21 最強(後)
『白蘭……』
紅蓮も、その周りにいる兵士たちも、呆然と白蘭を見つめるより他はなかった。
不意を突いたとはいえ、彼は守護天将の首に刃をあてがうことができたのだ。
しかし、白蘭はにこりと笑うと、紅蓮から剣を外して蒼芭を振り返った。
『ごらんのとおり、今、私が紅蓮に勝ちました。守護天将の御名が天人族最強を意味するなら、現在、私が最強です』
艶然と微笑みながら、己の気で作り出した剣の切っ先を蒼芭に向ける。
『つまり、今あなたが私を倒せば、蒼芭殿、あなたが天人族最強です。同時に、紅蓮を倒した私に勝ったのだから、あなたは紅蓮より強いということになる。いかがです? 今から私と戦いませんか?』
――すげえ。
蒼芭に剣を突きつける白蘭を、兵士たちはあっけにとられて眺めていた。
美しいだけの文官と思ってきたが、その認識は今すぐ改めたほうがよさそうだ。白蘭の親友である紅蓮でさえ、信じられないような顔をして彼の優美な後ろ姿を見つめている。
蒼芭は何も言わずに白蘭を凝視していた。さすがにこの上官相手では、白蘭も先ほどのように勝つことはできないだろう。だが、白蘭の玲瓏な顔には、いささかの怯えも迷いもなかった。
この先いったい何が起こるのだろう。兵士たちが固唾を呑んで見守りつづけたそのとき、蒼芭はこの場の誰も予想しなかった言葉を発した。
『惜しい』
その一言には、いかにも無念そうな響きがあった。
『まったくもって惜しい。よりにもよって、おまえが天母だとは』
『蒼芭殿?』
怪訝そうに眉をひそめた白蘭に、蒼芭は一転して皮肉げな笑みを返した。
『さすがに智天殿は我らと違って頭がよく回る。まあ、俺には詭弁としか思えぬがな。そうまでして、俺をその男と戦わせたくないか。おまえに邪魔をされたのは、これで二度目だ』
『お言葉ですが、これが稽古や手合わせでしたら私も邪魔だてはいたしませんでした。前回も今回もそうではないと判断いたしましたが、それは私の思い違いでしたでしょうか?』
蒼芭はまた笑った。虚勢ではなく、いかにも痛快そうな、そんな笑い方だった。
『頭だけではなく口もよく回る。天人族にとってはその男よりもおまえを失うほうがもっと痛手だろうな。――白蘭。剣を下ろせ。最強の座、しばしおまえに預けておいてやる』
『蒼芭殿……』
戸惑いながらも白蘭は剣を下ろして消し去った。蒼芭なら自分に刃を向けたりはしないだろうと計算した上でこのような茶番を打ったのだったが、この対応は予想外だった。もっと馬鹿にされるか罵倒されるかと思っていたのに。
『紅蓮。一度ならず二度までも、白蘭のおかげで命拾いをしたな』
少年時代の紅蓮だったらすぐに逆上していただろう。しかし、蒼芭の露骨な挑発を紅蓮は涼しい顔で受け流した。
『仕方あるまい。白蘭が最強だ。俺には勝てん』
『紅蓮……』
紅蓮の言葉を嫌味と取った白蘭は、剣を杖がわりにして立っている彼を睨んだ。が、蒼芭は愉快そうに笑った。
『生き長らえたいのなら、そのまま一生負けていろ。俺には白蘭は切れん』
蒼芭は白蘭に背を向けると、兵士たちの輪を突き破るように立ち去っていった。
後に残された一同は、その姿が見えなくなるまで見送りつづけ――そして、安堵の溜め息をついた。
『今後、蒼芭殿と決闘がしたかったら、私の耳に入らないような場所ですることだね』
紅蓮に歩み寄った白蘭は人の悪い笑みを浮かべた。つい先刻まで狂おしいまでに会いたいと思っていたのに、実際顔を合わせると嘘のように落ち着いてしまう。我ながら不思議だった。
『こんなに早く神殿まで伝わったのか。いったい誰だ。密告した奴は』
紅蓮は腹立たしげに周囲を見回したが、兵士たちはいち早く撤収を開始していた。
『きっと上官命令に従うより、天人族の戦力を保つほうが重要だと考えたんだろう。私はいい判断をしたと思うよ。特別に報償をやりたいくらいだ』
『ああ、そんな部下など、いくらでもおまえにくれてやる』
おざなりにそう答えると、紅蓮は白蘭の頭に手を伸ばし、自分の胸に引き寄せた。
『おまえが蒼芭に剣を向けたとき、俺の寿命が縮んだぞ』
冗談めかしてはいたが、確かに紅蓮は怒っていた。
『ごめん……どうしても、君を蒼芭様と戦わせたくなくて』
『俺が負けるとでも思っているのか?』
『そうじゃないよ。どちらが勝とうが負けようが、後々わだかまりが残るじゃないか。そんな順位づけは軍事院を引退してからいくらでもつけてくれ』
『蒼芭の言うとおり、智天殿は頭がよく回る』
紅蓮は苦笑いして、羽の間から覗く白蘭の耳に口を寄せた。
「さすがは俺の許婚」
あわてて顔を上げると、紅蓮は意地悪く笑って、どうした、顔が赤いぞと白蘭をからかった。
『紅蓮!』
『白蘭、来たついでだ。久しぶりに俺と手合わせをしないか? 今度は油断しない』
『悪いけど、勝ち逃げさせてもらうよ』
言ったと同時に、羽を広げて空に舞い上がる。
せっかく会えたのに、今日はろくに話もできなかった。でも、来たかいはあった。
耳に残る紅蓮の低い声を反芻しながら、白蘭は熱く火照る頬を袖口で覆った。
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