9.ロリババアとスマホ
「むにゃむにゃ……」
「んー……!(背伸び)」
昨日の反省を踏まえ、優子は余裕をもって早くに目覚めた。そのため、芙蓉はまだ寝ていた。もとより朝にはあまり強くなかったし、昨晩優子から怒涛の詰め込み教育を受けた影響もあった。
「芙蓉ちゃん? 寝てるの? 私はもう出るからね?」
「むにゃ……?」
芙蓉としては、再び大学へ赴きもう一度「声の怪異」に会うつもりだった。とはいえ、眠気には勝てない。
「電子レンジの使い方は覚えたよね? 一人でも大丈夫?」
「むにゃ……」
優子としては、あんな事件があったのでは大学へ連れて行くのは躊躇われた。かといって家で一人にするのも不安だったが、大事件は起こるまい。さらに寝ているならなおさら仕方ない。
「行くからね? 芙蓉ちゃんは留守番しててね?」
再三の確認は、芙蓉に責任をおっかぶせるためのものである。
「むにゃむにゃ……」
芙蓉は微睡みながら、二度寝した。
***
「ん……」
「おはようございます。芙蓉さん」
目覚めると、首を吊った男が見下ろしていた。
「ぬおっ?! 滅三川!?」
飛び上がるように起き、あたりを見渡す。間違いなく優子の部屋だ。
「おぬし、来られるのか……? 優子の部屋に……」
「そうですね。そこの、僕がずっと叩いていたらしい壁から……なんか、スッと。通り抜けられるみたいで。よくわからないですけど」
滅三川は自らを「地縛霊」(この言葉も新しい概念のようで、芙蓉には初耳だった)といっていたが、二部屋分の行動範囲はあるらしい。たしかに優子の生活を覗いていた、とも言ってた。
「ん。優子は……? あ」
夢現だった朝の記憶が蘇る。寝ぼけていたのでそのまま優子から置いていかれたのだ。
「優子のやつめ……! 大学についてはまだ調べが済んでおらんというのに」
「大学にもいたんでしたっけ? 怪異」
「なんじゃ、昨夜の話も聞いておったのか。しかし、まあ、優子がいうには違うらしい」
「そうなんです? 一部始終しっかり聞いてたわけじゃないんですけど」
「声はともかく……
そのとき。
ヴー、ヴーと震えながら机の上でガタガタと暴れる音が鳴り響いた。
「な、なんじゃあ?! あやかしか!?」
「スマホみたいですね」
「すまほ?」
滅三川が机を指す。見れば、たしかに優子が頻繁にいじっている「すまほ」である。普段は肌身離さず持っている印象だったが、今は部屋に置きっぱなしだった。
「優子さん、忘れてしまったんですかね」
「ふむ。大事なものなのか?」
「そうですね。現代人にとっては大事なものです。芙蓉さんの時代に例えれば……なんでしょ?」
「ところで、なぜこやつは暴れておる……」
「あ、そうだ。電話がかかってきてるんですよ。どこからになってます?」
滅三川に促されるまま画面を覗くと「非通知」との文字が見えた。
「ふむ……?」
「念のため出てみますか、芙蓉さん。えっと、機種にもよるんですが……このタイプはスワイプするのかな」
「すわいぷ……?」
「ここに指を置いて、横にスッとなぞるんですよ」
「????」
滅三川の説明も虚しく、数分に渡る着信音は鳴り止んでしまった。
「あーあ」
「な、なんじゃ……なにかまずいのか?」
「いえ、別に大したことではないんですが。非通知でしたし。ただ、人から姿の見えない芙蓉さんが電話に出たらどうなるのかなって、ただそれだけの興味ですよ。僕はそのへんのものには触れませんので」
「壁は叩けるのにか?」
「それが不思議なんですよねえ」
「ところでデンワとは……? デン車の類縁か?」
「字は同じですね。こう書くんですけど」
「
驚くべき真実である。「デン」の正体は「
「ほう! 電話とは遠くにいても通じ合えるのか。このスマホでそれができると? ではさっそく優子にスマホを忘れていることを知らせねばな」
「いえ、優子さんはそのスマホを忘れているわけで……」
「?? …………(考え中) !!(理解)」
思い当たる節がいくつかあった。明哲なる知性は一を聞いて十を知ることができる。それこそ
「そ、そういうことか……! 優子はあのとき彩なる友を、スマホによって呼び出したのか……!」
「いやぁ、そういうふうに驚いてるの見ると新鮮ですけど、実際驚くほど便利ですよね」
「なるほどのう。駅や大学で見かけた多くの人間もスマホを手に持っておった。であれば……それを前提として社会が成り立っておるのだ。違うか?」
「おお! すごいですね……! そうです。まさにそういうことです。あったら便利というより、ないと不便というものにまでなっているんですよ」
「ふへひひ……まあ数千年も生きておるからな? 数多の人の世を渡り歩いてきたからな? 建物や服装が変わろうと中身の人間は変わらんからな?」
「勉強になります。ところで、本日はどうなさるおつもりですか? 優子さんが帰ってくるまでテレビでも見ます?」
「スマホを届ける」
「え?」
「不便なのであろう? なに、ついでじゃ。大学にはまだ用があるからの」
滅三川は怪訝そうに眉を顰めた。
「……その、大丈夫ですか? 一人で電車乗れます?」
「昨日乗った。仕組みはおおよそ理解しておる」
「切符とか買えるんですか?」
「きっぷ……?」
「あ、いや、姿が見えないんなら切符はなくてもいいんですっけ。無賃乗車といえばそうですけど。それはそれとして、行き先とかちゃんとわかるんですか?」
「近城大学じゃろ」
「何番ホームから乗るのかとか、わかりますか?」
「ほうむ……?」
「どこ行きの電車に乗ればいいか……わかってます?」
「近城大学じゃろ」
「うーん。やっぱり無理ですよ。絶対。大変なことになります。芙蓉さんにはまだ無理ですって」
「わしを誰だと思うておる。まさかおぬし、わしが童の姿をしておるからといって惑わされておるな? かーっ! おぬしも目で見えるものに囚われる人間と変わらんのう」
「うーん……」
滅三川は頭を掻いた。首を吊りながら頭を掻くというのも妙な光景で、生前の癖というものだろう。
「では、わしは行くぞ。滅三川、留守はおぬしにたのむ」
「あ、ちょっと待ってください。実はいうと僕、電話かけられるんですよ」
「ほう?」
と、滅三川はどこから取り出したのかスマホを手に取っていた。幽霊に化けた際、死亡当時の縄や服も付随している。それと同じように、スマホもポケットに入っていたのだ。
「これも不思議なんですけどね。いろんな機能が死んでて、できるのは電話だけでして……試しに優子さんのスマホにかけてみますね」
そういうと、再びヴー! ヴー! とけたたましく鳴り響く。
「おおう……! たしかに鳴らせるようじゃな。なんと便利な……」
「芙蓉さん? いや、『なんと便利な』じゃなくてですね。電話に出てください」
「んん? もう鳴っておるではないか」
「だからこう、そこの! 指でこう、スィ~ってやるんですよ」
「ん? んん??」
まったく理解に苦しむなか、芙蓉は滅三川の動きを真似てスマホを操作した。
「もしもし。聞こえてますか」
「ん? んお? んんんん?? 待て待て、これは……スマホから聞こえておる?」
「これが電話です」
「これが電話か!」
電話そのものが怪奇であったので、幽霊が電話をかける奇怪さについて芙蓉は理解しなかった。
「ま、まさか……まさかそういうことか!? 電話なら、離れていても会話ができるというのか?!」
「え、あれ? そういう話をして、そういう理解をしましたよね?」
「なるほどのう。であれば、わしから滅三川を呼び出すこともできるわけじゃな」
「いえ、それはできないみたいで……」
「なんじゃ。不便じゃの」
「僕だけですよ? 幽霊なので。そこは一方通行みたいです」
「ふむ。こうやって話すのか。たしかに見覚えがあるのう。じゃが、優子は彩を呼び出すのに話はしておらんかった気がするの……」
「あー、それはたぶんLINEとかですね」
「????」
やたら複雑で要領の得ない説明だったので、かかってきた電話をとる操作だけを専念して覚えることにした。
「これで僕から定期的に連絡入れますから。最悪の事態は避けられる気がします」
「なんじゃ最悪の事態って」
「反対側に乗って終点まで乗り過ごしちゃうとか……」
「かーっ! わしがそんな過ちを犯すと思うか?!」
「そうですよね。大丈夫ですよね……あ、充電はどうです?」
「重電……?」
「十分みたいですね」
かくして、芙蓉は出発した。
「あ、鍵……オートロックだからいいかな……いやよくはないか……?」
***
慣れた手つきでエレベーターに乗り、マンションから出る。外は雨が降っていた。直後、ヴーヴーと懐に忍ばせていたスマホが鳴った。事前に予習していたため慌てることなく芙蓉はスマホを取り出し電話に――
「ん?」
出れない。スワイプ操作がうまくいかない。
「ん? んん?」
何度か繰り返し、ようやく成功する。
「なんじゃ、滅三川。定期的に、とはいうておったが早すぎるぞ。せめて駅についてからでいいではないか」
『きれい、な、足音ですね』
「あ?」
聞き慣れぬ、掠れた女性の声だった。ざらついた声だ。
「……誰じゃ?」
思えば、最初に取り損ねた非通知の電話は、誰からだったのか。
がりっ、がりっ――と、擦るような、齧るような音が不規則に続き、沈黙が続く。
『なんで生きてますか?』
得体のしれない、声だった。
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