第33話「意外だなぁって(最後の方を少し変えました7/18)」

 汗が生ぬるい風に飛ばされる。

 カゲロウへ、その先にある思い出に向かって走っていく。


「っはぁ」

「っはぁっ……はぁっ」

「おに、っちゃんっ……は、はやっ……ぃっ、ょっ……」


 運動ができる氷波先輩に。

 走るのが得意だった俺に。

 運動だけがとにかく苦手な汗だくの妹に。


 遅刻しそうだから走っているだけの構図だっていうのに、なぜだかそれがいかにもって感じで胸を擽る。 


 夏まであと少し。

 いや、視点を変えてみればもう夏なのかもしれないなと感じる。


 夏は夏と思えば夏なのかもしれない。


 俺にとって初めての夏。

 夏らしい夏は初めてな気がする。


 両親は仕事で忙しくて、行くとすれば近所の公園くらいだし。小学生の時だって妹の世話ばかりであまり遊んだりもしていなかった。中学生の頃はいじめられてそれどころじゃなかったし、受験期なんて余計にそれどころじゃなかった。


 塾のむさ苦しい自習室でカリカリとシャーペンの削れる音がする世界だけはもうごめんだ。


 そう考えていくと俺にとっての夏は初めて気がする。

 

 いや、昔。

 一度だけあったっけか。

 小さい頃、何にも知らない少女に出会ったあの数日間。


 あの時だけは今みたいに無邪気に遊んでいたのを覚えている。


 こうして燦燦と照り付ける太陽と、夏目前の不思議な暑さと湿っぽさにやられながら。


 こういう季節の晴れ模様の中走るのは気持ち良かった。


「ほら、いきましょっ。夏鈴ちゃん?」

「お、おねぇちゃんっ!」


 優しい先輩は少しペースを落として、俺の横でへばりかけている妹に手を差し伸べる。


 ふわりと舞う銀色の長髪は太陽を反射させて、眩しいほどに光り輝く。

 なんだか、太陽よりも眩しくて思わず目を閉じるくらいにだ。


 氷波先輩の輝きに比べれば1億4960km先にある地球を照らし続けるた太陽なんて豆電球のよう。


 汗と、暑さと。

 そして、眩しさ。


 今まで一筆も書かれていなかった青春の一ページが齢16になるこの年で——微かに埋められていく気がした。




「ねぇ、尚也くん。あっち」

「ん? あ、おぉ~~やっときたぜ、まったく」



 俺の家から大体1キロほど歩いた場所に俺の腐れ縁、漆尚也の自宅がある。尚也の自宅は一般的な一戸建ての家で、庭もそこそこある。聞いた話では最近祖父がその庭を使ってトマトづくりを始めたらしい。


 この前、なんとなく上げると言われて数個持ち帰ったが夏鈴が目をまん丸にしながら喜んでいた。


 それはそうと、走ってくる俺たちに苦笑いを浮かべながらも尚也はこっちこっちと手を振っていた。


「っはぁ、ごめん。まじでっ……遅れたっ」


 久々に体がバキバキと悲鳴を上げている。足を止めた瞬間にあふれ出てきた汗が額に滲んでいて、遅れてもいいからゆっくり来るべきだったかなとちょっとだけ反省かもしれない。


 そんな俺に対して、バシッと肩を叩いてくる尚也。


「っ樹が遅れるのはちょっと珍しいな、どうしたんだ?」

「……いやぁ、いろいろあってだな」

「いろいろ?」


 夏鈴の準備が遅れたことに、先輩の家に謎の来訪者が来たことと。ただ、さすがに先輩を悪くは言いたくなくて「まぁな」と濁す。


 しかし、そんな俺とは裏腹に後から夏鈴と一緒に走ってきた先輩が尚也のもとにバババっと駆け付けた。


 尚也の前で颯爽と頭を下げる彼女。

 俺の前ではそれなりに根を見せてくれているが、他の人の前では普段の顔だったはずだ。


 声を掛けられても、睨んで無視をする。

 告白をされても、「ごめんなさい」と冷徹な目で断られる。

 相手が誰でも、教師でも、生徒でも、それが女友達でさえまったく顔色変えてこなかったくらい。


 しかし、俺の目の前に広がっている光景は少し違った。


「っすみません。わ、私が——その、えっと、色々ありましてっ……」


 走った時の汗で額が滲んでいて、頬は真っ赤、焦っていて慌ててもいる。ペコリぺこりと何度も頭を下げながら誠心誠意謝っていたのだ。


 無論、そんな彼女に謝られている本人と言えば――。


「えっ、えぇっ……ちょっとちょっとやめてください! いやいやいやいや、え、なにこれ、この人、え、あの冷徹姫の先輩が、氷波先輩がっ、あ、謝って、ってさすがにちょっと俺に何か、殺されるんじゃないのか? おい、樹!」




☆☆☆。


「うわ~~、ひろっ」

「あ、かりんちゃんは私と後部座席ね? 樹君と……氷波さんは一緒に中部座席かな? それでいい?」

「あっ、はい」


 夏鈴が声を上げると、ぴょんっと肩を突いたのが尚也の彼女、藍沢月子。


 俺達と同じ高校に通っている高校二年生の先輩で、陸上部に所属している。一応、同じ学校でもあるため氷波先輩と同級生となるが、ただの顔見知りなだけのよう。俺自体、会うのは数回目だが妹の方はなぜだか分からないがよく会っているらしくとても仲がいい。


 見た目と言えば、簡単に大人な女性——と言えば簡単だが先輩とは少し毛色が違う。 肩まで伸びる黒髪を後ろで一つ結びにしているポニーテールで、尚也がお姉さん好きなのがよく分かってくる感じだ。


 そんな藍沢さんに妹はべったりだった。

 

「やったぁ~~。私、月子さんの方が好き~~、お兄ちゃんとられちゃったも~ん」


 指さす先には先輩と俺。

 さっきまで先輩にべったりだったのに今度は藍沢さんにくっついて意地悪そうな笑みを浮かべだす。


「か、夏鈴ちゃん……べ、別に……っわ、別に取ったわけではありませんっ」


 もちろんのこと、あまり茶化されるのに慣れていない先輩と言えば頬を赤くして否定していた。


「おい、夏鈴。困ってるからやめろって」

「お兄ちゃんだって昨日、先輩と行くからって寝れてなかったじゃん」

「っ。う、うるせぇ。ほら、早く乗りましょう。先輩」

「ぁ、そ、そうですね……」


 ぺこりと頭を下げて中間の座席に乗り込んだ。


 車はミドルクラスのハイブリット。


 うちが車を持たない世帯だったせいか、あまり車の価値についてはよく分からないが今流行りの車らしい。どうやら、尚也曰く、お兄さんが病的に車オタクらしくあまり話さない方がいいとのこと。


 昔もよく遊んだことがあるから別に気にすることでもないが、少し見ない間にお洒落になってるし、彼女か何かできたようだ。




「——そ、そういうことか。ってことは、氷波先輩は実はただ真面目で一生懸命な普通の女の子だと」

「あぁ、だからいろいろある噂は嘘なんだよ」

「……そう、改めて説明されると恥ずかしいのですけど」


 発進してから俺は尚也にその経緯を話した。助けた時から今に至るまで、先輩が悪い、ただただ冷徹なお姫さまではないこともすべて。


 最初こそ疑っていたが隣で恥ずかしそうに笑みを溢しながら頭をポリポリ掻いている姿を見て腑に落ちたようだ。


「なんか、意外だなっ。でもどうして高校ではあんな冷たい顔してるんすか?」


 助手席から顔を傾けて俺の隣に座った先輩にいつも通り疑問を訊ねる。


 俺とは違って誰にでも仲良く話しかけられるのは素直に凄いと思う。関心と言うが、尊敬と言うが生憎俺が初めて先輩と会話したのは多分先輩からだったし、いままで女性は少し怖くて話せなかった節があるし。


 ただ、先輩も先輩で普段のモードから甘い本えモードに切り替わっているため、尚也の推しには少し恥ずかしそうになっていた。


「ま、まぁ……そう言われるとよく分からないです、ね。でも、その……なんかたくさんの人を見ると怖くなってしまってあんな感じに」

「人見知りって感じですか?」

「そう言うことになるんでしょうかね」

「尚也くん、あれだよ。いつも私が言ってるでしょ? 人は見た目じゃないってさ!」

「月ちゃんが言うとちょっと嫌味じゃない?」

「うわぁ~~何々、夏鈴ちゃんは私の事なんだと思ってるの」

「超美女。あ、でも、やっぱり冬香ちゃんには及ばないかも?」

「や、やめてくださいっ……私はそんな」

「謙遜しすぎは良くないよ、冬香ちゃん?」

「べ、別に……でも、ごめんなさい」


 途中で割り込んできた夏鈴に押される先輩。

 ところどころ、押しに弱いところがちょっとかわいい。


「夏鈴。あんまりいじめるな」

「うっさい、鼻の下伸ばしてるお兄ちゃん!」

「……すんません」

「あはははっ。樹くんは相も変わらず尻に敷かれてるのね?」

「べ、別に」


 嬉しそうに笑いながら隣の夏鈴をこちょばす藍沢さん。

 少し腹が立ったが、この感じが久し振りで少しだけ胸が高鳴る。


 俺がペコっと縮こまっているとなんだか思いだしたかのように天井を見上げて呟いた。


「まぁでもさ、あんな数年前とは見違えたように明るくなったし……私、安心してるよ? 尚也も女見つけたから大丈夫だって言ってたし?」

「ちょっと。お、女って言い方やめてください! ていうか、そう言う関係ってわけでは……」

?」


「んぐっ」


 言葉に詰まる。やっぱり、こういうところを逃していないのはさすが先輩と言ったところか。


 ちょっといらないこと言ってしまったかもしれない。


「ん」


 すると、藍沢さんは視線を横にずらした。


「……あ、あの。なんでしょうか?」


 先輩はやや不安そうに視線を返す。


「ふぅん……そうか。そうね。いや、なんでもないよ。でも意外だなぁって。いっつもみんなの前に出て話してる氷波さんがここまで乙女だって知らなかったし……これは大スクープの予感?」


「ちょ、わ、私のことはそんな……おおやけには」


「あはははっ! じょーだんだよ! それに……純粋無垢な女の子でよかったぁ。ほら、特に樹くんには!」


「……まぁ、そうですけど。変に話を広げないでくださいよ」

「あれま、言ってなかったの、氷波さんに?」

「言う必要ないのかなって……」

「そぉ。まっ、樹くんがそう思うならそうするべきだね」


「……?」


 意味深な台詞にきょとんと首を傾げる氷波先輩。


 いつしか、あの話もしなければいけないときは来るのだろうか。


 そうして、俺達の夏。

 その前日談が始まった瞬間だった。



【あとがき】

 1日遅れてしまいすみません。

 祝日に更新したかった;;

 誕生日プレゼントにいいタオルとバックと、65wの急速充電器買ってもらいました。パソコン充電できるのでかい!

 




 

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