第43話「線香花火④」
俺の質問に苦笑いを見せた先輩を見て、心底安堵していた。
ようやく先輩が笑ってくれたのだ。
誰もが考えられないほどに曲がらない優しさを持っている彼女が笑みを見せる。
それだけで俺も救われた気がした。
本当に、良かった――と肩の荷が下りて、それからの数分間はじっと並んで歩いていく。
小学校の頃に図鑑で取り入れた星空の知識を先輩に伝えながら。
木々が小風に揺れ、街灯の灯りがぽつぽつと点滅し。
星空は小さい輝きを放ち、俺達を照らす。
あの赤く光り輝くのがうしかい座のアルクトゥルス、
薄く白く輝く星がしし座のデネボラ、
その下にあるより一層白く光っている目立っている星がおとめ座のスピカ。
結ぶと見えてくる三角形が春の大三角。
そう言うと先輩はくすりと笑みを浮かべる。
また笑ってくれた。
和やかな気分だ。
俺はすぐに続けて、横にある星座を先輩の美しさと天秤にかける。
すると、頬を赤く染めて、手を振って否定した。
真っ赤な顔で、俺の目と視線は全く合わせない。
繋いでいた手を離そうとはしないのに、離れようと身体をそっぽに向ける。
恥ずかしいのか、嬉しいのか、それとも全部なのか。
理由はともかく、そんな先輩が可愛くて、綺麗でたまらなかった。
☆☆☆
くだらない会話に花を咲かせていると、いつの間にか俺たち二人はみんなが待っているキャンプ会場についていた。
すると、遠くの方から走り駆け寄ってくる影が見えてくる。
必死に走る姿、真夜中で薄暗く、音も少ない世界にドタバタと足音が鳴り響く。そして、次の瞬間には俺と先輩の間目がけて思いっきり飛び掛かってきた。
「冬華おねえちゃああああああああああああああああああああああん!!!!」
うすぐら街灯とテントの近くで燃えるBBQの残り火だけで誰が飛び込んできたのか寸前まで分からなかったが、その声で分かった。
「っ夏鈴」
「夏鈴ちゃん」
ドスっ。
胸目がけて迸る雷。鈍痛が胸から背中にかけて駆け巡る。
「っうぁ!! ちょ」
凄まじい一撃に俺と先輩の体はぐわんと大きく揺れて、その勢いのままに背を前にして倒れた。
くるりと反転し、直後に三半規管がぼそっと異音を鳴らした。
「っ⁉」
途端の判断で先輩の手を離したがおかげで、凄まじい勢いは俺に一直線。
ズドン!!!
まるで爆音のような地面に何かを打ち付ける音が鳴り響いた。
「んがっ⁉」
「ちょっ、えっ⁉」
視界がぐるぐると回る。
おかしくなった世界で薄っすらと聞こえてくるのはこれまた美しい言霊。微かな妖艶さとほんのり香ってくる優しさが声音という概念を覆す。
――あぁ、なんていい声なんだ。
なんて、当たり前のことはおいておいて、俺の背中は文字通り悲鳴を上げていた。
「っがぁ……さ、さすがに……痛いんだけどっ!」
「あれ、お兄ちゃん。どうして私の前に?」
「どうしてじゃねえ! ど、どいてくれっ。さすがにこれはひどいぞ!!」
身を起こそうとするも俺のお腹当たりで馬乗りになったまま不思議そうな顔を浮かべる夏鈴のせいで起き上がることができない。
「冬華ちゃんは?」
そして、挙句の果てには俺の心配は他所に顔を上げて先輩を探そうとし始めるおかげで、いつまでもお腹は暖かいままだった。
「っあ、冬華ちゃん!」
さっそく先輩を見つけると俺のお腹を跳び箱のロイター板見たく使って跳ねていく。
「うげっ⁉」
俺のことなど何のその、そのまま先輩の方に駆け寄り腰辺りに抱き着く姿が見えて心底涙が出そうになる。
お兄ちゃんは?
そんなことよりもお姉ちゃんらしい。
「っうぅ、帰っちゃったのかと思ったんだよ! どこ行ってたの!!」
「え、いや……ごめんなさい。心配かけてしまって」
「もう、何処にもいかないでね!!」
「は、はいっ。ありがとうございますっ……そ、それよりもあの、藤宮くんが」
「え、お兄ちゃん? なんでそんなところで寝てるの?」
「……誰のせいだと思ってるんだよ」
「……え?」
何が「え」だ。
妹じゃなかったら許していないぞ。まったく。
俺なんかよりも先輩の事が心配だった気持ちも分かるけど、にしてもぶっ倒す必要はないだろう。
扱いのひどさには慣れてるが、久々の身体へのダメージが大きすぎてすぐさま立ち上がれなかった。
すると、見かねたのか身を寄せてくれるのは先輩だった。
倒れた俺のすぐ横に膝をついて、手を胸に当ててくれる。
小さくて暖かいやさしい手が心にじんと沁みてくるのが分かった。
「っ藤宮くん、だ、大丈夫でしょうか」
「うぅ……しぇ、しぇんぱい、これが……大丈夫に、見えますか……」
「あぁ、そ、そんな風には見えないです!! で、でもでも、こういう時はどうすればいいか……っ」
「……先輩に囲まれていけるなんて、良い人生ですよ……あぁ、お父さん、お母さん、幸せに……ぐへ」
「あ、ちょ、あのっ! 藤宮くん!」
「……」
「ふじみやくん!!!!! どうしたんですか! あの、私……ちょっと、まだ何も!!!」
「——————なんてことされて、私は心臓が飛び出るかと思いました。ひどいです、ひどすぎます。冗談にしてはタチが悪いですよ」
手に持った花火がジリジリと金色の火花を飛び散らせる中、ゆらゆらと灯る花火の灯りの奥で真剣な顔でこっちを見つめながら先輩がぼそぼそと呟いてきた。
「あはははっ……だって、いじりがいがあるなって思いまして」
「あの、私は真面目に言ってるんですよ?」
「知ってますって。でも、先輩が返ろうとした時の方がビビりましたよ、俺は?」
「っ……そ、それは反則じゃないですか」
「はははっ。まぁ、そうっすね。これからはしないようにしますね」
「……そうしてくれると助かります」
ぽた、ぽた。
火が消えて、もう一本に火をつける。
俺と隣の先輩の影が花火の光で揺れながら地面に映っていた。
そう、夏鈴が抱き着きまくった後、俺達は藍沢さんや尚也に気を配られて離れた浜辺に二人っきりにされていた。
「にしても……どうして、私たち二人にしてくれたのでしょうか」
「え?」
「いや、その……私も、皆さんに迷惑かけてしまったのに、何も言えずじまいで。せめて花火の火消用の水くらい用意したいなと思いまして」
「っ……そういうことでしたか」
バチバチバチ。
花火が音を起てる中、隣の浜辺の灯りを見つめる先輩に俺は思わず笑みがこぼれた。
「ど、どうして笑うのですか」
恥ずかしそうに呟く彼女に対して、俺はなんでもないですよと答える。
「……なんでもなかったら、笑いませんっ」
ぽてっ。そんな音がしそうな。
まったく痛くない左の拳が俺の肩に当たった。
「いやいや、なんだか。どこまでいっても変わらない人なんだなって思っただけです」
「それは、悪い意味でしょうか」
「まさかっ! そんなわけないじゃないですか? 先輩は完璧超人ですよ、悪いところなんて一つもないですって」
大袈裟に否定してみると、視線を落して自信なさげに溢した。
「買い被りです……」
「どこまでいっても謙虚ですね」
「っだって……だって、事実じゃないですか、そんなの」
自信なさげなのはいつまでも変わらない。
少しいじめてみようかと思い、思いっきり頷いてみる。
「まぁ。そうですね」
「うぐっ」
そしたら、それはそれで案の定。
痛いところ刺されたかのように、背中をキュッと丸めた。
「あれ、実は期待してましたか?」
「……べ、別に」
「の割にはなんだか残念そうですね~~」
「……き、期待はしてませんよ。本当に! ただ、その……藤宮くんが意地悪って言うか。とにかく、ずるいんです!」
「あはははっ。すみません」
「すみませんって……もう、本当に分かっているのですか?」
ぺこぺこ頭を下げるとジト目でジーッと見つめてきた。
「分かってますって……それに、先輩?」
「なんですか?」
「みんなは先輩にそこまで求めていません。こうやって遊んで、楽しくしてくれているのならそれでいいって思ってますよ」
「でも——」
「みんな事情を知っています。だから、そこに甘んじてくださいよ」
そう言うと、反論しかけていた口がきゅっと締まった。
すっと俯き、考え始める。
そして、十秒ほど経つと俺の目を見てこう言った。
「————私、本音を言っていいんですか?」
「はいっ。勿論です」
俺は頷いた。
それは、俺達が望んでいたこと。
言ってほしい、そう思った。
しかし、彼女の言葉は斜め上を言っていたのを数秒前の俺は知らなかった。
「私は—————」
PS:新作そろそろです。お楽しみに。
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