第41話「線香花火②」


「せんぱっい!!!!」


 あてなんてありはしなかった。

 今日初めてきた場所で、どっちかが北か南か、方角はおろか時間も分かっていなかった。さっきまであった夕日はすっかりと落ちてしまっていて、この場所を照らすのはジジジと音を出しながら点滅するボロボロな白熱灯。


 小学生なんかがこんなところに取り残されたら平気で泣いてしまいそうな、まさに薄暗い場所だった。空にはくっきりと見える三日月で、その周りを無数の星々が輝いている。


 先輩と眺めることが出来ればいいシチュエーションだった。

 いっそ、俺から思いを伝えるのもありかもしれない。


 でも、その当の本人がここにはいなかった。


 とにかく、走った。

 久々に、あの日のあの一瞬の様に走っていた。

 どこにいるかもわからないのに、体がどんどんと動いていく。


 湖、コテージ、トイレ、そして手洗い所。

 行く先々で事情を知らない人たちから視線を向けられたが、いつも慣れない注目も今ではまったくと言っていい程気にならなかった。


 どうでもよかった。

 そんなことよりも、先輩が、先輩の姿が見たくて、走り回った。


「っ——先輩」


 一分、二分、三分……そしてさらに時間が経っていく。

 時計など見ていなかったが足の疲れでどれほどの時間が経っているのかが分かっていた。


 何も考えず、たまたま履き替えていたサンダルで走り出したからだろうか、足の裏がジリジリと痛んでいる。それに息も上がって、思うように走れない。まぁ、体力があまりにもななさすぎるだけなんだが。


 先輩を助けた時は本当に数秒の出来事だったし、一瞬の速さなら小学生の時の名声から自信があったがどうやら俺は大したことがないらしい。


 こればっかりは尚也みたいにスポーツをしていればよかったと思う。


「って、泣き言言ってる場合かよ」


 ぶるぶると頭を振り、冷静になって周りを見渡す。

 先輩がどこに行くのかを考える。

 何かがあった後。何もないのに、先輩が逃げ出すわけが無い。きっと、伝えたくても伝えられないものを抱えて、でも誰かに聞いてほしくて……そんな気持ちがぐちゃぐちゃと彼女の心を渦巻いている。


 俺にもそんな時期があったから、なんとなくその気持ちだけは分かる。最初は言い出せなかった。他クラスにいる尚也にも、仲のいい妹や両親にさえも言えなかった。


 でも、尚也が俺の事をよく見て気づいてくれたから俺は救われたんだ。


 もしも、それがなければ俺は皆の前から消えていた。何も言わず、見えないところに遠くへとそのまま。


 だとしたら、先輩かのじょはどこへ行くだろうか。


 

「……俺なら、気づかれないように。迷惑を掛けないように……」



 自分で考えながらハッとする。

 あの人は極限まで、誰にも迷惑を掛けようとしない。自分から何もかも遠ざけて、空回りして、そんな不器用で優しい人だ。


 俺なら消える。

 消えるってつまり——————家に、帰る。


 それも、電話の元。

 彼女が話したがらない、嫌な場所。

 そんな場所なんて……きっと。




 先輩が頑なに言わない家の人との関係がある場所しかない。


 つまり、実家。

 そこへ向かうはずだ。



 ただ、どうやって行く。

 車はない。でも、いや——バスがある。

 ここから駅まで向かう送迎バスがあったはずだ。


 それなら……バス停か。



 確か、今日の最終バスの時間は夜七時だったはずだ。

 もしも、それに乗ってそのまま俺たちの前から消えようとするなら……。


 だめだ、このまま行かせちゃいけない。


 例え休みが明けて高校に行ったとしても先輩が俺とは口をきいてくれなくなる。なにも、そんなふうにしたいわけじゃないだろう。


 でも、そうやって板挟みになったらきっと考える。


 自分だけが犠牲になればいいと考えてしまう。


 絶対に、それだけは駄目だ。

 絶対に引き戻さないと。

 

 決めたんだ、先輩に思ってることしっかり言うんだって。

 こんなところで止めたくない。せっかくできた憧れの人なんだ。


「っ……」


 ポケットから取り出してスマホの画面を付ける。

 今の時間は——


「——18時50分」


 残ってる時間はあと十分しかない。

 そして、ここからバス停までの距離は1キロほど。


 走ったら間に合う距離ではあるが、もう体力はボロボロだ。


「って言い訳すんな。行くぞっ」


 



 悲鳴を上げる足裏を無視しながら走っていく。





 とにかく、全力で。





 先輩にこれ以上悲しい思いなんてさせたくない、その一心で。





 ひたすらに、ただひたすらに走っていく。





 残り数分になるところ。




 バスの時間が早まったのかバスの姿はもう見えていた。





 まさか、そう思いながらも足は止めなかった。


 


 砂浜からアスファルトへ、森林も抜けてやがて——ようやく彼女の姿が目に入る。




 うっすらとすべての荷物を肩に掛けた彼女が見える。




 本当に帰る気だった。


 

 

 悲しい気持ちも反面、その優しさに涙が出そうになる。




 でも、そうはさせない。




 俺が救う。



 絶対に。




 あのバスに乗せてはいけない。




 そしたらきっと下りない。




 これだけは、行かせちゃいけない。行かせたくない。





「先輩っ——」





 こけそうになっても持ち直して、そのまま次の一歩へ。




「だめですっ—————先輩!!」




 聞こえない。

 先輩の足が動き出す。




 もうちょっと。




「先輩っ……いかないでください!!!」




 だめ、だめなんです。

 俺だって先輩に。





「先輩っ——————」




 次の瞬間には。

 一歩、バスに乗っかっていた。




 しかし、俺の右手はその彼女の肩をがっしりと掴んでいた。

 顔を上げると先輩はどこか悲しそうな顔で、傾げるように俺を見つめていた。



「ふ、藤宮くん……ど、どうしてこんなところにいるのですか?」


 どうしてなんて、理由なんて、言わなくても分かるだろうに。


 いや、先輩は変なところで抜けてるし分かっていないのかな。


「っふ……っ⁉」


 ズキンズキン。

 心臓が激痛を走らせた。

 肺がビキビキとなって痛い。


 肩を掴み、片手では膝を抑えて、ぜぇぜぇと出てくる息を抑え込みながら俺は答える。


「そんなの……っ俺の、せ、台詞……ですよ」


 苦笑いで応えると先輩は慌てて近づいてきた。

 ただ、一歩手前で何か思いだしたのか動きを止めた。


「え……あ、いや。私はもう、帰らなくちゃいけない」


 何か裏があるような言いぐさだった。

 それに——


「じゃあ、どうしてそこまで帰りたくなさそうな顔してるんですか?」


「っ……」


「図星、ですか?」



 追い詰めると先輩は事切れたかのように涙を一滴流しながら、俺の肩を掴み返した。



「————君に、何が分かるのですかっ」


 辛そうに呟く。

 いつも先輩が言うようなセリフじゃなかった。


 でも、それがどんな状態を指すのかよく分かった。


「分かりません、そんなことは」


「じゃあっ——」


「関係ないなく、ないですよ」


「えっ……」


「どうせ、先輩のことです。いっつも嫌な顔見せず、俺や皆に背中を見せて強く生きてきた人です。誰にも文句は言わず、ただただ空回りしているだけの心が澄んだ優しい人のことです。きっと、何かあれば何も言わずに立ち去ることぐらい想像つきますよ」


「そんな……でも」


「でも、じゃないです」


 一歩下がる先輩の手を掴む。

 今にも逃げ出してしまいそうな手を引っ張りながら頭に浮かんできた一言を伝えることにした。




「先輩、前言ってたじゃないですか。線香花火が見たいって」


「え……そんなの私は君に」


「夏鈴から聞きましたよ。その時の顔が楽しそうで少年みたいだったって」


「でも」


「でも、見たいですよね」


「……っ」


「言いたいことは言わなきゃだめですよ?」



 そう言うと先輩は舌を向いた。

 何かが、ため込んだ何かが溢れ出てしまうかのように。

 嗚咽も、涙も漏らして……そっと俺の胸に抱き着いた。


「……っご、ごめん……な、さい」

「いや、いいんですよ」

「っわ、私……こんな……ふうに、いなっ……く、なりたく。……ない、です……っうぅ」


 弱弱しく震える肩。

 あの日救った彼女の肩よりも、ずっとずっと小さく感じる。


 涙を流し、俺に訴える彼女に優しく触れてそっと答える。




「————たくさん、聞きますから。一緒に花火しましょう」






「……っはい」






 


 

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