23 溶ける(中)
今日の御前会議は、前回とは違い、通常どおりに進められた。
白蘭はその会議の間中、いつ黒蘆にあのことを言われるかとずっと緊張しつづけていたのだが、とうとう最後まで触れられることはなかった。
――私たちの様子を見て、発表を先延ばしする気になったのかな。
正直言って、そのほうが有り難い。まだ紅蓮とは口づけ一つ交わしていない仲なのだから。
――そりゃあ、今の私は男だから子供はできないし、何をしたって無駄だけど。
せめて口づけくらいはしてくれてもいいんじゃないかと思っているのだが、自分からせがむわけにもいかず、そのままになっている。
とにかく、今日はもう発表はないに違いない。そう思って白蘭が油断したとき、まるでそれを読み取ったかのように黒蘆がこう切り出した。
『さて、最後になったが、皆に重大な発表がある』
――やはり言うのか。
白蘭はうろたえて隣にいる紅蓮を見たが、彼は諦めろとでもいうように首を横に振った。
『この度、智天・白蘭の伴侶が決定した』
――できるものなら、今すぐこの場から逃げ出したい。
たった十一人――正確には黒蘆と朱葭、今日欠席している翠菻を除いて八人だが――に知られるだけでこれほど恥ずかしいのに、明日からこれを天都中の人々が知ることになるのかと思うと、一生神殿に引きこもっていたくなる。
天卓の人々は多少ざわついたが、すでに予測していたことでもあるので、もう赤くなっている智天とその隣でまったく平然としている守護天将とを見つめ、黒蘆の言葉の続きを待った。
『諸般の事情により、当分の間は許婚ということになるが、守護天将・紅蓮がその相手として選ばれた。前例のないことゆえ、皆あたたかく二人を見守ってやってほしい』
――なぜそこで拍手をするんだ。
とうとう顔を上げていられなくなり、白蘭は深くうつむいた。中にはおめでとうなどと言う者までいる。すべて黒蘆の思惑どおりに決められたのに何がめでたいか。まあ不満も一つもないけれど。
『一般への発表は明日の昼に行う。白蘭。おまえが大衆の前に顔をさらすことはないから安心しろ』
『ありがとうございます。そうしていただけるとたいへん助かります』
心の底からほっとして白蘭が答えると、一同に笑いが起こった。
白蘭自身が思っている以上に、天卓の人々は彼を好ましく思っていた。それだけに彼の隣に座る守護天将を見るときには、少しばかり目つきが険しくなってしまうのである。
その最たる者である蒼芭は、他の者のように拍手をすることも、祝福の言葉を発することも、最後までとうとうなかった。
* * *
今日は黒蘆に居残りを命じられることもなく、紅蓮と共に謁見の間を出ることができた白蘭は、紅蓮のために用意された部屋に案内しようかと彼に申し出た。
『そういえば、そんな特典もあったな。すっかり忘れていた』
『君だけじゃなく、神官たちも忘れていたみたいで、今日急いで用意させたよ』
もちろん神官たちは故意に忘れていたのだが、白蘭はそのことに気づいていなかった。
『実際、どれだけの天卓がここで寝泊まりしているんだ?』
『ほとんどいないよ。でも、封印することができるから、物置か書庫がわりに使っている人もいるね』
『ほう。それはいい考えだな。ここなら何があっても大丈夫そうだ』
『一応、他の天卓とは顔を合わせないように割り振ってあるよ。君は入口から出入りするのが面倒そうだから、露台のある部屋にした』
『お気遣い痛み入るよ。おまえの部屋はどこだ?』
さらりとされた質問に、白蘭は悪戯っぽく笑って答えた。
『君の部屋に案内した後に教えるよ』
それから紅蓮を先導して神殿内を歩き、ある部屋の前でようやく足を止めた。
『ほら、ここだよ。場所わかった?』
紅蓮は顔をしかめて唸った。
『俺には、なぜおまえがわかるのかがわからん』
『そりゃあ、私はずっとここに住んでいるもの。この扉は今は誰でも開けられるようになっているけど、術をかければ、君にしか開けられないようにもできるよ』
そう前置きして、白蘭は扉を開けた。
謁見の間よりは狭いが、人一人が暮らすには少々広すぎる感もある部屋だった。
扉を開けても直接中の様子が見えないよう、黒塗りの二連の衝立が置いてあり、それを避けて中に進むと、大理石でできた露台と調度品を備えた室内が現れる。
右手奥には大きな寝台が置かれていた。両腕を組んでそれらを眺めたのち、紅蓮は一言評した。
『軍事院の貴賓室が納屋に見えてくるような部屋だな』
『今度の会議で議題にしたら?』
『いいんだ。居心地をよくして長居をされたら困る』
『それもそうだね』
『で、おまえの部屋は?』
どうしても知りたいようだ。白蘭は思わず噴き出した。
『ここに来るとき、その前を通ってきたよ。――隣の部屋』
紅蓮はあっけにとられた後、軽く白蘭を睨んだ。
『騙したな。それなら嫌でもわかるだろうが』
『騙したなんて人聞きの悪い。私は本当にこの神殿の中の配置はほとんど記憶しているよ』
得意げに白蘭は笑うと、月明かりの落ちる露台のほうに跳ねるように移動した。その後を苦笑いして紅蓮が追う。
前回の御前会議のときにはほぼ満月に近かった月は、今はかなりその身を細らせていた。だが、寄り添う互いの顔を見るのに不自由はない。
『ここから入ってきても、神殿の中がわからないな』
夜風にそよぐ白蘭の白い羽を見つめながら紅蓮は言った。
『そういうときには私の部屋を訪ねればいい。私が案内してあげるから』
『おまえが留守だったときにはどうすればいいんだ?』
『さあ、どうしよう。私が帰るまで待っていてくれるかい?』
『おまえを部屋の前で待ち伏せするのか?』
『待ちづらかったら、私の部屋の中にいればいいよ。私の部屋にも露台はある』
『おまえのことだから、結界でも張ってあるんじゃないのか?』
『よくわかったね』
『……本当にそうなのか』
『でも、今日から君だけは入れるようにしておくよ。君が黒焦げになったら困るから』
『ああ。ぜひそうしてくれ』
何だかうまく誘導されてしまったような気がする。少しだけ悔しくて上目使いで睨むと、紅蓮は緋色の目を優しく細めた。
『どうした?』
『え……その……』
そう訊かれると返す言葉がない。助けを求めるように月を見上げた白蘭は、あの草原を連想し、翠菻に教えてもらったあの歌を思い出した。
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