25 重い闇(前)

 薄暗い部屋の中には、得体の知れない塊を孕んだ青白く光る縦長の水槽が、柱のように何本も立ち並んでいた。

 黄英はその部屋のいちばん奧、大理石製の巨大な執務机の向こうに、黄色い羽毛に包まれた巨体を持てあますようにして座っていた。

 御名を返上して天卓から脱退しても、黄英は依然として科学院の長として君臨しており、その居室も科学院の中にあった。


『お忙しいところ、こんなところまで呼び立ててしまってすまなかったね、守護天将殿。許婚殿との貴重な逢瀬の時間を減らしてしまったかな?』


 黄英は鳥の顔と翼を持った天人だ。紅蓮とは入れ違いに天卓を脱退したため、直接会うのはこれが初めてだった。面識のある蒼芭によると、ある意味、黒蘆以上に食えない奴だという。紅蓮は元上官の意見に心の中で同意した。


『俺はこれから地上に降りねばならん。手短に頼む』

『手短にね。まあ、努力はしよう。とりあえず、かけたまえ』


 どこにと紅蓮は一瞬迷ったが、黄英の視線の先を追うと、床と同じ色をしているために埋没していた大理石製の丸椅子があった。

 普段は使われていないものらしく、その表面にはうっすらと埃が積もっていたが、黄英の前で払うのもどうかと思った紅蓮は、念の力で埃を一掃してからその上に腰を下ろした。


『さて。手短にというからあえて単刀直入に訊くが、君自身は白蘭との子供を欲しいと思っているかね? 天人族の未来だとか周囲の期待だとか、そういった外的圧力いっさい抜きにだ』


 おそらく用件は白蘭に関することだろうと予想はしていたが、このような質問をされるとは思わなかった。紅蓮は少し悩んだが、自分の正直な気持ちを答えることにした。


『特にどうしても欲しいものでもない。俺は白蘭がいればいい』


 やはりというように黄英はうなずいた。紅蓮がこのような回答をすることは予測済みであったらしい。冷やかしはしなかったのは意外だった。


『だが、君の許婚は子供をひどく欲しがっているだろう。早く〝女〟になって子を孕みたいと願っているだろう。――なぜわかるという顔をしているな。当然だ。そのように我々が白蘭を作ったのだから。完全な天人の子を産むために』

『それなら、なぜ最初から女として作ってやらなかった。そのためにあいつは今でも苦しみつづけている』


 黄英はしばらく沈黙し、ぽつりと呟いた。


『そうか。あの子は苦しんでいるのか』


 何を今さらと思ったが、その一言には少なからず後悔の念のようなものが含まれていた。この男にとって白蘭は子供のようなものであったのかもしれない。

 しかし、黄英はかすかに首を横に振ると、また元の冷徹な科学者に戻った。


『君の意見はもっともだ。我々としてもぜひそうしたかった。だが、そうすると育たない。すべて途中で死んでしまう』

『ああするしかなかったとでもいうのか』

『苦肉の策だ。母体となる天人を早急に誕生させろという黒蘆様直々のご命令でね。男の体に女の器官を無理やり詰めこんだ。おまけに、強く気高く美しく、賢く慈悲深く愛らしくしろという。まったく注文の多いことだ』


 後半は愚痴に近かった。許婚を物のように表現する黄英に反発は覚えたが、黒蘆の注文にはすべて応えていると感嘆せざるを得なかった。しいて言うなら、慈悲深くが若干弱いような気がするが。


『君もよく知っているだろうが、あの子の体は非常に不安定だ。あの体にあの精神と力が備わっているのは、まさに奇跡だよ。私は黒蘆様の後継者になれるのはあの子しかいないと思っている。だが、あの子はあくまでも後継者候補の母体となるために作られたのだ。我々の手によって』


 黄英は闇のような目を閉じた。奇跡のような存在を生み出したことを誇りながら、同時に悔いてもいるのだった。その理由は、この時点では紅蓮にはわからなかった。


『時間はかかるかもしれないが、君がいれば女性化が促進されて、いつかはあの子も〝女〟になれるだろう。しかし、それは死の始まりでもある。君の愛しい許婚は、君の子を宿すことはできても、生きながらえることはたぶんできまい』

『何だと?』


 驚愕して紅蓮は黄英を見た。黄英は目は開いたが、暗がりのどこか一角を見つめていた。


『無理やり詰めこんだと言っただろう。もともと出産に適した体ではないのだ。臨月まではとても持つまい』

『馬鹿な!』


 紅蓮は絶叫して椅子から立ち上がった。


『すでにそうとわかっているのに、それでもあいつに子供を産ませようというのか!』

『言い訳はせん。いくらでも罵ってくれ。そのつもりで作った。たとえ死んでも、胎児さえ無事に取り出せればそれでいいと。だが、成長するあの子を見るたび、後悔ばかりが募っていった。あの珠玉を、あの奇跡を、こんな腐れた種族の犠牲にしなければならないのかと』


 黄英の激しい念波に、逆に紅蓮は圧倒された。この男は呪っているのだ。自らも属する天人族を。


『一つ、面白いことを教えてやろう、守護天将・紅蓮。あの子のような存在を無理に作り出さなくとも、天人族が子孫を残せる方法が実はある』


 相変わらず視線は合わせないまま、憑かれたように黄英は言った。何か聞いてはならないことを聞かされるような嫌な予感がしたが、訊き返さずにはいられなかった。


『何だ?』

『羽なしだ。羽なしの女に産ませればいいのだ。奴らなら、天人の子を産んでも死にはせん。すでに実験済みだ。おまえの許婚はおまえの子を産めば命を落とすが、おまえが地上で踏みにじる羽なしの女は、おまえの子を生きて産み落とせるのだ』

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