4.ロリババアと検証実験
奇妙な夢を見ていた気がする。
飲み会からの帰り道、全裸の幼女に出会うのだ。よせばいいのに、捨て猫でも拾うように家まで連れてきてしまう。そんな夢だ。
(ペットでも飼いたいのかな……)
夢は夢だ。深く考えることはない。
と、伊藤優子は目覚めた。ともかく、久々に目覚めがいい。最近は悪夢ばかりを見ていたが、今朝の夢は変ではあっても愉快な夢だった。気づけば昼になっていたが、今日は土曜だ。酒も抜けているし、気持ちのいい朝(昼)だった。
「ん。起きたか」
が、そんな気分をひっくり返す大問題が、優子の顔を覗き込んでいた。
「うえっ?! ええええええ!!?!」
飛び上がって身を引くが、ベッドは壁際にあるため逃げ場はない。
「な、なんじゃ。大声を出しよってからに」
「えっと、芙蓉……ちゃん?」
「そうじゃが」
「ああ、そうか。夢じゃないんだ。そうか……」
心臓がバクバクしている。ただ驚いたからではない。
改めて見ると、幼女ながらに妙な色気を感じる顔立ちだった。艶やかな長い黒髪。吸い込まれるように綺麗な瞳。煌びやかな赤い着物。人形のような造形美、それでいて生気に溢れている。
昨夜の記憶が戻ってきた。酒が入ってわずかに朦朧としていたが、それ以上に状況理解から逃げて明日の自分に託したのだった。
ひとまず顔を洗い、朝食(昼食)を摂り、歯を磨いて寝癖を直して、軽くストレッチをして冷静になる。
「うん。ひとまず警察行こうか」
「けーさつ?」
最悪、これは児童誘拐ではないか。そんな怖ろしいことを考える。警察に行くといっても自首ではない。迷子を届けるのだ。むしろ善行である。なにも恥ずべきことはない。
よく考えたら最寄りの交番がどこかわからなかったのでスマホで調べる。駅前にあるらしい。そういえばあった気がする。よく考えたら昨日の時点で110番でもしてれば済んだ気がする。なにもかもよく考えなかった結果だ。
(それにしても……どういう子なんだろ、芙蓉ちゃんって)
話し方が妙にシャキっとしている。気がする。車や自動ドアを初めて見るかのように驚いていた。すっごい田舎から引っ越してきて家族とはぐれたのか。それにしては、迷子らしい怯えがない。即座に110番の発想が抜けていたのもそのせいだ。なので悪くない。
(まあ、そのへんは警察に任せるとして……。あれ? 鍵が開いてる……? まいっか)
徒歩十分。芙蓉の手を引き、駅前の交番まで辿り着く。警察のお世話になる機会は少ないが、いつだったか旅行中にスマホをなくしたとき以来だろうか(のちに見つかって届けてもらった)。迷子を届ける場合はなんと切り出せばいいのか、少し緊張する。
「あの、すみません」
「はい。なんでしょうか」
意を決して声をかける。応対してくれたのは気のよさそうな若い男性の警官である。
「えっと、その、昨日ですね。この子をその、神社で見つけまして。こう、迷子らしく、一晩預かっていたのですが……」
「この子?」
警官は首を傾げる。
「はい、この子で……」
「えっと、……どの子ですか?」
時間が止まる。嫌な汗が額を伝う。今も手を繋いでいる芙蓉を見る。警官の目線も芙蓉に向かっているように見える。だが、見ていない。そこに子供がいるという認識を、共有できていなかった。
「えっと、その、あの……すみません!」
逃げ出すように、優子は交番から去っていった。
それからしばらく、駅前噴水広場のベンチで腰を下ろして考えていた。心臓が不快な音を鳴らしていた。
芙蓉の姿は周囲からは見えていない。冷静に考えれば、煌びやかな赤い着物の幼女といった珍妙な存在というだけで、本来ならもっと注目を集めていいはずだ。右に左に目を泳がせるが、芙蓉を気にするそぶりの通行人の姿はどこにも見当たらなかった。
「お、おお~……。人が多いのう……。な、なんじゃあの建物、いくらなんでも高すぎではないか? あ、あとこれ、水がちろちろ出続けておるこの……これはなんじゃ?」
あいかわらず、芙蓉は見るものすべてが珍しいという顔で目を輝かせている。
まさか、とは思っていた。もしかしたら、とも考えていた。だけど、できるだけ現実的な解釈をしようとしていた。その姿勢を貫くなら、もはや「幻覚」以外の解釈は残されていなかった。
「芙蓉ちゃん。ちょっとさ、向こうの方の、店の前にあるチラシとってきてくれない?」
「チラシ?」
「こう、紙切れ。ほら、向こうにあるじゃん」
「んん~?」
幻覚であるかどうかの実験である。芙蓉がチラシを取って来られるなら物理的実体があることになるし、優子自身にとって未知の内容であるチラシであればチラシそのものも幻覚ではないと確かめられる。そう考えた。
だが、どういっても伝わらないので自分で取ってきて「これ」という他なかった。
(いや、これじゃ意味ないじゃん!)
一方で、こうも考えられた。芙蓉が指示を理解しチラシを持ってきたとしても、本当は自分で取ってきたのをそのように認識するだけなのではないか。そこまで疑ってしまうと、もはやなにも信じられない。
(え、幻覚ってそういうものなの? 幻覚なの疑ってても見え続けるものなの?)
となると、次は警察ではなく病院か。優子は頭を抱えた。
「どうした優子よ。なにか悩みがあるようじゃな」
「えっと、まあ、うん。そうだね……」
「ところで、けーさつとやらは……さっきのか? 検非違使のようなものかの」
「あー、うー……。ちょっと待ってね」
スマホを取り出し、LINEを入れる。呼べばすぐ来るいつも暇な友人を呼ぶ。
「やっほー。優子、昨日飲んだばっかじゃん。いや別にいいけどさ」
「芙蓉ちゃん、ほら。あの人。わかった?」
次にやるべきことは友人への相談。並びに、友人を使った実験だ。
芙蓉の姿はどうやら他人には見えないらしい。では、裾を引っ張るなど物理的に干渉した場合はどうなるか。それが今回の実験だ。友人の月宮彩には犠牲になってもらう。
「ん?」
反応があった。彩は明らかに引っ張られた裾を気にしている。だが、見えてはいない。
「優子、なんかその……あれ?」
戸惑っている。これは有意義な実験結果だ。が、さらなる疑心暗鬼の影が差す。
(彩がはじめから……グルだったり?)
疑い出すと、キリがない。
「ねえ、優子。なんなの? ねえ?」
ハッと我に返る。客観的に見ればずいぶん不審な様子だったろう。
「あ、いや、なんというか、その、あのね……はは」
「大丈夫? 昨日飲みすぎた?」
「ちょっとどっか店入って、落ち着いて話そっか。実はこう、大変なことになってて」
怪訝そうな視線がつらいが、今は堪える。芙蓉の方も困惑のまなざしを向けていた。
というわけで、小腹も空いていたのでサイゼリヤに入った。店員には「二人です」と答えた。どうせ四人掛けの席に通されるから問題ない。芙蓉を奥に座らせ、彩とは向かい合って座った。
「ほうほう。昨日、あのあと帰りに神社で全裸の幼女を拾ったと。なにそれ虐待……?」
続けて「警察は?」と問われる。「さっき行った」と答える。それから根気よく、順を追って説明する。はしゃいでうるさい芙蓉は間違い探しを与えて黙らせておく。
「なるほど。わかった。いやわからん! そこにいるわけ? その芙蓉ちゃんっての」
「うん……いる……」
正気を疑われても仕方ないし、優子自身も疑っていた。彩も困り果てて腕を組んで唸るしかない。重い沈黙が続いた。
「のう。優子よ。どこをどう見ても同じ絵じゃと思うんじゃが……」
沈黙が破られたようでいて、この声は彩には聞こえていない。さすがの芙蓉も沈黙の意味に気づきはじめた。
「なんかおかしいと思うておったが……もしかしてわし、優子以外には見えとらん?」
「うん。いまさら……?」
「い、いやとっくに気づいておったが……なんで見えとらんのじゃ?」
「私が聞きたいんだけど……」
その様子を、向かいの席からすごい顔で睨まれていた。
「ねえ、頭おかしいと思う? 思うよね。私も思う。どうしたらいいと思う?」
「気を悪くしないでほしんだけど……とりあえず病院、かなあ……?」
「だよね……」
「ほら、座敷童とかってさ、レビー小体なんちゃらっていうじゃん。ああいうのかも」
「レビー小体なんちゃら……?」
聞き覚えがなかったのでスマホでググる。
レビー小体型認知症。恐怖心を伴わない幻視があるとされ、具体的な人や物の形が見える。座敷童の伝承との類似性を指摘する論文もあるらしい。
なるほど、と思ったが、認知症というだけあって高齢者に多いようだ。二十代での症例はさすがになさそうだった。
「まあ、それはたとえばだよ。あたしも全然詳しくないし」
「うーん、でもやっぱり幻覚、なのかなあ……」
「いや幻覚ではないでしょ冷静に考えたら。さっきたしかに裾は引っ張られたし、シュークリーム食べたんでしょ?」
「シュークリーム食べたの私かも……」
「でもさ、あれじゃん。なんか病気だったら兆候くらいありそうじゃん? あたしらほぼ毎日会ってるけど、優子にそういうのなかったはずだし……?」
「じゃあなに? なんなんだろ。ねえ芙蓉ちゃん、あなたはなに?」
「ん? わし? その、まあ……大妖怪じゃけど……」
「大妖怪だって」
「大妖怪かあ」
頭を悩ませているうちに注文していた料理が届く。ドリア、マルゲリータピザ、エスカルゴのオーブン焼きだ。
「ぬお?! な、なにやら、うまそうな……」
「食べていいよ。……って、芙蓉ちゃんが食べたら彩にはどう見えるわけ……?」
と、様子を見守る。
「く、食えというてもな……」
「どれでもいいよ」
「しゅーくりーむはないのか?」
「ない」
しばらく悩んで、芙蓉はピザに手を伸ばした。
「あっつ! ふぁ、ぁ、……ぬ。ぬぅぅ?! なんじゃこりゃあっつうっま!!」
にゅぅ~っと、チーズの糸を引かせながら、芙蓉は美味しそうにピザを頬張る。
「で、どう?」
「……………………なんか、ピザが消えた」
目を丸くしながら、月宮彩はそう答えた。
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