第6話「お礼がしたいんです」


 まさに、俺と氷波先輩の姿は異質だった。

 廊下ですれ違うたびに女子や男子のひそひそ話が耳に入ってくる。一瞬ギョッとした顔を浮かべて、噂話を展開し、それが徐々に周りに広がっていく。


 いつも通りの人間の習性だ。中学一年の時もそうだったろうか。


 ひとまず、どうして俺がこうして連れていかれてるのか理由から考えないといけない。


 手首を強く握る色白の小さな手をぐっと止めて、階段の踊り場で俺たちは立ち止まる。


「—―っき、来てください」


 てくてくとついてきていた俺が急に止まって驚いたのか、少し唇が震えていた。


「あの――な、なんでか説明してくれますか?」


 黙っていた口を開く。

 すると、背中を見せたまま呟いた。


「……お礼をしたかったんです。ただ、それだけです」

「お礼? 別に俺のことは気にしなくていいと言ったじゃないですか。気持ちはうれしいですけど……」

「私が気にしなくていいと言われて気にしないでいられる人だと思いますか? そんな無作法だと思いますか?」


 くるっと向きを変えて、訴えるように見つめてくる。

 何か言いたげで、その眼の先に本当に言いたいことが詰まっている。そんな雰囲気をしていた。


「それは思わないですけど……別に、病室でありがとうと言ってくれたのでそれだけで俺は十分です……それに、俺は何かを言いふらしたりはしませんし、誰も気にしませんよ」

「嫌です。絶対っ!」


 ギリッと歯ぎしりが鳴る。

 右手をぎゅっと握り、ハッとして息をこほんと整えるのが分かった。


「嫌です。ダメなんです。私は……そんな卑劣で……れ、冷徹な薄情者にはなりたくありませんから」


 何かを伝えたい。

 いや、何かがあふれ出ている。

 今の言葉にはいろいろなものが詰まっている。


 この感じじゃこの人は絶対に身を引かないのが一目瞭然だった。



「—―だからって、強引でしたよ?」

「それは……っご、ごめんなさい。私が悪かったです」

「まぁ……別に気にしないですけど。それよりもです」

「な、なんでしょうか?」


 何も染まっていなさそうな純粋な瞳。


「とにかく、わかりました。降参です。俺に恩義があるっていうことも、そしてそのお礼がしたいってことも。ただ、実際に何のお礼をしてくれるんですか?」


 身を引かないのなら投じてしまえばいい。

 そう判断して、前のめりに呟くと否定されると思っていたのかぎょっとした視線を向ける。


「—―?」


「あの、聞こえてます?」


「っえ、あ、はいっ! も、もちろん聞こえています……大丈夫ですっ……」


「疲れてるんですか? 別にこの話今じゃなくてもいいですし」


「いえ、そんなことはっ! た、ただ……あの……いざ何をするのかと聞かれると分からなくて」


 これにはびっくりだ。

 あんな前のめりだったのに何するかは考えていなかったらしい。


「—―なんでじゃあグイグイ来るんですか」

「す、すみませんっ!! べ、別にそんなつもりはなくて……そのっ。私も必死で」



 慌てふためく先輩の姿。

 人目のある廊下を歩いていたときまでは逞しく、オーラ的な異彩を放っていたはずなのに途端に小さくなっているのがちょっと面白くて噴き出してしまった。


「……っははは。せ、先輩っ。よくそれでお礼しようなんて考えてましたね?」

「わ、笑わないでください……必死だったんですから」

「でも。お礼は本来、する側が何をするか考えるんですよ?」

「そ、そうなんですか?」

「まぁ、俺もされたこともしたことないので知らないですけど……」




「知らないなら笑わないでください。なおさらじゃないですか……」




「まぁまぁ。とにかく、あれです。ここじゃ暗いので場所変えませんか?」

「……あっ。そうですねっ。こんなところで……」


 慌てたように顔をパフパフと叩く彼女。

 冷徹姫が冷徹姫らしくないしぐさには何か胸に引っかかるものがあったが、気づかないふりをした。


「こ、こっちです。藤宮君が勝手に止まったのでここで話してしまいました」

「俺のせいですか?」

「止まったのはそちらじゃないですか」

「……まぁ、そうですけどね」



 そうして、ほんのり赤くなった頬を隠すように真顔になった冷徹姫。

 少しだけ、どうして冷徹で冷たいと言われているのかがなんとなくわかった気がした。










 そうして、俺が先輩に連れてこられたのは生徒会室だった。


「え、どうして? まさか、ここで俺の処分でも決めるんですか?」

「……違います。鍵を取りに来ただけです」


 半分冗談で言ったつもりだったが、氷波先輩は笑うこともなく真面目に受け止めて、しっかりと引いた顔をしていた。


 うん、なんとなく伝わってくる。言われる割にはかわいいしぐさが多い反面。冷徹姫って言われるのはこういうところだろうなと。


「あの、そこは真面目に答えるんじゃなくて『斬首にするわね』って突っ込んでほしいです」

「……?」

「何でもないです」


 ハズイ。

 普通に恥ずかしい。

 やっぱり俺じゃあだめみたいだ。

 尚也ならこうやってふざけるから言ってみたけど、やっぱり先輩には伝わらない。


 つまらないのか、それとも純粋なのか。

 まぁ、単純につまらないのもありながら、別に俺との関係はお礼をしたいというだけの関係性なわけだからなんだろうけど。


「それで、何の鍵なんですか?」

「屋上のカギです」

「屋上? 入ってもいいんですか、そんなところ?」

「屋上と工作室と準備室系は合鍵がおいてあるんです。だからたまに取りに来る人もいますね。ただ、正当な理由がないとだめですので――まぁ、普通は入れませんね」


 へぇ。

 意外としっかりしてるんだな。


「よいしょっ……と」


 生徒会室に入ると、入ってすぐの場所に鍵が保管されているボードがあり、氷波先輩はかかとを上げて取ろうと背を伸ばした。


 ビシッと伸ばす背中がとても姿勢の良さを表していて少し感心してしまったが、すぐにアレに目が入った。


 想像してくれたらわかるだろう、紳士淑女諸君。

 俺の目から見て、先輩は今横を向いている。そして、かかとをあげて、腕を伸ばして、背を伸ばしている。


 そう、アレ。

 女性にだけ存在するアレが腕に引っ張られ、制服にくっきりと形が見えて慌てて視線をそらした。


「あ、あの……とりましょうか?」

「っと、取れます。このくらい……は」


 そう言うとムスッと顔をしかめて、若干頬を赤らめた。

 別に子ども扱いしたいわけじゃない。確実に勘違いしているがこのままじゃ俺の理性が耐えられない気がして、強引にも鍵を手に取った。


「あっ……」

「無理はしないでください」


 しているのは俺だな、この場合は。


「別にしていません。この程度、大丈夫ですから……」

「……じゃあ届きますか、ここ?」


 先輩の真上、先ほど鍵があったところに手をかざした。俺が尋ねるとムキになったのか手を伸ばすも、やはり届かない。


 数センチが足りない。

 

「手伝いますから無理しないでくださいね」

「……意地悪です」

「それじゃ、行きましょうか?」

「……私が連れて行くんですから、先に行かないでください」

「わかってますよ」










「あの、正当な理由で使ってるんですか? これ?」

「会長特権です」

「職権乱用じゃ……」



 



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