第30話「お誘い」


 幸先がいいのか悪いのか、机を向かいにお腹を押さえながら笑いあった後、俺と先輩は真面目に試験勉強を再開することになった。


 さっきまでは先輩の部屋にやってくる緊張感と、何もかもを台無しにする妹のだらしなさになんだか感情がぐちゃぐちゃでよく分からなくなっていたのだが時間もたてばすっかり落ち着いて冷静になっていた。


 バクバクだった心臓の鼓動がまるで嘘かのように落ち着いていて、すらすらとノートをなぞる俺の右手が見える。


 今まで、自分の家で勉強していたけれど、ここまで集中したことはなかったといった具合にだ。


 自分でもなんだか不思議でよくわからないけど、集中できるのならまぁいいかと視線を再び落として問題を読み直す。


 高校受験を経て、こうもすぐに勉強することになるとは考えていなかった俺からすると何とも不思議な感覚。あんなに嫌いだった数学も、つい最近勉強を始めていたのも相まってすらすらと解けていく。


 意外といけるものだと考えていると、正面に座っている氷波先輩がシャーペンで回答を差しながらぼそっと呟いた。


「あの、あれですね。xに代入するのが6なのに8になってます」

「っ……え、あぁ、ほんとだ。って先輩、よく見えてましたね」

「なんか、妙にすらすら解いていたのでちょっと気になって見てました」

「え、俺、そんなすらすら解いていましたか?」

「はいっ。なんか一騎当千みたいな感じで解いてましたね。勉強、お好きなのかと」

「……べ、勉強は嫌いです」


 なんだか嬉しそうな笑みを浮かべて聞いてくるものだから、俺は若干苦笑しながら答える。


 すると、先輩もこくりと頷いた。


「—―ふふっ、一緒ですねっ」


 何か秘密を共有するときのような、こぼれる笑み。シャーペンを持った右手を右頬にくっつけながらリラックスするように頬杖をついていた。


「先輩も勉強するの嫌いなんですか?」


 今度は俺の番とばかりに尋ねるとさらに頷く。


「それはもう、超が付くほど嫌いですよ?」

「意外ですね」

「そう、でしょうか?」


 まるで俺がおかしいみたいな感じで目を見開いて聞いてくるが、学年学校すべてもろもろ主席で、氷姫とまで呼ばれている生徒会長が言うとなんの説得力もない。


 というより、そこまでの肩書きで勉強嫌いなほうがおかしいまでありそうだ。


「そりゃ、生徒会長で頭もよくて、模試でもすごい人が言うとあまりにも意外だと思いますよ?」

「……うーん」


 難しそうな顔で悩む先輩。

 そんな表情も画になるなと見つめていると、今度は思いつめてばつが悪そうな表情に変わった。


「—―先輩?」

「え、あぁ。いや、なんでもないです」

「ほんとですか? なんか、急に辛そうにしてましたけど」

「—―なんでもないですよ。本当に、これは私の話なので」

「なら……いいんですけど」


 かたくなに否定する姿を見て、さすがにあまりに執拗に聞くのも違う気がして俺も俺で自分の勉強に戻ることにした。



★★


 それから数十分ほど無言が続き、ちょうどよく切りがいいところで腕を伸ばしていると同じタイミングで終わったのかワークを閉じて先輩がその場に立ち上がった。


「—―そろそろ、休憩しましょうか。藤宮君、紅茶のお替りいりますか?」

「え、あぁ、はいっ。おねがいしますっ」



 落ち着いた空気感。


 うるさかった夏鈴も寝てるし、集中して勉強しているところで先輩が紅茶を入れる音がキッチンのほうから聞こえてくる。


 なんだか、最近はいろいろと騒がしくて、こうして落ち着ける時間が少なかったように思える。身を挺して守ったあの日から、俺の高校生活はかなりてんやわんやしてたし、変な噂は流れるし、なんならこの前先輩と二人で帰ってるところを一学年上の生徒に睨まれたこともあったっけか。


 誰も手が出せないあからさまなくらいにまで冷たいお姫様に手を出したのだから、睨まれても仕方がないのかもしれないけど。


 でも、本当に、なんだかんだ言って俺みたいな根暗な男が綺麗な人と一緒にいるのはすごいことだったりするわけで。


 成長したのかなとも思える。

 改めて、すごいな、本当に。


「砂糖はいれます?」

「砂糖—―ですか、じゃあお願いします」

「わかりました……でも、意外と甘い方が好きなのですね?」

「意外ですかね?」

「男の子ってだけで、個人的には苦い方が好きだと思ってました」


 先輩の一言に少し頬が上がる。

 やっぱり、この人お嬢様だったんだなと。


「そんなわけないですよ。きっと、俺だってあと4,5年でも経てば苦いのも好きになるのかもしれませんし」

「4,5年ですか……そしたらもう、お酒も飲んでるかもしれませんね」

「お酒……なんだか、先輩には似合いそうですね?」


 軽い談笑をしながら、トレーに乗せた二人分の紅茶を持ってくる先輩。

 俺が笑いながら呟くと、なんだか恥ずかしそうに頬を赤らめていた。


「—―わ、私、そんなに大人の女性に見えますでしょうか……」

「いやぁ、そりゃ見えると思いますよ? あくまでも見た目だけですけど」

「……な、なんか、そう言われるとけなされてる気がするのですが」

「実際、性格は子供だと思ってますね」

「……ひ、否定できないのが悲しいです」

「大人の女性に思われたいんですか?」


 ことんとテーブルにカップを置きながら、少し悩む素振りを見せる。


「……藤宮君には、思われたいのかも……しれませんね」


「え?」


 急に言われた言葉にハッと体が硬直した。

 しかし、先輩は何も気づかずに続けて呟いた。


「藤宮君には……いっぱいだらしないところ見せてますし」

「え、あぁ……」


 まぁ、そりゃそうだよな。

 何を勘違いしてるんだか、俺は。

 最近、こういうことばかり考えている気がするし、自重しないとだめだ。


「でも、先輩はだらしないというよりは……知らなすぎるだけだと思いますけどね?」

「……い、言わないでください。恥ずかしいんですから」

「っはは。かわいくていいと思いますよ」

「かわいい……ですか?」


 すると、立ち止まったかのように声を跳ねさせ、俺の方をまじまじと見つめてくる。


「まぁ……そうですよ?」

「っ……な、なんだか当然見たく言われるとさすがに恥ずかしいです」


 恥ずかしい、か。

 正直な話、俺も尚也みたいにあまりかかわったことがないならこの程度で恥ずかしいなんて思わないだろうにと思ってたかもしれないけど、こう見ると本当に乙女らしくてかわいらしく思える。


 というより、乙女すぎて心配なくらいにだ。

 こんな優しくて不安ばっかりな本性がバレたら、世の男たちがこぞってやってくるし、変な人に騙されかねないしちょっと怖くもあるけど。


 正直な話、魅力的に感じるのはそういうギャップっていう部分もあるんだけどな。


 うん、なんだか、神様は本当に悪戯好きだよ。


 文字通り、小さくなっていく先輩を見て、少し微笑ましくなりながらもそういえばと話を切り出した。


「あの先輩。来週、ゴールデンウィークなんですけど、何か予定はありますか?」

「ご、ゴールデンウィークですか?」

「はいっ」


 向き直って懐から取り出した手帳を確認してから顔を上げる。


「一応、予定はないですけど……何かするのですか?」

「まぁ、そんな大したことじゃないですよ。いつもこの時期になると幼馴染と妹とかと出かけたりしてたんですよ。高校生になって色々と制約も減ったんで泊まりに行こうかなって考えてて、花火とかもしないかって……それで、先輩も誘いたいなと思って」

「花火ですか……いや、でも。私なんかがいってもいいのですか? 友達もいらしてるのに」

「なんかなんて言わないでくださいよ。それに幼馴染と言っても実際彼女とイチャイチャしてるだけなんで……むしろ、俺と夏鈴は暇で暇で。何より、喜んでくれると思いますよ?」

「そ、そうでしょうか……」


 不安そうに俯きながらも、少し期待しているような瞳で見つめてくるところから本音が漏れている気もするが、そういうところもやっぱりかわいい。


「えぇ、もちろんですよ」


 せっかく仲良くなれた人とより親しい仲になれるかもしれないのだ。こんなの誘わないなんていう理由はない。


 こくりと頷くと、顔がぱぁっと明るくなっていくのが分かった。


「ほ、本当に、いいのでしょうか?」

「何回聞いてもいいって言いますよ?」

「っあ、ありがとうございます!」


 嬉しそうに手を掲げて、ガッツポーズをすると紅茶に手を付けて喉に一気に流し込む。


 そして、なぜだかシャーペンを持ち出して俺に一言言い放った。


「じゃあ、続き頑張っていきましょうか!」


 正直な話、彼女が勉強嫌いなのはよくわからないなと思ってしまったのは……言わないでおこう。

 

 



@あとがき@

 こんばんは、いつきです。

 えぇ、この度、大学院の試験が終わり戻ってまいりました。長い間不定期投稿申し訳ございませんでした。まじめに投稿再開します。


 なんだか、この間にもお知り合いが書籍化していくのでなんだか自己嫌悪に陥ってきてますがなんとかかじりついて頑張りますね。いつも読んでいただきありがとうございます。


 あと10話くらいで本編終わるかなと思うので最後までお付き合いお願いしますね。


 



 



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