22 溶ける(前)
待ちに待った紅蓮は、よりにもよって、蒼芭と共に神殿に入殿してきた。
これはいったい何事かと紅蓮を見ると、紅蓮が答える前に蒼芭が慇懃に話しかけてきた。
『これは最強の智天殿。その後誰にも敗れてはいないか?』
やはり根に持っていたのかと白蘭は心の中で舌打ちしたが、顔にはにこやかな笑みを貼りつけて頭を下げた。
『先日はたいへん失礼をいたしました、蒼芭殿。おかげさまで、私に戦いを挑む強者はおりませんでしたので、いまだ最強の座を保持しております』
『それは結構』
紅蓮は呆れ顔で二人の陰険なやりとりを見ていたが、また白蘭に黙っていろと怒られることを恐れたのか、口出しはしなかった。
『そういえば、白蘭。ここへ来て思い出したが、前回の御前会議のとき、俺に妙なことを訊いてきたな』
『妙なこと?』
白蘭は首を傾げて呟いたが、ふと紅蓮の顔を見て、心当たりを思い出した。
『いや、あれは……どうかもう忘れてください』
『なぜだ? 確か、俺はあのとき、こいつが守護天将の御名を受けた後に訊いてやろうと言ったはずだ』
天人族最強の天人の弱みを見つけて楽しいのか、蒼芭の念波はさらに強まった。
『ちょうどいい、いま訊いてやろう。この男とは、まだ友人同士なのか?』
――この男の前で、わざわざそれを訊くか。
できるものなら今すぐ剣で蒼芭を切り捨ててやりたいと白蘭は思ったが、ああまでして二人の決闘を邪魔した手前、自分がそれをするわけにもいかなかった。非難するような紅蓮の目を視界の端に捕らえながらも、鉄壁の笑顔で答える。
『もちろん、友人同士ですよ』
――同時に許婚でもあるけれど。
蒼芭は白蘭の真意を測るように琥珀の目で凝視したが、白蘭の表情が微塵も揺るがないのを見て、急に興味をなくしたように歩き出した。
『さすがは友人同士だな。強情なところもよく似ている。――紅蓮、俺はこれから寄るところがある。さっきの話の続きは明日だ』
『ああ』
紅蓮は白蘭と共に蒼芭の後ろ姿を見送っていたが、その姿が消えてしまってから、しかめた顔を白蘭に向けた。
『おまえ、蒼芭にあの話をしたのか?』
言われると思った。白蘭は両肩を落として深くうなだれた。
『今はそのことをとても後悔しているよ』
『ほう、頭のよく回る智天殿でも失言することはあるんだな』
『紅蓮……』
にやにやと笑う許婚を白蘭は恨めしく睨んだが、彼に訊こうとしていたことを思い出して表情を改めた。
『ところで君、蒼芭様とはいつ仲直りしたんだい? 一緒にここへ来たから目を疑ってしまったよ』
『ああ、今度の戦のことでな、少し話をしていた。それと、俺は別に蒼芭と仲が悪いわけではないぞ。互いに相手が気に食わないだけだ』
『気に食わないことを、普通仲が悪いと表現するんじゃないのかい?』
『気に食わなくとも話はしないとならんだろう。あれでも一応俺の上司だ』
『君の態度を見ていると、とてもそうは思えないけどね』
気心の知れた紅蓮との会話はとても楽しい。自然に足取りも軽くなってしまう。
『今日は君を控えの間へ連れていってもいいんだよね?』
『今のところ、誰も言いにこないからいいんじゃないのか』
笑いながら控えの間へと歩いていく二人を、神官たちは皆一様に苦々しい顔で見つめていた。
* * *
結局、練兵場に仲裁に行って以降、紅蓮とは会う機会のないまま、再び御前会議の日を迎えてしまった。黒蘆の予定に変更がなければ、今日、他の天卓に例の件が発表されることになる。
恥ずかしい、としか言いようがない。自分が将来誰かの子供を産まねばならないことは、天都中の人々にすでに知られていたことだが、その相手が今まで親友として付き合っていた男だとわかったら、いったい何と思われることだろう。たぶん、やはりとしか思われないのではないか。今まで白蘭自身はまったく気づいていなかったが、もしかしたら周囲はすでにそのように見なしていたのだろうか。
物珍しいのか、次々と話しかけてくる天卓の人々に、意外なほど如才なく対応している紅蓮を眺めながら、白蘭は一人悶々としていた。ゆえに、控えの間に翠菻の姿がないことに気がついたのは、謁見の間へと通じる扉が開いたときだった。
『紅蓮。翠菻、いないよね?』
『翠菻? ああ……そうみたいだな。今日は欠席じゃないのか?』
『えー、私は聞いていないよ。あ、ちょっと君』
白蘭は近くにいた神官を招き寄せると、翠菻はどうしたのかと訊いてみた。
『ああ、翠菻様でしたら、急に体調を崩されたとのことで、つい先ほどご欠席のご連絡がありました』
『体調を崩した?』
思わず白蘭は復唱した。
『翠菻とは昨日も会ったけど、いつもどおりだったよ?』
『だから、急に、なんだろう』
紅蓮は呆れて白蘭の肩を叩いた。
『ほら、行くぞ。お年寄りを待たせちゃ悪いだろう。ただでさえ残り時間が少ないんだ』
『うん……明日、お見舞いに行ったほうがいいかな?』
『おまえの好きにしたらいいさ』
その様子を、いつのまにか控えの間へ来ていた蒼芭が眺めていたが、紅蓮と目が合うと意味ありげに笑った。
『まったく罪作りなことだ』
紅蓮はにやりと口角を上げた。
『天然だからな』
『どこまでがそうだ』
『俺にもわからん』
『いったい何の話ですか?』
意味不明な会話をする二人に白蘭は眉をひそめたが、蒼芭は逃げるように謁見の間へと入ってしまい、紅蓮はおどけて肩をすくめた。
『君たち、本当は気が合っているんじゃないのか?』
『妬けるか?』
『紅蓮!』
『いいからもう、とにかく入れ』
紅蓮は苦笑いすると、謁見の間に白蘭を押し出した。
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