20 最強(中)

 神殿一どころか、おそらく天都一の速度で練兵場の上空に到着した白蘭は、目当ての人物たちがどこにいるのか探知しようとした。

 しかし、その必要はなかった。兵舎にほど近い一角に、訓練とは到底思えない人だかりがあったのだ。白蘭はその近くへ舞い降りると、人垣のいちばん外側にいた兵士の背中を軽く叩いた。


『すまないが、私を前へ行かせてもらえないだろうか?』

『え……うわっ、白蘭様!』


 その兵士の悲鳴のような念波を聞いて、近くにいた兵士たちもいっせいに振り返った。


『ほんとだ、本物だ』

『なんで白蘭様が……』

『誰だよ、白蘭様に知らせたの』


 騒ぎながらも兵士たちは次々と脇へと退き、白蘭が羽を広げていても歩けそうなほど広い一本道を作る。

 そこを悠然と進んだ白蘭は、今まさに剣を交えようとしている二人の姿が見えた瞬間、鋭く一喝した。


『戦も近いというのに何をしているのですか!』


 怒鳴りつけられた二人は、悪さの見つかった子供のように首をすくめ、白蘭の周囲にいた兵士たちは、無言で後ろに飛びすさった。


『白蘭……』


 紅蓮は多少顔を引きつらせて、横目で白蘭を見た。

 だが、その向かいに立っていた蒼芭は、逆に白蘭から隻眼をそらせた。

 ありえないことだが、兵士たちには、蒼芭が自分より一回り小さい白蘭に対して怯えているように見えた。


『誰だ、白蘭に知らせたのは! こいつには絶対知らせるなと言っただろうが!』


 気まずい空気をごまかすように、紅蓮は周りにいた兵士たちを睨みつけた。兵士たちはあわてて首を横に振ったが、思わぬところから助け船が出た。


『ほう。ということは、私に知られてはまずいことをしている自覚はあったということだね?』


 白蘭に氷の微笑を向けられた紅蓮は、剣を握ったまま凍りついた。


『まあ、君はともかく、蒼芭殿。あなたともあろう方が、なぜこのような馬鹿げたことを? この男が何か失礼なことでもしでかしましたか?』

『白蘭……いくら何でもそれは……』


 顔をしかめて口を挟もうとした紅蓮に、白蘭は冷ややかな視線を投げた。


『君は黙っていろ。私は蒼芭殿に訊いているんだ』


 ――こええ。

 柔和な白蘭しか知らない兵士たちは、自分たちの上官たちとは違う種類の恐怖を覚えて震え上がったが、言われた上官はばつが悪そうに逞しい肩をそびやかし、もう一人の上官は、ためらうような沈黙を置いてから質問に答えた。


『俺の気が済まなかったからだ』


 白蘭は訝るように菫色の瞳を細めた。


『この男があなたに勝つことなく守護天将の御名を受けたことがご不満ですか? それとも、何か別の理由がおありなのでしょうか?』


 一瞬、蒼芭はたじろいだ。が、開き直ったようにこう返した。


『ああ、不満だ。たとえ黒蘆様のご命令であっても、俺に勝てぬうちは天人族最強と認めることはできん』

『なるほど。そういうことですか』


 白蘭は軽く嘆息すると、所在なげに立っている紅蓮を振り返った。


『で、君はいい機会だとばかりに受けて立ったというわけだね?』

『わかったのならもう邪魔をするな。おまえは馬鹿馬鹿しいと言うだろうが、俺にとっては死活問題だ』

『申し訳ないけど、今回ばかりは邪魔をさせてもらうよ。昨日も言っただろう。天人族の貴重な戦力をこんなことで減らしたくないって。君らが剣を向けるべき相手は身内ではなく羽なしだ』


 白蘭の言い分はまったくもって正論だったが、兵士たちは自分たちの上官二人のほうに共感していた。男には自分の名誉のため血を流さねばならないときがある。


『白蘭……これは殺し合いじゃない』


 紅蓮は困惑したように訴えたが、白蘭は無表情に切って捨てた。


『命を賭けない決闘なんて、決闘じゃないだろう』


 兵士たちは白蘭を見直した。外見はたおやかだが中身は男だ。

 白蘭はあっけにとられている紅蓮を放置して、今度は蒼芭に向き直る。


『しかし、蒼芭殿。たとえ今、この男と戦ってあなたが勝ったとしても、この男から守護天将の御名を剥奪することはできないでしょう。まあ、この男なら自ら御名を返上しそうなものですが、おそらく黒蘆様はそれを許されない』


 おそらく、あの最長老は、未来の天母の伴侶にふさわしいのは、守護天将の御名を持つ者だと考えたのだ。昨夜、伴侶の話をされて初めてそうとわかった。

 まったく馬鹿げているとしか思えないが、この推測は決して紅蓮には言えない。白蘭自身は、たとえ自分の伴侶に選ばれていなくとも、いつかは必ず紅蓮が守護天将の御名を受けていたと信じているのだが。


『それは俺もわかっている。この際、守護天将の御名はどうでもいい。この男が俺より強いか弱いか。俺はそれだけが知りたい』


 ――まったく、軍人という奴は……!

 己の許婚と同じようなことを言う蒼芭を、白蘭はうんざりとして眺めやった。

 どうしてこいつらはこうも最強にこだわるのだ? しかも剣で? 剣で勝たねば最強ではないとでもいうのか?


『そうですか。強いか弱いかがわかれば、それで蒼芭殿は満足されるのですね?』


 蒼芭から再び紅蓮に向き直ると、白蘭は右の手のひらを仰向けた。


『紅蓮。剣を構えろ』

『何?』


 驚いて紅蓮が問い返した、と、白蘭は自分の右手から出現させた細身の剣を紅蓮に振るっていた。とっさに紅蓮は防いだが、体勢を立て直す間もなく次々と打ちこまれ、最後に首筋に刃を当てられた。

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