか?」
『……いえ。お願いします。優子のこと』
と、芙蓉は立ち上がる。戻って滅三川と作戦会議だ。小さな大妖怪は、颯爽と彩を背に立ち去った。が。
『あれ? これまだ繋がってます?』
芙蓉はまだ、自分から通話を切る方法を知らなかった。
***
「戻ったぞ。おるか、滅三川。優子は……おらんか」
優子の部屋は、いつもより広く見えた。
「おかえりなさい、芙蓉さん」
「……あいかわらず急に現れるの」
隣室の壁からぬっ、と滅三川が現れる。
「で。どうする? おぬしもなにもわからんのだろう?」
「はい。僕もなにがなんだかさっぱりわかりません。ですので」
滅三川が指さす先には、優子の私物であるノートPC。
「インターネットを使いましょう」
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