11.ロリババアと異界駅②
「え! これ映ってんの? 芙蓉ちゃん」
彩は声を上げて驚く。彼女のスマホに映っているのは「洗面台とハンドドライヤーが交互に誤作動する」動画だ。優子は指をさして「ここ」と指摘するが、彩はずっと首を傾げていた。
「写真に撮ったらどうなるのかって思ってたけど……。映るけど見えない?? そんなことある??」
「私も頭おかしくなってきた」
「たしかに、言われてみればそれっぽい気はするんだよね。子供がわけもわからず遊んでるような、そんな感じに……」
彩が信じてくれることだけが救いだが、優子は自分で自分が信じられなかった。
もう一度じっくり映像を見てみようと、スマホを取り出す。取り出す。取り出せない。
「あれ?」
「ていうか、昨日って窓も割れたらしいよね。まさかあれも? 芙蓉ちゃんって……今日もいる?」
「スマホ忘れちゃった……」
「ありゃ」
困った。とはいえ、財布はある。致命的というほどではないはず……と、優子は今日一日スマホなしで過ごす覚悟を決めた。ただ、嫌になるのはその迂闊さだ。なにせ、昨日は遅刻で今日は忘れ物である。
「あー、芙蓉ちゃん? 今日は留守番」
「……大丈夫? いや大学連れてくるのもだいぶ大丈夫じゃなかったっぽいけど」
「なんでこうなにやってもうまくいかないんだろ……」
「スマホ弄くり回されちゃったりしない?」
「どうだろ。でもめんどくさいから画面ロックしてなかったな……」
悩みの種は尽きまじき。芙蓉が見える範囲にいないのは不安だらけだが、連れてきた昨日も見える範囲からはすぐ姿を消していた。スマホも手元になく気が気でない。もっとも、家に固定電話があるわけではないのでスマホがあっても芙蓉と連絡がとれるわけではなかった。
「ん? 電話だ。非通知……」
彩のスマホが鳴る。着信音はよく知らない流行りの曲だ。
「もしもし」
「あ、出るんだ」
彩はこういうとき妙に思い切りがよく、行動が早い。
「はい? どなたです? ……はあ。えっと……少しお待ちください」
彩の返答はどこか歯切れが悪い。スマホを遠ざけ、小声で話しかけてきた。
「(なんか、芙蓉ちゃんのこと知ってるみたいなんだけど……心当たりある?)」
「(え? 知らない……)」
「(めちゃくちゃ怪しいけど……優子に用があるみたい。スピーカーフォンにするね。やばそうならすぐ切って警察にかけるから)」
そうして、彩はスマホを机の上に置く。声が聞こえてきた。
『優子さんもいらっしゃるのですね? それはよかった。彩さんに繋がるかどうかは賭けでしたが……いけるものですね』
男の声だ。まるで身に覚えがない。
「どなた、ですか?」
本当に返事をしていいものかと悩んだ。だが、無視もできなかった。少なくとも間違い電話ではないからだ。
『失礼しました。僕は
「隣? お隣の方は、そんな名前ではありませんが……」
『403号室の方ですよ』
気味が悪かった。ジョークにしても質が悪い。背筋が寒くなった。
「(優子。403号室って)」
「(うん。空き部屋の……)」
空き部屋であるはずの隣から毎晩、音がする。彩にも相談を持ちかけたことがあった。今ではなぜかその音は止んでいるのだが。
『えっと、信用いただけないのは仕方ないかと思います。ですので、用件だけお伝えしておきますね。芙蓉さんのことです』
「芙蓉ちゃん? それって、黒髪ロングの……」
『はい。赤い着物の女の子です』
正しく言い当てている。だが、そのあたりの特徴は彩にも話した気がする。会話まで余さず盗聴しているなら知りうる情報だ。だとしたら、筋金入りのストーカーである。
『芙蓉さんが、いま迷子です』
混乱していた。どのような解釈にも恐怖が伴った。
「迷子って、なんで……?」
『僕にも正確な状況は掴めていませんが……。優子さんが忘れたスマホを届けようと出発し、大鏡駅で連絡が途絶えました』
スマホを忘れたことまで知ってる。話したのは――というより、気づいたのはつい先ほどだ。服に盗聴器でもついているのかと、セルフボディチェックを試みる。それらしいものは見つからない。
滅三川を名乗る男は優子についても知っており、彩の番号も知っていた。さらには芙蓉についても、住んでる部屋も、スマホを忘れたことまで知っている。
近くにいるのか。どれもすべて、会話を盗聴していれば知りえる情報だ。芙蓉がスマホを届けようと迷子になったというのも、作り話だとしたらあまりに精度が高い。だが。
「どうして、その話を私に……?」
『僕にも責任がありますから。念のためにお伺いしたいんですが、大鏡駅ってここ最近に大きな改築工事とかってありました? 路線が増えるみたいな……』
「知りませんが……」
『よくわからないんですよね。ホームから出入り口が消えていたとか、空が急に晴れていたとか。芙蓉さんと最後に連絡がとれたときは、そんなことを話していました』
話は、急に胡乱な方向へ傾きはじめた。
「……用件は以上ですか?」
『あ、はい。急にこのようなお電話をさせていただいても胡散臭すぎるだろうなとは、まあ、はい。僕もそう思いますので仕方ないです。ただ、芙蓉さんについては僕自身はどうにもできませんので、ひとまず連絡だけでもと思った次第でして』
物腰は低い。口調もしどろもどろで、詐欺師のような堂々さもなく、かえってそれらしい。疑い出せばキリがないが、しかし。
『以上です。失礼します』
電話が切れる。彩と二人でしばらく呆然としていた。
「優子? マジで知らない人……?」
「行ってくる」
「え?」
信用からはあまりにほど遠い。素性も知れず、一方的にこちらの事情に精通し、あろうことか友人のスマホに電話をかけてきた。なに一つ信用できる要素がない。それでも。
「えっと、場合によっては警察とか、よろしく!」
「ちょっと! 次の講義は?!」
「代返お願い!」
向かわざるを得なかった。直感を信じて。
嫌な予感がする。昨日感じたものよりも、取り返しのつかないような、予感が。
***
現代社会の事情については、まだ知らぬことの方が多い。
ゆえに、なにが正常で異常なのかを区別するのは難しかった。それでも、これは「異常」だと、はっきり理解することができた。
乗客のいない無人の電車。人の気配はどこにもない。だが、席は残らず埋まっていた。
鞄。スマホ。眼鏡。水筒。ハサミ。目覚まし時計。イヤホン。携帯ゲーム機。耳かき。
人の代わりに、物が、忘れ物というにはあまりに整然と、規則正しく並んでいた。
(なんじゃ、このありさまは)
異常ではある。だが、
窓の外を眺める。真っ青に塗り潰された、雲一つない空だけが見える。
ガタンゴトン。定期的な揺れだけが電車の走行を告げていた。
(これは……スマホじゃな。どれどれ)
試しに、席に置かれているスマホを手に取る。直後、その場に人が現れた。
「うおっ?!」
驚きのあまりスマホを落とすと、そこにあった人影は消えた。スマホも、吸い込まれるように元の位置へ戻っていた。
(さすがにこれは
ガタンゴトン。電車が止まらない。かれこれ一刻(三十分)以上は走り続けている。
電車というものがどれだけ長時間走り続けられるものなのか芙蓉は知らなかった。が、滅三川が「取り返しのつかない事態」の存在を仄めかしていた以上、この程度はありうるように思えた。たとえば、一時(二時間)以上止まらずに走り続けるなら、戻るにもまた一時(二時間)以上かかることになる。その日のうちに帰れないこともあるだろう。
(だとしても、取り返しのつかぬほどではないがな)
揺れる車内を歩き、端から端までの車両を確認した。一両目を除き、すべての車両の座席が「物」で埋まっていた。それらの品々は、なにか嫌な予感がしたので触れていない。ではなく、他人の物に無闇に触れるのはよくないので放置している。
やることもなくなったので、一両目の座席に腰を落ち着け、ぼんやりする。
(窓の外を眺めてもなんも見えん……。いつまで走り続ける? まあ、永遠ということもあるまい。じゃが、扉が開くかどうかは電車の意のままか。場合によっては扉を破壊することになるかの)
そんなことを考えながら無為に時間を過ごした。現代社会は未知と刺激に溢れすぎていたため、考え事をするにはちょうどいい休息であった。
(はあ。そういえば元はといえば優子にスマホを届けるんじゃったな。滅三川から電話もかかってこん。困った状況ではあるな……)
一方、当初の目的である現代怪異には出会えている。出会えてはいるが。
やはり、話は通じない。ゆえに暇になる。
他にやれることはないか。ふと、窓でも開けられないかと気になった。彼女の慧眼はなんとなく開けられそうな気配を見抜いたのだ。
(ん? いや、あれ? 無理か?)
これまで見てきた窓の形状を思い返す。少なくとも、引き戸の形式とは異なる。では開き戸かと思えば、とっかかりがない。
(あるいは、
すなわち、縦軸の移動である。柔軟な視点の切り替えにより、彼女はついに手がかりを発見する。
(下にさがるんかい!)
思っていたのとは違った。
窓を開けると同時に、風が吹き込んできた。やがて風音は低まり、呻きのような声が混ざる。じょじょに、真っ青な空がその正体を表そうとしていた。不自然な染みが滲み出し、なにかを形づくる。開いた車窓の隙間を目指して、それはゆっくりと迫ってくる。一つや二つではない。呪詛と怨嗟の呻き喘ぎ、車窓へと手を伸ばす。
(やっぱ閉めとこ)
怖れをなしたのではない。思ったより風が強かっただけである。風が思ったより寒いのである。窓が開けられるかどうかに興味があっただけで窓を開けることが目的ではなかったからである。
『まもなく大鏡ぃ~、大鏡です。お出口は左側です』
「なに?」
電車が止まる。聞き間違いかと耳を疑った。が。
同じ光景である。合わせ鏡のように線路とホームが無限に続いている。止むに止まれず電車を降りる。そして、やはりホームにはどこにも出口はない。
芙蓉に鉄道の知識は乏しい。それでも、環状線のような構造を想像することはできる。だとしても、他に止まる駅もなかった。これではただ無意味に一周しただけだ。
(抜け出せん、というのか? なにをしても……)
真綿で首を絞められるような危機感。じわじわと身を焦がすような不安感。
かくなるうえは、線路に降りて歩く。もはや試せることはそれしかない。その高さを確認しているときだった。
「芙蓉ちゃん?!」
振り向くと、伊藤優子の姿が、そこにあった。
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