第42話「線香花火③」


 

「おい、あんたら。痴話げんかをするのを止めようなんて気はないんだけどさ? 他の客もいるんだから、よそでやってくれないか?」


「え」

「あ」


「「す、すみませんでしたっ!!!」」







 先輩をなんとか、あと一歩のところで引き留めた後。


 冷静になって、迷惑がる様に言ってきたバスの運転手さんに頭を思いっきり下げてキャンプ場への来た道を戻ることになった。


 街灯が何個かしかない薄暗い夜道を二人で歩いていく。

 閑散とした夜道を肌寒い小風が包み、舗装された道を鳴らす先輩と俺の靴裏。


 コツン、コツン。

 一定のリズムで鳴る音が無音の世界に響き渡る。


 そんな静かな中、俺は隣を少し暗い表情で歩く先輩に言葉を投げかけた。


 まずはくだらない会話から。

 俺も中学の時に色々体験した手前、こうやって一人でどうにかしてやろうと思っていた時期があった。今の先輩程立派な人間じゃなかったけど、なんとなくどうすればいいのかは覚えている。


 そして、それこそ。あの時に助けてくれた尚也はくだらない会話から話してくれた記憶がある。

 


 とにかく話題は何でもいい。

 まずは会話をすることが大事だ。


「星とかきれいですね。そろそろですかね、夏の大三角が見えるのも」

「……そ、ぅ、ですね」

「先輩は星とか見たりしないんですか?」

「あんまり……です」


 数言交わして思う。

 俺なんかよりも、重傷だった。


 いじめられた、そんなことよりも疲弊している姿を見て我に返る。


「……」


 無言が続き、数秒ほど経つと今度は先輩側から動いた。


「っ————すみません、私が帰ろうとしたばっかりに」


 溢していた笑みがふと無に変る。

 悲観的な表情で、俯くように。


 さっき、俺の胸に抱き着いてきたときの涙を垂らしたまま、彼女は再び謝ってきた。


 思いだせば、そうだ。俺たちに知らせずに帰ってしまうくらいに優しい先輩はこうやって自分のせいにする。


 認識が甘かった。

 先輩にはもっと踏み込んで話をするべきかもしれない。


 少し思考を変えて、再び踏み込んでみた。


「っふはは。っんも、先輩はいつもそうですよね」


 悲しそうな反応に対して俺は笑みを溢した。


「ど、どうして笑うんですかっ」


 そう言うと、先輩は不満そうに返してくる。


「別に、なんだか先輩の抱え込んじゃうのはほんとにいつでも変わらないんだなって思ってきてしまって」

「……だ、だって。私はそうして生きてきたのですから」

「先輩は我慢強いですね。俺だったら、すぐ尚也に言っちゃう気がするのに」

「それは藤宮君が前向きな人だからです。むしろ、私にとってはこのくらいが普通ですよ」

「前向きって言われたら俺は先輩を思い浮かべますけどね?」

「ど、どこがですか」


 思い浮かんでくるところはいくらでもあった。

 ジト目で見つめてくる先輩に対して、すぐに答えた。


「優しくて健気なところ、それでいて不器用で、でも一生懸命なところも……まぁ、全部ですね?」

「……ずるいです」

「そう言うところを尊敬してるんで、認めてもいます。だから、言ってくれないと心配しちゃうじゃないですか」


「違うんです。そうじゃないです。むしろです……私が言うことで藤宮くんたちに、なにより君に……」


 すると、少し戸惑った顔で数秒黙りこける。

 そして、一言呟いた。


「——迷惑を、かけたくないんです」


 溜めた一言はありふれた言葉でもあったが、それと同時に重い一言でもあった。

 何より、それが先輩が先輩らしさを持っているが故の所以。


 生徒会長をして、誰よりも責任感を感じて、誰よりも全力で一生懸命頑張っている。


 それでいて、健気で、好奇心旺盛で、理解できないものを理解しようと努力だってする。


 とても綺麗で美しい他の誰よりも可愛く劣らない容姿を持っていながらも一切奢らない、謙虚でひたむきな彼女。


 この世界に一人といないかも知れないほどに、過剰と言っても過言ではないほどに純粋な女の子。


 だからこそ、言わないように、を掛けないように。


 これから聞くであろう、何かがあった記憶がそう成している。

 想像すると見えてくる痛々しい言葉だった。


 もう、私は誰にも迷惑を掛けたくはない。

 私のせいで不幸になってほしくない。

 関わってもらいたくはない。

 だから、一人だった。


 そう言っているような気がした。


「迷惑?」


 言っていることも分かった。

 もちろん、そう思うのは当たり前で、先輩ならそう思うのはなおさらだろう。


 でも、俺は少し違った。


「はい……迷惑かけちゃうじゃないですか」

 

 そんなことしたくありません。そう訴える視線を俺は遮って呟いた。


「迷惑は友達になら、親友なら尚更かけるべきことじゃないんですか?」


「——え?」


 それはもう、心底先輩の表情は驚きでいっぱいだった。


「何を言ってるのかわからない、そんな顔してますかね?」


「それはそうじゃないですかっ。迷惑をかけるべき、そんなわけないですっ」


「別に俺はたくさんかけてくれたっていいんですよ?」


「そ、それは……言いますけど、藤宮君はお人よしですよ! 最初、私を助けた時だってそうです! 私なんか助けてくれたのは君しかいません。あれはどう見たって助けようとなんてしませんよ。気づいたときにはもう遅かったんですから。私なんかを助けるよりも、助けたときのデメリットを考えて助けないほうが合理的ですっ」


「でも、ほら、僕は先輩を助けたからこそ今こうして先輩と楽しく過ごせているんですよ?」


「それは結果論ですっ。怪我だってしたじゃないですか。おかげで入学式は出席できなかったし、きっとご両親もそんな姿を見たくなかったはずですっ」


 意志は固かった。

 私なんか、私なんか。


 私——のほうに言いたいことが詰まっているわけじゃなくて、先輩は——なんか、のほうに言いたいことを詰め込んでいた。


 自分を助けたら迷惑が掛かる、だから君もそうなった。

 結果論ではよくなったけど、毎回そんなうまくはいかない。

 それが摂理。


 もっともらしい意見だった。


 でも、それは本当に先輩が言いたい事だっただろうか。


「生憎と、両親には褒められましたよ? 自分を犠牲に他人を助けようとした心意気は素晴らしいって。母親は成長に涙してたくらいです」


「でもっ。その時はよかったとしても、こうやって藤宮君がまた私の複雑な事情に絡んでしまっているせいで、都合が悪いことに、利用とかされるかもしれないんですよっ……私だって、それは頼りたいです。頼れる人がいるのなら頼りたいんです」



 唇を縛って、硬く手を握り締める。

 一緒に歩いていた彼女の歩幅合わなくなり、やがて手から温もりが離れていく。




「——でも、私にそんな人はいません。いたとしても……私なんかのために助けて、嫌なことが起こるなら私が、私だけが犠牲になればいいんですよっ」




 重苦しい言葉だった。

 以前の俺だったら、あの日助けた日にここまで関わってしまえばこれ以上は何も言えなかったであろう。


 でも、今は違う。


「————バカじゃないですか?」


 その言葉は初めて先輩に使った暴言だった。


「ば、バカっ⁉」


 目が見開いていて、まるで優等生がタバコを吸っている所を見た先生のようで。

 先輩の驚くさまを見つめながら、俺はそして続けた。


「えぇ、馬鹿ですよ。さっきから、私なんか、私だけが、あーだこーだ言ってますけどね。本音を聞いてませんよ、まったく。俺はさっきからしたいようにやっているんですよ。もちろん、迷惑かけているって自覚してます。先輩が俺たちのことを思ってやってくれていることも分かっています」


「じゃあなんで——っ」





「先輩がまったく、見えないんですよ!!!!」





「っ」




「涙を流す姿も、それで耐える姿も、心配させまいとする姿もすべて————嘘にしか見えない」



 だから俺は。



「本音を、本音を……俺はですね。あなたの本音が知りたい。さっき、溢してくれたような本音を知りたい。ただそれだけなんです。その本音が俺たちに迷惑をかけるって言うなら別に何も思いませんよ」


「でも……」


「俺は本気です。友達を、尊敬する間柄に慣れた人がしたいことをしようとするために迷惑をかけられるのなら本望ですよ」



 苦虫を噛み潰したように、ばつが悪く俺に近づく先輩。

 こつん、こつん、そうして近づいてくる。


 何か言いたげで、でも口ごもっている姿を見て、呟いた。




「んま、まずは花火しましょうよ」





 





「あぁ、それにしても先輩。バス運転手に痴話喧嘩って言われて、俺少しだけ嬉しかったですよ?」

「えっ……」


 クスッと笑みを浮かべて、一歩二歩。

 再び歩き始めると、先輩は俺の手から手を離した。



「っ彼女っぽく、見えたんですかね?」



 分かっていた言葉に頬を赤く染める先輩はそっぽを向いた。

 そして、これまた予想していた通りの言葉をこう呟いた。


「いじわるな質問、しないでくださいよ」

 

 






PS:遅くなりました。すみません。



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