第38話「それ以上は言うんじゃねえ」



 ――――真夏が始まる一歩手間。

 俺たちは人知れず、早めの夏を手にしていた。


 じんわりと熱されて赤黒く変色してく金網に、その上に乗ったじゅわじゅわと泡が弾けておいしそうな匂いをまき散らす豚肉。そして、それを取り囲むように立った皿と箸を持った俺たち。


 焼きあがると強奪戦が始まり、俺は夏鈴と言い合いをして、反対側では藍沢さんと尚也が楽しそうに肉を分け合う姿、そして後ろに見守る尚也の兄の誠也さん。


 例年行っていることではあるが、それでも何か特別なものを感じる今年のゴールデンウィークのこの光景にバカ騒ぎしながらもグッとくるものがあった。


 肉の争奪戦は長く続かず、俺たちの胃が限界を迎えると始まるのは火を取り囲んだ思い出トークだった。


「それでさ、尚也の奴がプールに向かって思いっきり飛び込んで、そこと腕を激突させて大泣きしてさ! 心配した半面面白くて仕方なくてさ!」

「あぁ、なんかそれ私の学年まで話届いてきたわよ? 危ないことした上に怪我して、さらにはプールも使えなくなるしで最悪だったの」

「そればっかりは仕方なかったじゃん! だって、樹も含めてほかの奴らがチキンレースしようとするんだからよ」

「そうは言うがトップバッターが失敗するとは思わないじゃん。俺らすぐ帰らされて何もできなかったしさ」

「っちぇ。もっと心配してほしかったなぁ、こっちとしては。ていうか栄誉を与えてほしかったよ」


 ゆらゆらと火柱を立てる炎の反対側と表側で話す俺たちを横目に、先輩の表情はとても満足そうだった。


 別に会話に入ることはなったが、横に座るお腹いっぱいでほぼ寝かけてよしかかっている夏鈴を優しくなでる姿。


 圧倒的なまでの身内ネタなのにも関わらず、なんでか楽しそうに笑っているのは不思議ではあったものの、今朝の辛そうな顔とは見違えたような表情になんだかほっとする。


 そんなくだらない会話の中、少しだけやってきた間にふと先輩を方へ視線を送る藍沢さん。二人とも目が合って、ふと思ったのかこのように続けて言った。


「あ、そういえば、氷波さんの昔話とか聞いたことなかったわね」


 それに続いて答える尚也。


「あぁ、確かに! あの先輩が幼少期どんなんだったかとかめっちゃ興味あるわ! ていうか、あるよな? 樹もさ~~?」


 含み笑いを浮かべて俺に的を絞らせるのは相変わらずで、まだ知られたくもないのに余計なことしてくれるなと思いつつも、それはそうだなと腑に落ちる発言ではあった。


 表の顔は誰もが羨み憧れる清楚華憐な見た目で、それでいて冷徹な目つきで万人を震え上がらせる二極性の超絶美人。


 何せ美しさにとどまらず、勉学も、そして運動もできるという折り紙付きの完璧超人。


 だが、それでいて裏の顔は知らないことがいっぱいで普段とは似ては似つかないほどに優しい一面を持つギャップ萌えのあるお嬢様。


 そんな氷波先輩の過去。


 お嬢様—―ということしか知らない俺としても、今後のためを思うなら知っておきたかった。


「っ……」


 しかし、俺たちの視線とは裏腹に先輩の表情は顕著に動揺を見せた。

 三人の視線を集めると、ピクリと体の動きを止めて先輩は遠くを見るような目に変化した。


 何かを恐れているのか、それとも憎しみなのか、痛みなのか。言葉には表せられない目つきに変わっていく。


 普段から身にまとっている覇気のあるあの冷徹な目とはまた違うもので座っているというか落ち着きを感じるものだった。


 一呼吸おいて、ため込んだ息を一気に吐き出すとか細い声で呟いた。


「私の幼少期の話……ですか」


 一言にさすがに触れてはいけないものを悟って、藍沢さんが心配そうに尋ねた。


「いや、あれよ? 氷波さんが嫌なら全然いいの。ただ単純に疑問になっただけで」

「あぁ、そ、そう」


 慌てて続ける尚也。

 しかし、そんな二人の反応に先輩は優しくて手を添えて答える。


「いえいえ、そんな慌てなくても大丈夫ですよ。別に嫌っていう感じではないんです」

「そうなんですか……?」

「はい。私も皆さんの昔の、幼少期の話を聞きましたし、なんか私だけ話さないのは違うのもありますし……ただ、ですね」

「—―ただ?」

「何かあったんすか?」


 ゴクリと飲み物を飲み込んで、先輩は夏鈴の頭をそっと撫でる。

 その瞳がうっすら揺らいでいて、何か叫びたがっているように一瞬見えてしまった。


 なぜか、なぜだか、心に刺さるその瞳の色。

 ふと、昔あった情景が呼び起こされる。


 あの、人知れぬ公園で出会った女の子のことだ。

 顔も、名前も、容姿さえあまり思い出せない――たった一日だけを彩った少女のことが目に浮かんでくる。


 なんで今、出てくるのかが分からない。

 彼女との思い出なんてほんの少ししかないのに。

 むしろ、覚えていないことのほうが多いのに。


 なぜ、だろうか――そう考えていると先輩は寂しげに呟いた。


「楽しい思い出なんて……ないんです。優しい皆さんのように、私は綺麗に育ってはいませんから」


 重苦しい空気が一気に押し寄せてくる。

 直接的に聞こうとした二人が顔を見合わせながら、否定しようとする。


 しかし、その前に口が動いた。


「—―それなら、今日。一緒に楽しい思いで作りましょうよ」


「え」


「昔のことなんて知っても知らなくても先輩は先輩ですから。そして今日が終わったら、楽しかったこといっぱい聞きましょうよ。そうすれば楽しい思い出ひとつできますよっ」


 いきなり、ポンポンと出てくる言葉に俺自身が驚いてしまっていたが、それは素っ頓狂なみっともない顔で俺を見つめてくる先輩本人も一緒だった。


「—―藤宮、くん」


「え、あ……っと、な、何かやばいこと言っちゃいましたかね」


 怖くなって視線を逸らして、ポリポリと頭を掻き出す。

 わかっていてもやってしまう、中学からの癖だ。


 そんな風にごまかそうとすると、驚いて目を固めていた先輩が何か思ったのか優しく微笑んだ。


「—―そう、ですね。藤宮くん」


 コクっとうなづき、続けて俺の片手を掴むと目をじっくりと見つめる。

 ほのかに赤に染まった頬が先輩の気持ちを表しているかのように、少しだけ恥ずかしそうに笑みが浮かんでいた。


「っ」

「せ、先輩⁉」


 ポタリと。

 涙が一滴。

 目から零れ落ちる。


 慌てて駆け寄るも、先輩は手を振って俺の胸に触れた。


「—―なんだか、昔も言われたこと思い出してしまって……私には優しい人が付いているのだと思ったらなんでしょうかね。こう、グッとこみあげてきたと言いますか……」


「先輩……」


「今日は楽しいものにしましょう。私、これでも花火、楽しみなんですから」


 そう言いながら、まるで子供のようににっこりと笑って崩れた先輩の美人顔は、今まで以上に綺麗で――俺は一瞬の迷いもなく、頷いた。


「はいっ」









 そうして、火が消えていく。

 消えゆくともしびに、俺たち全員で話の続きをして、待ちに待った花火の時間がやってくる。






 しかし、それと同時に――不穏な兆しが音となってやってきた。




「藤宮くん」

「はい、どうかしましたか?」

「電話来たので……ちょっと席を外しますね」

「は、はい……わかりました」


 



 


 

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