10.ロリババアと異界駅

『もしもし。そろそろ駅には着いてますよね? 乗る電車はわかりましたか?』

「しゅ、しゅーくりーむが……」

『え?』


 芙蓉は動けずにいた。


「しゅーくりーむが並んでおる……」

『今どこにいるんですか?』

「しゅーくりーむだけではない……数々の甘味と思しきものが、所狭しと……」

『どこかお店に入っちゃったんですね』

「いや、駅じゃよ。駅の一部じゃ。優子に聞いた。は駅の一部じゃ」

『そこまでわかってるならそこから電車に乗れないこともわかってますよね?』


 わかっていた。名残惜しげに立ち去る。誰もいないのに開く自動ドアを見て、コンビニ店員は首を傾げていた。


「さて、とやらがいるらしいな? どうすればよい?」

『気にしなくていいですよ。そもそも芙蓉さんに券売機なんて扱えるわけないですから。改札も飛び越えてさっさと行きましょう』

「なに? なんといった? わしにできぬことがあると??」

『芙蓉さんなら一目見ただけでたちどころに仕様を理解してしまって大して面白いものではないですから無視して構わないと思いますよ』


 ならば一目見てその仕組みをたちまち理解してしまおうと、改札口の前で仁王立ちして観察する。幼女とはいえ通行の邪魔というほかなかったが、彼女を認識できない人々は無意識に避ける動きをとっていた。


(あれが券売機じゃな。なにやらテレビがついておるの。あれを扱い……なるほどのう)


 わずか一瞥での理解であった。


「ぬ?! 切符を買わぬものがおるぞ! というより……ほとんど切符を買っておらん!?」

『定期とかSuicaとかじゃないですかね……』

「???」

『あの……芙蓉さん? いつまでも通話中ってわけにはいきませんからね? 通話料金は……わからないですけど……単純に充電とか……』

「十電……」

『ああいえ、多分大丈夫です。数十分連続通話するくらいで切れるようなものではないはずなので』

「焦るでない。仕組みは理解した。とはいえ今は金銭を持たぬ身、素通りさせてもらおう……〈ピンポーン〉ぬおぅ?! しまった!?」

『改札は閉まるし自動ドアも開くんですよね芙蓉さん。不思議ですよね』


 文字通りの難関であった。飛び越えるといっても、芙蓉の身長からすると絶妙に高い。


(いや、これ潜る方が早いか?)


 改札ゲートを下から潜る幼女! 仮に動画にでも撮られていれば大炎上間違いなしの光景であった。


『その駅――大鏡駅はそこまで大きい駅ではないはずです。路線も一本、上りと下りだけで。近城大学へは上りだったと思います。一番と二番どっちがどっちだったかは僕も記憶が定かではないですが……』

「なんじゃ、頼りにならんな」

『だったら芙蓉さん、昨日どちらに乗ったかは覚えてますよね』

「…………………当然じゃ」

『では、そろそろ電話はよさそうですね。あとは乗って、降りるだけです。いいですね?』

「ふん。わしを誰だと思うておる」

『……念のため、十分後にまたかけます。順調に行っても、まだ大学には辿り着いてないはずですから』


 ***


「なんぞわからんとこにおる……」


 十分後、滅三川からかかってきた電話に芙蓉はそう答えた。


『ああ、やっぱり……』


 その声には軽いため息が混じっていた。


『乗る電車を間違えたんですね? それとも乗り過ごしですか? いまどの駅にいるかはわかりますか?』

「線路、じゃったか? それがひい、ふう、みい……十本以上は並んでおる」

『十本?! どこまで行ったらそんな……。やっぱり乗り過ごしましたね?』

「いや、まだ乗っとらん。電車には乗っておらんのじゃ」

『え? 乗ってない? あれ? 大鏡駅ってそんな大きな駅でしたっけ?』

「そうなんじゃ。昨日より大きくなっておる……」

『昨日より? なにがどうしたらそんな……』

「まあ、おぬしも記憶が定かでないというておったし、大鏡駅のすべてを知っておるわけでもあるまい?」

『それはそうですが……だからといって十本? それくらい大きな駅も東京にならあるでしょうけど……えっと、じゃあ今何番ホームですか?』

「うーむ」

『芙蓉さん』

「読めん」

『あの……ああ、そうでしたか……』

「勘違いするでない! 数字の読み方は昨日優子から習ったわ。じゃが……なに一つ読めるものがなくなっておる」

『……どういうことです?』


 滅三川――現代人であれば常識にあるものではないかと思った。だが、彼にも心当たりはないらしい。よもや説明が不足しているわけではないだろう。


『まあ、わからないときは一旦戻ることです。大鏡駅が想像以上に広かったとして、大学へ行くには関係ないでしょう?』

「戻る……といってもな」


 芙蓉は右に左にきょろきょろ見回す。


「戻る道がわからん」

『……本格的に迷子ですね。ホームなんですから、階段なりエレベーターなりあるんじゃないですか?』

「それが、ないのだ」

『そんなはずないでしょう。階段を上って来たんじゃないんですか?』

「それはそうなのだが、ないのだ」

『?????』


 滅三川の困惑が電話越しに伝わってくる。困惑は芙蓉も同じだ。

 大鏡駅の乗降ホームは、上りと下りの二本の線路を挟んだ相対式の構造をしている。そして、それぞれのホームには地下から階段が繋がっている。快速は止まるが、さほど大きな駅ではない。ホームは屋根に覆われているが、線路の上は開いている。

 それだけの駅であるはずなので、迷うはずがない。昨日、芙蓉が訪れたときもそれだけの駅であったはずだ。

 だが、いま芙蓉が立っている場所は。

 右も左も線路が並び、どこまでも続いている。まるで合わせ鏡のように、果てが見えぬほど続いている。そして、それぞれのホームには案内板がある。ベンチがある。自販機がある。だが、出口がない。階段やエレベーターなど改札に繋がる道がない。陸の孤島が線路に囲まれているのである。

 なにより、空の色が異常だった。出たときは雨の降る曇り空であったはずが、いつの間にか晴れている。雲一つない真っ青な空――原色に近い、絵具をそのままぶちまけたような真っ青であった。

 線路の先も、そんな青に吸い込まれるように消えている。現実に存在する要素で構成されてはいるが、現実離れした奇怪な光景。物音一つしない孤独な静寂に立たされていた。


『さすがに変ですね。まさか――き――……』

「滅三川?」


 ツーツー。通話が途切れる。原因は不明だが、少なくとも滅三川の意思で切った様子ではなかった。


(このスマホとやらの仕組みもまるでわかっておらんからな……)


 なにもわからぬ道具を手に、なにもわからぬ地に立っている。だが、さして不安はない。何千年もの時を生きた妖狐の盤石たる精神を揺るがすほどではなかった。


「こちら、です、ヨ」


 ぎこちない声に振り向く。立っていたのは、にこやかな笑みを見せる、初老の男性だった。


「ん? わしか?」

「こちら、です。お望みの、先は、こちらになりますヨ」


 崩れることのない笑顔のまま、同じような言葉を繰り返す。老人の姿をしながらも、息遣いはない。肌の質感も蝋細工めいていた。声を発するも、唇と顎の動きは小さくでたらめである。


「わしが見えておるのか。まあそれより、下手くそな物真似じゃのう。わしを見てみい? ほとんど人間と区別がつくまい? 事実、優子は完全に騙せておったからな。社会への適応も完璧じゃ」

「こちら、ですヨ」


 話が通じない。現代の怪異あやかしはこんなのばかりか――とふてくされる。


「はあ。仕方ないのう」


 招かれるままに、老人の立つ乗車位置まで向かう。

 直後、待ち構えたように。


『電車がまいります。ご注意ください』


 アナウンスが聞こえた。四両編成の電車が滑り込むようにやってくる。


(乗客はおらん、か)


 滅三川の口ぶりでは、間違った電車に乗れば取り返しのつかない事態になるといった含みを感じた。だが、仮にそうなった場合でも反対側の電車に乗って戻ればよいだけではないか――と、芙蓉は高すぎる理解力で高を括っていた。


(退路はない。であれば、進むしかあるまい)

『開くドアに、ご注意ください』


 芙蓉は躊躇うことなく、見知らぬ電車に乗り込む。


「三、です」


 乗り込むその際に、背後よりそんな声が聞こえた。

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