26 重い闇(中)
紅蓮は言葉をなくして科学院の長を凝視した。
『何を驚く』
ようやく紅蓮に向き直った黄英はにやりと笑った。
『我らの中の誰よりも、羽なしに近い体を持つおまえが』
『まさか……俺は……いや、俺たちは……』
『紅蓮よ。おまえも聞いたことがあるだろう。神が雲と泥を混ぜて人を作ろうとしたが、結局、混じり合わずに雲は天人となり、泥は羽なしになったとかいう、今や子供でも信じないくだらない神話を。この神話が本当は何を意味するか、考えたことはないか?』
もちろん、紅蓮も知っていた。そして、黄英の言うとおり、ただのおとぎ話だと思っていた。いま黄英に訊ねられるまでは。
『つまり、我々と羽なしとは、元は同じ種族なのだ。神は羽なしから我々を作り出し、我らに天恵の樹を与えてこの地を去った。――なぜかは知らん。単に飽きられただけではないかと私は勝手に思っているがね。いずれにせよ、元が同じなら、繁殖可能なのも当然のことだろう』
『なぜ、羽なしから作られたと』
『黒蘆がそう言った』
その一言で紅蓮は二の句が継げなくなった。黄英は皮肉げに顔を歪める。
『だから、奴は〝真実の闇を司る〟天人なのだ、小僧。奴は天人族に都合の悪い真実は、すべて闇に葬り去った。あらゆる手段を用いて我らを
『……俺も、そうなのか』
『ご想像にお任せするよ。ただ、天恵の樹の地下で生まれて、おまえのように日の光を浴びることができる子供は、本当にごく少数なのだとだけ言っておこう。近年、おまえのように羽なしに近い体を持つ子供を増やしているのは、羽なしに近ければそれだけ繁殖力も強まるからだ。――黒蘆は天人族を種族として維持したいと考えるようになったのだよ。そのために、生まれる前から羽を持つ母体を作ろうとした。もう先のない年寄りの愚かしい妄執だ。最初から我らは種族などではなかったのに』
『だが、その愚かしい妄執にあなたは協力したのだろう』
紅蓮の鋭い指摘に、一転して黄英は自嘲めいた笑みを浮かべた。
『そのとおりだ。私は進んで手を貸した。結局、私も愚かな年寄りの一人だった。――見たいと思ってしまったのだよ、私も。もう失われて久しい、羽のある母に会いたいと思ってしまった。天人の母を知らぬおまえたちにはわからんだろうな。特に、あの子の許婚であるおまえは、わかりたくもないだろう』
『なぜ、俺にこんな話をする?』
黄英はおどけたように軽く翼を広げてみせた。
『年寄りの与太話だとは思わんのかね?』
『そうだとしたら、俺は今までこれほど質の悪い与太話をされたことがない』
『奇遇だな。遠い昔、私も黒蘆から聞かされたときにそう思ったよ。年を取ると抱えた闇が重くなってくるのだろう。今ならよくわかる』
『――このことを、白蘭は知っているのか?』
『おまえなら話せるか?』
すぐにそう切り返されて、紅蓮は沈黙した。
『言えるわけがないだろう。そのように作られたあの子に何の咎がある。おまえに話したのはな、単なる腹いせだ。苦しめ。そして思い知れ。あの子の体も命もおまえなんぞにくれてやらねばならん私の無念を』
理不尽としか言いようがなかったが、紅蓮はあえて反論しなかった。自分は誰もが欲した〝白き月〟を夜ごと腕に抱いている。
『話はそれだけか?』
冷静に問い返すと、なぜか黄英は楽しげに笑った。
『何がおかしい?』
『いや。私よりおまえのほうがよほど大人だと思ってな。白蘭はおまえのそういうところを気に入ったのかな。会えばおまえの自慢ばかりしていたのを、いま急に思い出した』
『何と?』
許婚が自分をどう評価していたのか気になって訊ねると、黄英は小気味よさそうに目を細めた。
『教えるわけがなかろう。これ以上おまえにいい思いをさせてどうする』
紅蓮は小さく肩をすくめると、踵を返して退室しようとした。
『待て、紅蓮。これを持っていけ』
振り返ると、胸ほどの高さに白く光る球体が浮かんでいた。これのことかと右手でつかむ。と、光は消え、球体は白い羽を閉じこめた水晶玉になった。
『これは?』
『亜空間にある私の書庫の鍵だ。書物以外のものも山ほど置いてある』
紅蓮はしばらく水晶玉を眺めてから、黄英に目を転じた。
『なぜ俺に?』
『私よりもおまえのほうが有効活用してくれそうだからさ。もっとも、それを使うも使わぬもおまえしだいだ』
意味ありげに笑う黄英を紅蓮は鋭く見すえたが、黒蘆と闇を共有している老人はいささかも動じなかった。
『ああ、そうだ。最近、育児院に行ったことはあるかね、守護天将殿』
『育児院を出た後はないな』
『ならば、今から行ってみたまえ。我々がいかに壊れはじめているかよくわかる』
紅蓮は無言のまま黄英に背を向けた。
黄英はもう紅蓮を引き留めなかった。
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