第25話「まどろみの中に」


 そして、翌日。

 どうせ氷波先輩の家にお邪魔するのならと連絡を取って、俺は書記会の会議が終わった後、高校の玄関でスマホをいじりながら待っていた。


「わ、噂の一年生じゃない?」

「俺たちの先輩を奪ったやつか」

「よくも冷徹なあの人を手名付けたよな」

「いやぁもしかしたら冷徹姫に脅されただけかもしれないぞ」

「それはこわっ。でも実際、腹黒って噂だよ」

「こわぁ~」


 なんとなくでイヤホンをつけていなかったが耳に入ってくる言葉は俺と先輩への、いや先輩だけへのいわゆる罵詈雑言だった。


 別にそんなの流しておく必要しかないけど、根も葉もないまさに噂の羅列にちょっとイラっときて少しだけ声の聞こえるほうを睨みつけた。


 俺の目つきなんて冷徹姫彼らにとっての本物に比べたら弱っちいのか、そんなことを話していた人たちは点で効いていない。むしろ、「うわ、なんかこっち見てくるんだけど」「なんか雰囲気似てるよね」とまたもや噂だ。


 ほんと、俺は昔からこういう雰囲気が嫌いだった。

 幼稚園から今に至るまで、俺の運が悪いのか、それともそういうのが常なのか。根も葉もない噂が事実となって変わっていく。


 それが俺に対してのことでも他人に対してのことでも、本当に気分が悪くなる。まぁ、かく言う俺も最初は先輩への噂を信じ切っていた。


 いや、俺も一緒か。自分の中にある先輩をそのまま当てはめて、目の上の存在だと感じていたのだから。


 中学二年の時、一時だけ尚也と違うクラスになったときは本当にひどかった。


 あまり思い出したくもないから、詳細に説明するのは避けるけど。ただただクラスメイトに勘違いさせられて、反論なんて意味なくて、事実が歪曲していく様をいじめられながらじっと耐えて見ているだけ。


 もちろん、尚也は俺を庇ってくれたけど。俺のクラスにたまたま尚也の友達も、そのまた友達も少なくて、怖い女子とか、チャラい男子とか、いろいろ多くて、どんなにかばってくれても、クラスの教室での立ち位置は変わらない。


 中学生という、変に知識がついていて余計にたちが悪かった。今更、何か仕返ししてやろうとか思ってないけど、それ以降の俺の性格を決定できるにはあまりにも簡単だった。


 根暗だな。

 その言葉を受けて、初めて気が付けた。


 いつの間にか明るくてみんなの前を照らすのが好きだった頃の自分とはかけ離れてしまっていたのだ。


「—―ふ、藤宮くんっ」


 ふわりと優しい柔軟剤のいい香りが鼻腔を通って脳を刺激する。

 頭で考えていたことが霧散して、俺は先輩の声がするほうに視線を向けた。


「あ、っと……すみません。私、遅かったですよね」


 俺の顔を見るなり、目をパチパチさせて俯き少し悲しそうにそう呟いてきた。その反応を見て、慌てて言い返した。


「—―ち、ちがっ! 先輩、違います。別にそういうことじゃなくて」

「え、そうなのですか?」

「はいっ。別にそんな多少遅れたくらいじゃ怒りませんよ」

「……あぁ。そうですね。よく考えたら確かに、藤宮くんはそのくらいじゃ怒りませんよね」


 訂正すると先輩は目を見張って人差し指を顎につける。そして、少しだけ考えた後に腑に落ちたのかふんわりとした笑みを浮かべた。


 でも、その顔がなんだか意地悪にも感じてすぐに言い返した。


「だからと言って、1時間も遅れたらさすがに不機嫌にはなりますよ?」

「そこまで遅れることはありませんっ。わ、私だって弁えていますよ、そのくらい……あ、でも、ちょっと怒ってるところも見てみたいですね」

「……今怒りましょうか?」

「ふふふっ。やっぱり遠慮しておきますね」

「意地悪ですね」

「私は……別に違いますよ。ただ、好奇心で見たかっただけですし」


 そこが意地悪だと言っているのにな。


 ただ、そんなことを考えているのが可愛くて俺の頬も少しだけ解ける。すっかりと人気がなくなった玄関で微笑み合う。なんでもないようで意味がある一瞬にふと胸が躍った。


「まったく……っ」


 俺がため息混じりに呟いていると、先輩は玄関に並ぶロッカーの中から自分の靴を取り出して、スカートの中が見えないように両手で肌に押さえつけながら座る。


「よいしょ……」


 小さな声が玄関に響く。

 よく聞いていないと聞こえないほどの声だったけど、ほかに誰もいないこの場所にいるからこそ鮮明に聞こえてくる。


 指を靴にひっかけて、するりと細くて綺麗な足を入れ込んだ。まだまだ肌寒い札幌の春明け。黒いタイツに天井のLED灯がギラリと反射して、奥の肌が見えそうで見えない。


 なんか、エロい。

 

 ふと沸いた煩悩を振り払って、立ち上がる先輩に一言呟いた。


「じゃあ、行きますか」




☆☆


 久々の晴れた空。

 今まで雨ばかりでよどんでいた空気がまるで嘘だったかのように澄んで気分が明るくなる。ただ、どこか寂しくもあって、その理由があの日で少し恥ずかしくなっていると先輩がにこやかに呟いた。


「そわそわしますね」

「え」

「……今日、初めて人を家に招くので。ちょっと緊張していて」


 急に発せられた事実に間抜けた声が飛び出る。


「—―はぇっ」


 ぽろっと出た言葉にちょっとだけ目をみはらせながら尋ねてきた。


「お、おかしいですかね?」

「いやっ。別に。おかしいわけじゃ……ないです。そのただ、びっくりしたっていうか」

「びっくり……ですか。まぁでも、そうですよね。私……こんな性格ですし」

「悪く言ってるわけじゃないですよっ。ただその、結構顔も通っているし一人や二人くらい招いたことがあるのかなと」


 そこまで自分で呟いて、ハッとする。

 先輩はそんな言葉に対して、首を振って答えた。


「むしろ、変に顔が通ってしまっているのでまったくです。それに……冷徹って言われていますし……誰も私の家なんて来たがらないですよ」

「っ」


 俺の嫌な部分。

 人間の常が改めて不快に感じる。


 しかし、俺以上に不快に感じているのは誰でもない隣を歩く彼女であって、胸に浮かぶ感情を押し込みながら言い返した。


「—―俺は、行きたいと思っていましたよ」

「っほ、ほんとですか?」

「ま、まぁ……ほんと最近のことでしたけど」

「そ、そうなんですか……っふふ。ちょっと、嬉しいですね」


 そう言うと瞠目してから、少し頬を赤らめてからにこやかに笑った。いたずらに思う笑みに突っつくように言った。


「—―ちょっとだけなんですね」

「……っ」


 すると、その言葉に無言と跳ねる音が返ってくる。

 さすがにやりすぎてしまったのか、慌てて先輩のほうを見ると顔がさっきの日にならないほどに真っ赤になっていた。


 プルプルとふるえる肩に、恐る恐ると自分の頬へ手を近づけて、俺のほうをチラチラと見つめる。


 その反応を見て思う。


 やばい、やりすぎた、と。


 しかし、時すでに遅しだった。


「あ、いや、その……意地悪したわけじゃ」

「……だ、大丈夫です」

「すみません……」


 本当にいきなりだったが沈黙が生まれて、したしたと音が聞こえる。

 なんだか気まずくなって、特に話すことなく俺たちは自分たちの家に一度帰った。










 かえって、扉を開けて、玄関に入り、扉を閉めて、もたれかかる。


 ふと沸いて出てきた気持ちに驚きながら、呟く。


 


 俺って……先輩のこと好き、なのかな?



 




 

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