第21話「心残り」

 

「はぁ……物理基礎とか言ってるくせに、なんだよこれ。基礎的な公式多すぎだろ」


 その日の夜、先輩に指摘されて始めた試験勉強の間俺のスマホが急に鳴り響いた。


 物理基礎に数学Ⅰ、等加速度直線運動の公式から始まり、場合の数の必要十分条件とややこしくてつらかった時に急になったスマホに自然と手が伸びる。


 少し驚いたが心のどこかにぽーっと思い浮かんだ『まさか、氷波先輩が俺があまりにできないことを察して⁉』のおかげで、着信元を見て落胆した。


「—―なんだよ、こんな夜更けに」

『いいじゃねぇかよ〜。俺とお前の中だろぉ。てか、夜更けってなんだよ、文豪か!』

「うぜぇ……根暗で悪かったなぁ、言葉のチョイスが」

『うわっ! 樹、お前まさかテレパシスト⁉ どうしてわかった、俺の言いたいこと!』

「長い付き合いだからだよ。てかそれ文豪に対しても悪口になるだろ」

『うーん。俺が知ってる文豪は大抵根暗そうだけどな? 太宰治とかその。芥川賞取れなくて自殺したんだろ?』

「—―はいはい、そーだったかもな」

『おーい、冷たいぜ~~根暗くんよぉ』


 と、くだらない会話を思ってもないのに繰り広げさせられる相手はお馴染みの親友(笑)で腐れ縁の漆塗りの尚也だった。


「んで、率直に、—―

理由は何? 俺も暇じゃないんだが」

『バカいえ、お前は暇だろ?』

「甘いな、俺は勉強しているんだ。来月末にある定期試験のな」

『—―ま、まさか⁉』

「は、スポーツ推薦で定期試験のノルマが低い尚也とは違ってな。俺は忙しいんだよ」


 電話越しに伝わってくる尚也の焦るような吐息と顔。目と鼻の先にあるかのように脳裏にそんな顔が浮かんでくる。


『……って、樹がそんなことするような奴じゃなかったな』

「—―おい」


 急なネガキャン。

 というか、普通に傷つく。


 まぁ、こういうやり取りはいつもからしているがもし相手が尚也じゃなかったら確実に寝込んでうつ病になってしまうくらいには胸が痛い。


『俺は知ってるぞ~~、中学3年との時だって俺が推薦決めるまでは余裕決め込んで定期試験400点台突破してなかったんだし、なんなら焦って参考書あさってたしな』

「お、おい、掘り返すな。あんな時期思い出したくもないぞ」

『ははっ。合格決まってた俺が付き合ってあげるって言ったら突っぱねてたもんな』

「そんなの当たり前だろうがよ」


 推薦決まってるやつが焦って必死こいて勉強している奴に親切に勉強付き合ってあげるわけがない。どうせ面倒くさくなって途中で寝るしな。何より、尚也は授業中寝てるやつだったし。


『とまぁ、そんな樹がやる気になった理由はもう氷波先輩くらいしかないだろ?』

「……」


 こういうときばかりは正直、尚也と幼馴染ということを恨む。


『おい、聞いてるのか?』

「はいはい、聞いてるよ。そうだよ、悪いか。いいだろ危機感もてたんだから」

『ぶはははっ‼‼ わかりやすっ』

「う、うっせよ」


 スマホを通して電波に変換されて、振動となってスピーカーからでてくるその笑い声はそれはもう苛立ちを募らせるものだった。


 もやもやしつつスマホをいったん机に広げた問題集の上に置くと、それと同時に笑うのをやめた尚也が呟いた。


『いやぁ……ほんと。にしてもよくもまぁ』

「何?」


 何か企んでいるような気がして口が勝手に聞いていた。

 すると、すぐには答えずにワークチェアがギギギとずれるような音がして、やがて答えた。


『……最近、会ってないなと思ったら仲がいいんだなって思ってな』


 そう言われて、いやいやいやと反射で呟いていたが尚也の声はそれを否定する。


『俺が写真見せたときなんか目が遠くのもの見るような感じだったのにって思ってな』

「……まぁ、いろいろあったからな」

『色々ってなんだ?』

「……すまん、やっぱりなしで」

『なしにできるか。ま、さすがに彼女のプライベートもあるしな。聞かないけど』

「じゃあ聞くんじゃねえ」


 あきれる。

 物思いにふけて呟いたかと思ったら、素っ頓狂に返しやがって。


 そう心の中で思いながら突っ込むと、特に何かあるわけでもなく。ただ単純に特に気にすることもなくポロリと呟いた。



『なーに。昔愛しの女の子は忘れちゃったのかと思ってね?』



 そんな言葉に思ってもいなくて、俺は気が付けば固まっていた。



『おい、どうした?』

「え、あ、あぁ」

『体調悪いのか?』

「いや、別にそうじゃなくて……その、女の子って」


 そして、口が勝手に聞いている。


『小3の時になんか自慢してきたじゃん。かわいい女の子に声かけたってさ』


「—―かわいい女の子」


 口に出して、考えてみるがそんな人は覚えていない。

 いやまぁ、むしろ小3のの時の記憶を鮮明に覚えている人はそうそういないとは思うけど。


 でも、なんか、なぜか、心に引っかかる。

 もやもやが覆いかぶさっていくような気がしてならない。


『あぁ……まぁ、今日はそれについてちょっと聞こうと思ってたんだけどな』

「え、そうだったのか……って、下らないな」

『気になったんだよ~。ま、知らないならいいか。んじゃ、洗濯もあるし、切るわ』

「はいよ」

『んじゃ』


 —―ブツ。


 電話が切れて、数秒ほど天井を見上げて考える。


「—―年上で、かわいいねぇ」


 まるで氷波先輩のようだなと思いつつ、ふと、頭に響いた言葉を思い出した。


『—―わからないことは俺に聞いて』


 今日、先輩と別れた直後。

 何かデジャブを感じて、浮かんできた言葉。


 その言葉で頭が冴えたかのようにハッとなる。


 覚えている。顔も声も、何もかもあいまいだけど、あの頃の記憶が鮮明に脳裏に映し出されて、気が付けば俺は自然と目を閉じていた。




 

 

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