第19話「あったかくてやわらかいもの、そして衝撃」



 頭の中が「ばか」の一言で染まっていく。


 頬が真っ赤で恥ずかしそうにしながら、傘をさす俺の右手のワイシャツの袖をさりげなくつかんでいるのが最高に、こう、何とも言えない気持ちにさせてくる。


 それも、気づいていないのが――ちょっと腹立つよ。

 俺みたいな男はこういうのを好意と勘違いするっていうのに。


 まぁでも、先輩は本当に面白い人だ。


 勉強だって完璧でそれなのにまだまだとか言っちゃうくらいにストイックだし、スポーツだってこの前たまたま見た女子の体育でバスケを完璧にこなしていたし。


 何より、いろんな人に「冷徹姫」だとか、「目が怖くて話しかけれない」とか好き勝手に言われるのに、そういう生徒が落とし物したら拾ってすぐに声かけて知らせてくれるし、ケガしている人がいたらちゃんと保健室に連れて行ってあげるし、今日だって傘がない小学生に自分の傘あげちゃうくらいにお人よしで、真面目で、周りが見れるのに。


 というか。


 俺へのお礼の件もそうだったし、あの事故の時の判断もそうだけど、他人に対してはよく見てるけど自分のことはあまり見えていないように感じる。


 いや、見えていないっていうわけじゃないか。言葉にするのなら自分を犠牲にしていると言ったほうがいいかもしれない。


 ここ最近はあんまり会っていなかったけど、久々に会ってもやっぱりこの人は優しいよ。


「あの……」


「は、はいっ!」

「どうしてそんなにびっくりしてるのですか……」

「あぁ、すみません。なんか、なんとなくびっくりしまして」

「?」


 急な声掛けに驚いて慌てている俺にジト目で睨み、少し胸に来た。やっぱり、冷徹姫の一面はあると言ってもおかしくはないかも。


「そ、それでそのなんでしょうか?」


 ジト目のまま首を傾げる氷波先輩を少し怖がりながらも尋ねると、ハッとしたのか目を見開いて、こほんっと喉を鳴らした。


「あぁ、そうですね。ちょっと、おどろいている藤宮君を見ていたら忘れてしまいました」

「その……なんか勝手にげんなりされるのは俺としても納得できないのですが」


 真面目に心に刺さる一言。

 ちょっとした反抗精神で言ったつもりだったが、俺の言葉に先輩はくすくすと笑みをこぼした。


「うふふふ……冗談ですよ。藤宮君は純粋で面白いです」

「や、やめてくださいよ。真面目に少しズキンと来たんですから」

「かわいいですね」

「男にかわいいはうれしくないですよ」


 正直な話、嬉しいのは言わないでおこう。


「それで、一体なんです?」

「あぁ、そうでしたね。そういえば話が脱線してしまいました……えっと、それで……ん」

「ん?」


 ぴたりと動きを止めて、空で顎杖をするとぽろっと呟いた。


「—―忘れちゃいました」

「え?」

「すみません。藤宮君のことをいじっていたらぽっかり」

「……勘弁してくださいよ。大切なことだったらどうするんですか」

「仕方ないじゃないですか、なんだかおもしろい顔をしていたので、つい」

「もしかして先輩ってSですか?」

「えす?」


 流れるように首を傾げる先輩。

 そういえば、先輩にこういう系の言葉はあまり通用しなかったな。


「SとMです。Sはいじめるのが好きな人で、Mはいじめられるのが好きな人です」

「—―私、いじめるのも好きじゃないですし。そういうことする人は嫌いです」


 怖い。

 今度の今度はガチで引いた目をしていた。

 そんな言葉があるなんて信じられませんと言わんばかりだが、きっとこれも勘違いしている。


「先輩、いじめるっていうのはそういう意味ではなくいわゆるいじりみたいなものですよ。いじめ問題のいじめとは少し違います」

「そう、なのですか?」

「はい。それに、先輩はさっき俺をいじめて嬉しそうにしていたじゃないですか」

「……あぁ。ああいうのが好きかということですね」

「はい」

「それなら私は……確かにS、かもしれないですね」


 自分で自分を俯瞰しながら呟くと何かに気づいたのか俺のほうに純粋に輝いた目を向けてきた。


「—―ということはもしかして藤宮君はMになるのですか」


 真面目にMとか言わないでほしい。

 比喩表現なしに宝石のような目でMとか、聞きたくないです。


「なりません」

「ならないのですか?」

「俺もSです。いじめるほうが好きですっ」


 威厳。

 男にはそれがある。胸を張ってそう言うと横にいる先輩の顔は歪んでいた。


「いわゆる陰キャラっぽいのに、そういう一面もあるのですね」

「な、なんで俺が陰キャと決めつけるんですか!」

「友達が少なそうなので」

「うぐっ……痛いところついてきますね」

「まぁ、私も同じですけどね」

「あぁ……」


「「はぁ」」


 唐突な傷の舐めあい。

 お互いの吐息が寒さのせいか白くなって空中に消えた。


「—―あ」


 すると、口をぽかんと開けて立ち止まると先輩は俺の袖を今一度引っ張った。


「どうかしましたか?」

「藤宮君、思い出しました」

「おぉ」


 そんなことで立ち止まらなくても――と思っていると、掴んでいる袖が急にぐいっと先輩がいる右側へ傾いた。


「っあが」


 すごい力でひょろい俺の足が崩れる。

 しかし、倒れる先には先輩がいるわけで俺の体はその美しい体にもたれかかるように動きが止まった。


「—―っ」


 思わず、喉が鳴る。

 状況が呑み込めず、視線が真正面から動かせなかった。


「あ、あの……これはいったい?」


 柔らかい感触が腕、二の腕らへんに感じる。

 確実にそこにあるのは先輩のアレであるのは分かっていたが俺の理性は見ないほうがいいと危険信号を出していた。


 ドキドキしている俺に対して、申し訳なさそうな声で呟いた。


「藤宮君の肩が濡れているので、身を寄せようと思っていたのでした。すみません。傘まで借りたのに」


「あ……っだ、大丈夫です」


「だめです。離れちゃいけません。風邪をひかれたら困りますので」


「っ……は、はい」


 そして、本日二度目の屈伏。

 俺はそのまま固まってついていくことしかできなかった。












 しかし、そんな夢見心地な時間も急な事実に直面したことですべてが吹っ飛んでいった。


「—―あの」

「—―えっと」


「藤宮君って私のお向かいさんだったんですか……?」

「氷波先輩って俺の向かいに住んでいたのですか⁉」



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