第22話「閑話:真夏の少女」


 あれはジメジメとした肌を刺すような太陽の光がむさ苦しい夏の日のことだった。

 今でこそ夫婦せこせこと働くようになった両親だったが俺や妹がまだまだ小さい頃は仕事よりも家庭優先でいろいろな場所に連れて行ったものだ。


 かく言うあの9歳の夏もそうだった。


 7歳の妹は女児向けアニメの映画を見るために父さんと一緒に都会のほうへ向かい、家に残された俺に母さんが一言投げかけた。


『いい天気だし、樹もお母さんと一緒に遊びに行く?』


「うんっ! いくっ!」


 無論、二つ返事だった。

 このころの俺は今みたいに暗くなくて、インドアというかむしろアウトドアで外で遊ぶのが好きないっぱしのガキンチョって感じの小学生だ。


 そうして、準備をして、いつも通り平常運転の半そで短パンに尚也の影響で少しだけハマっていたサッカー専用のボールを持ち、そのまま車で遠出した。


 ほんと、このころはこういうのが普通で特に考えていなかったが今ならよくわかる。受験の時も何も言わずに教材やテキストを買ってくれたし、かなり支援してくれたからありがたい話だ。


 その日、サッカーボール片手に遊びに行った公園。

 あれ以来行ったことがない公園で、子供らしく滑り台を滑ったり、芝生で寝っ転がったり、ブランコしたり、ボールを蹴ったりと遊んで楽しんで、さすがに疲れた母さんがトイレに行った時だった。


 東屋のベンチで一人ぽつんと座っている少女に目が行ったのだ。

 同い年くらいの少女。

 背の高さも、雰囲気も俺と同じくらいの少女だった。


 容姿はあまり覚えていない。ぼんやりと思い出せるのはぱっちりと開いた綺麗な瞳。多分、可愛い子だったと思う。


 ただ、そんな彼女の表情はまるであの冷徹姫のようにむすんとしていて、つまらなそう。まさに見覚えのあるあの風格が引っ掛かる。


 ただ、そんな姿を見て何を思ったのか勝手に足が動いていた。

 根暗と言われる今とは真逆な行動で、思い出の中の俺が俺じゃないかとも思うけどな。


 そのまま目に見えたものを追いかけるようにキャッキャと遊ぶほかの子供の合間をくぐって、まっすぐと走り出して、「あの女の子と話がしたい」と、ただ単純な気持ちで走り出していて、気が付けば俺は彼女の座るベンチの前に腰かけていた。


『ねぇ、そこで何してるの?』

『っ⁉』


 俺の急な到来に驚いたのか、女の子は肩をびくっと震わせた。

 子供の好奇心とは怖いという。いかんせん、純粋で真っ白まっさらな言葉と気持ちで動くがゆえにすべてが衝動的で、この時の俺も女の子に対してそうだった気がする。




 ガツガツと話しかける俺に対して、その子は少し俯きがちで恐れるように目を向ける。どよめき、少しドキドキした表情で頬を赤くさせていた。


 邪魔だったんじゃないかと思えるけど、そんな考えはこのころの俺にはできるわけもない。


 そんな中、その子は俯きながら俺に尋ねる。


『あ、あなた……は?』

 

 恐る恐る、といった感じで呟く。

 怖いものでもあるのかなと考えながら、俺は満面の笑みで答えた。


『俺はいつき! よろしくっ』


 このころではトレンドだった握手をするために手を差し出すと、何かを確認しているのか周りを見渡した。


『?』

『ご、ごめんなさい……よろしくお願い……しまぅ』


 何してるんだろと思いながら首を傾げるとそれに気づいたのか謝りながら小さな声でおろおろと手を掴んだ。


 不思議な子だなと思いながら、手の感触はうっすらとだけど小さくと柔らかくてかよわそうだなと感じた気がする。


『えっと、それでさ……君の名前は?』


 がめつく尋ねると目を反らしながら、またしてもぼそぼそと呟く。


『わ、私……その』

『?』

『……っ……ゕ』

『何? とーか?』


 何を言っているのか聞き取れない。

 頑張ろうと声をひねり出しているのは分かったが俺の期はその瞬間に、背後にそれた。


『ちがっ』

『とーか、見て』

『え? とーかじゃ……』


 否定するその子の手を掴みながら、視線を変えていた。


『—―ほら、あれ!!』


 視界の端で飛んでいくでっかいトンボを目にして、俺はその子の手をそのまま引っ張った。トンボに夢中で気にしていなかったけど、綺麗にはためくワンピースがうっすらと思い出せる。


『—―っメガヤンマじゃん、すごぉ!』

『ちょ……ただのトンボじゃ』

『かっけーじゃん! 見に行こうぜ!』


 そのまま遊ぶ情景が思い浮かぶ。


 ほんとにくだらない数時間だったけど。いつの間にか戻ってきた母さんや帰っていくほかの子供たちに目を向けず、ただひたすらに気になったことに走っていく。


 昆虫を触り、いたずらに芋虫を見せておどかして、ボールで遊んで、遊具をあさって、今も思えばひどいことしてたと思うけど。楽しかった記憶だけはあった。


 暗くなるまで追いかけて、何かと真面目に突っ込んでくるけど、俺の後ろを必死についてくるあの子の姿。


『ま、まってぇ……』


 息を上げて、まるで走れないその子に手を差し出して。


 名前すら聞き取れなかった女の子をどうして覚えているのか、あまり分からないけどなぜか、胸が熱くなって驚くほど懐かしく思える。


 それに、どこかで見たことがあるような目つきと雰囲気がのどに引っかかるが結局考えても何も出てはこなかった。


 しかし、別れの言葉だけは不思議と思い出せた。

 あの日、なぜかぽろっと出てきた言葉。


『—―俺に任せて』


『—―今度、俺の家に来たら色々教えてやるからわからないことは俺に聞いてな!』


 それから会うこともないのに。

 別れ際に交わした握手とあいさつ。


 それだけがなぜだか、胸に浮かんできたのだった。

 


 





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