第32話「そう、この時の俺はそう思っていたのだ。」
一体、あの女性は何だったのか。
そんな風に思いながら女性の影を思いつつ、俺は先輩の部屋のインターホンを鳴らした。
不思議とデジャブを感じるような雰囲気と目鼻立ちに心情はやや揺さぶられていて、何だかよくわからない。
もしかしたら、どこかで会ったのかもしれない。
そうとさえ思えるがおそらく違う。
そして何より、二人の関係性が気になってくる。
そりゃあ先輩の部屋に用があるのだから来ていたのだろうし、赤の他人ならストーカーになってしまうし。
直感で分かるけど、そんなはずはない。
顔を見るなり目を逸らし、俺には一度も見せたことがない虚な瞳を浮かべて、先輩の方は押しのけるように扉を閉めるだけ。
深刻さ、重い空気が遠くから見ていた俺のところまで鮮明に伝わってきた。
好奇心とかではなく、ただ単純に気になる。
関係性を知りたい。
でも、見れば分かる。
触れていいものではなかった。
ただ、今の俺にできることと言えば――花火、それまで明るく接することしかできない。
インターホンが鳴ってから数秒。
ドアの向こうから「はぁい」といつも通りの透き通った先輩の声がして、がチャリと開いた。
「申し訳ございませんっ。その、準備に時間を取られてしまって……遅れてしまって……」
第一声はぺこりと下げる頭と共にこれだった。
俺を見るなり浮かべたのは申し訳なさそうな、苦虫を嚙みながら笑っているような何とも言えないもので、俺も慌てて頭を下げる。
「い、いえ……っていうか、俺もちょっと妹が準備遅れてて」
時間的には俺のほうが遅れているので、あまり申し訳なさそうにされるのも気が引けて理由を話すと安心したのか、そっと肩をなでおろした。
「そ、そうなのですかっ。よ、よかったです。てっきり、私のこと待たせていたのかと思っていまして……」
安心して、ふんわりとした顔になり、尋ねてくる。
「そんなことないですよ! って、まぁ、先輩が遅れることのほうが珍しいくらいですからね。何より、俺はまだ遅れたところ見たことありませんし」
「そ、そうですかね……これでも起きるのとか苦手なんですよ」
「意外ですねっ」
「は、恥ずかしいです……」
そう言うと、視線を逸らして、赤くなった頬を見えないように手で隠した。
どうやら、大丈夫そうで良かった。
それにしても、初耳だった。
起きるのが苦手……ということは、あれなのかな意外とベッドの上で大の字で体を広げて、おなかも見えて、涎も――――って、そうじゃない。
何想像してるんだ俺は。
悲しそうにしている人を目の前にまったく……。まぁでも、そんなだらしない姿の先輩も見て見たくはあるけど、今はそういう話じゃないだろうが。
頭で悶々と考えている俺をややきょとんとした顔で見つめる先輩。すぐに目が合って、首を傾げる。
「—―大丈夫ですか?」
「あ、いえ、本当にくだらないこと考えていただけですっ」
「く、くだらないこと……ですか?」
「大丈夫ですから、ほんとに、その……はいっ」
なぜだか、否定すると先輩は急に距離を縮めだして俺のほうを見つめてくきた。さすがに近すぎて、一歩下がると今度は先輩が一歩進んで、距離が変わらない。
むむむと喉を鳴らして、不満そうに呟いた。
「藤宮君がそう言うならいいですけど……なんだか、除け者にされている気分ですね」
「いやいや!! 別に何も先輩を抜きに何かしようだなんて考えていませんよ!! 真面目にくだらないことなんですって」
「くだらないか、くだるのかは、私が決める事ですっ!」
へへんと胸を張る先輩。
なんだか張り合おうとしてくるのは先輩の普段の感じからは想像もつかないほどかわいい。それも、俺しかこの姿を知らないと思うと背徳感が一層増してくる。
それに、先輩って「くだる」とか言うんだな。
真面目に「くだらないの反対は面白いとかでないと変ですよ」と指摘してくるとばかり思っていたんだけど、どうやら俺の中の先輩と本物の先輩とではまだまだ相違があるらしい。
「くだるってなんですか……?」
「くだらないの反対なので……くだる、じゃないですか?」
「……日本語的には正しくないですけど」
ジト目を向けながらサーっと冷たく言うと、先輩はやや恥ずかしそうにしながらぼそっと呟いた。
「ば、馬鹿にしているんですか」
「馬鹿にしているわけじゃないですって! 別に、ただ、なんだか可愛いなと」
「……やっぱり、馬鹿にしてるじゃないですか」
頬がみるみると赤く染まっていく。
ふわふわッとした煙まで見えている気がして、じんわりと胸の内が熱くなっていくのを感じる。どうやら、そんな反応をする先輩に俺も動揺していたらしい。
やがて、少しすると向き直って「こほん」と咳ばらいが聞こえてくる。すると、俺に対して人差し指を向けてこう言ってきた。
「それにですっ。実はくだるっていう言葉は存在しているんですよ? 知っていました?」
「え、反対の意味として存在するんですか?」
「もちろんっ。でも、日本語的にも変ですし、打ち消し文的にもおかしいので使わないだけなんですよ?」
「は、はぁ……」
どうやら、俺の方が思い違いをしていたらしいな。
俺の考えることの一手二手、その先を読んでいるのは単純に凄すぎるし、何よりもそんな人と一緒に遊んでいる俺も状況的によく分からないな。
もしかしたら、これも神様の悪戯と言うものなのかもしれない。
「あっ……と、もう時間になっちゃうじゃないですか! 藤宮君、準備して早く向かいましょう!」
俺がぼんやりと眺めていると目の前で胸を張っていた先輩は時計を見るなり声を上げた。
言われて時計を見ると、時間はすでに集合時間の11時まであと10分と言うところまで来ていた。一瞬、相手はあの腐れ縁の尚也だからいいかなって考えもでてきたが実際に運転するのは尚也じゃなくお兄さんなわけで、そう言うわけにはいかなかった。
「え、あっ! マジじゃないですか! なんか話していたら楽しくて……でも、生徒会長であろう方が遅れたら信頼落ちますもんねっ」
慌ててバッグを掴み持ち上げる先輩を前にからかい気味に言うと、またしても真っ赤になりながら否定を繰り出してきた。
「揶揄わないでください! 単純に約束は守るものですから!」
「あははっ。ですね」
「ほんとうに……藤宮君は……」
苦笑いを浮かべると、馬鹿にしないでと俺の背中を弱い力で小突いてくる。
まるで幼馴染のような距離感で、散々弄ったりしていた俺も少しだけドギマギしてしまう。
ただ、それでもいいかなって最近は思っている。
俺も、先輩も、一度もちゃんとした恋愛をしてこなかったんだし、それが普通だ。
お互いに秘密があって、お互いに尊重して、今までのただ捲し立てられていいように生きるのとは違う。
先輩の事を好きだと気づいてからなんだか、根暗だと思っていた自分に自信が持てているということが分かってきたんだ。
だからこそ、それでいいんだ。
語尾と同時に下ろした腕を、笑いながら掴み、引っ張り出す。
以前ならおこがましいんじゃないかと思っていたことも、今なら自信を持ってできる。
きっと、深刻な過去があって、楽しさも何もかもを知らなかった彼女を暗く深い窮屈なそこから救い出す様に、意を決して引っ張った。
「……それじゃあ、行きますか!」
「……はい、行きましょうっ」
ほんの一瞬、びくんと肩が動く。
驚いたような表情を見せ、すぐに微笑みに変え。
階段を下りて、一旦俺の家の玄関まで小走り。
ドアを開けると、すぐさま夏鈴がキャリーケースを持って出てくる。
「遅いぞ、時間ないから小走りで行くからな!」
「わ、悪かったよ、お兄ちゃんっ。いじわる!」
「この前の仕返しだよ。兄を揶揄うのもいい加減にな」
「っべー!」
綺麗なあっかんべー。
そんな俺と夏鈴を後ろから眺めながら微笑む先輩。
表情が晴れた。
俺はそう思った。
そう、この時の俺はそう思っていたのだ。
☆☆☆
<
目の前で仲睦まじく笑う兄弟。
私を、とても暗い場所から助け出してくれた人でもあり、命の恩人でもある
今まで、私に言い寄ってきた人はごまんといた。
たくさん、多くいた。
何にもならない外側だけをひたすら褒めて、私がしたいことなんて二の次だった。
聞かず、察して、それが間違っているとも知らずに話しかけてくる。
人間、聞かないと分からないのに。
この人はそう言う人だと決めつけて。
でも、今の私には彼がいます。
でも、どうして、私にはこんなにも優しい人がいるのでしょうか。
考えても考えても分かりません。
中身なんかなくて、空っぽで、藤宮君の様に好きなことをしているわけでもありません。
目の前で貶し、笑い合う二人の姿が心の中に埋まっている、
母も、姉も、父も。
「それに……私はあんな人みたいにはなりたくありませんからっ……」
「先輩? あの、何か言いましたか?」
「え、あっ——」
ここで言えば楽になるのでしょうか。
聞いてくれるでしょうか。
いえ、きっと。
でも、これは私の問題で、彼の問題はありません。
だから。
「————なんでもないですっ。では、いきましょうかっ」
「はいっ!」
私には眩しいほどに輝く、藤宮君の幼い微笑みは少しだけ胸を刺した。
<あとがき>
近況ノートでも書きましたが、遅れて申し訳ございませんでした。
無事、合格できました。ありがとうございます。
PS:本日また1歳、歳をとりました。
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