06 約束(前)
学問所を卒業した子供たちは、その資質と希望に応じて、神殿か十二の院のいずれかに属することになる。
優先されるのは資質のほうだが、場合によっては、所属した後でも他の院へ異動することができる。
だが、神殿だけは、一度配属されれば二度と異動はできない。天都の心臓部ともいうべき神殿には、一般の人々には明かされることのない機密事項も多く、それゆえ、神殿の神官となることができるのは、天人族の中でも選ばれた一握りの人々のみだった。
紅蓮以外では、学問所の中でいちばん親しくしている翠菻は、案に違わず、音楽院を希望していると言った。確かに、そこ以上に彼女にふさわしい場所はあるまい。音を紡ぐために翠菻は生まれてきたのだ。近い将来、必ず音楽院を代表する天人となるだろう。
『白蘭様は……』
どこをと問おうとした翠菻は――〝様〟はいらないと何度白蘭が言っても、彼女だけはそう呼びつづけた――中途で念波を止めた。
訊かれるまでもなかった。白蘭は翠菻の問いに苦笑で答えた。
そもそも白蘭は最初から神殿に属しているのだ。学問所を卒業すれば、神殿に戻るしかない。本来なら学問所に通う必要もなかったが、黒蘆は何を思ってか、白蘭の我が儘を許した。
今では蒼芭に腕二本使わせるまでに成長した紅蓮は、周囲の予想どおり、軍事院を希望していた。当然、蒼芭を上官とすることになるが、別にこだわりはないらしい。紅蓮が蒼芭に勝負を挑むのも、彼が嫌いだからではなく、彼が自分より強いからなのだ。一言で言えば、負けず嫌いなのである。
負けず嫌いと言えば、戯れに剣を交えて以来、紅蓮は兵士たちとよりも白蘭と打ち合うことが多くなった。白蘭としては思惑どおりといったところだが、正直、紅蓮を相手に剣を振り回すのはとても骨が折れることだった。紅蓮が純粋に自分の筋力だけで戦えるのに対して、白蘭は必ず念力を使わなければならず、かつ、その行使には極限まで神経を集中させなければならない。ゆえに、なかなか長くは続けられないのだが、そのたび紅蓮が怒るのである。
思念だけで自分の体や物を移動できる天人族は、兵士でもなければ、肉体を鍛えるという習慣がない。君は僕に君のようになれとでもいうのかいと呆れて言うと、紅蓮が答える前に兵士たちが顔色を変えて飛んできた。
『頼むから、白蘭はこんな筋肉バカになってくれるな! いつまでも、そのままの白蘭でいてくれ!』
『そうだ! 白蘭に筋肉は似合わない! 上腕二頭筋なんか発達させるな!』
『何だよ、筋肉バカって……』
実は学問所では白蘭と首位を争うほど成績がよかったのだが、紅蓮がそのことを兵士たちに自慢したことは一度もなかった。このときも好き勝手なことを叫ぶ兵士たちを睨みはしたが、訂正を入れることはなく、筋肉はつけなくていいから持久力をつけてくれと、ある意味さらに難しい注文を白蘭につけたのだった。
この頃、天人族と地人族との戦いは小康状態を保っており、兵士たちが戦場に出る機会は多くはなかった。しかし、それでも天都に帰還したとき、見知った顔が減っていることもまったくないわけではなかった。
天人族は地人族よりもはるかに長命だが不死ではない。死んだ天人の羽は神官たちの手によって天恵の樹の幹に埋められる。いつの日か、再び天恵の樹から生まれ落ちるために。
だが、戦場では必ず遺体を回収できるとは限らない。そのため、兵士たちは軍事院に属したとき、自分の羽を一枚預けることになっていた。
『本当は、まとめて神殿に納めることになってるんだけど』
あるとき、白蘭は顔見知りの兵士から、布に包まれた羽を手渡されたことがある。
『白蘭は神殿に住んでるんだろ? できたら、おまえの手でこいつを天恵の樹に埋めてやってくれないか。こいつも、そのほうが嬉しいと思うんだ』
天恵の樹に近づくことができるのは、天卓の十三人の他には、一部の神官だけだ。しかし、白蘭はそれを受け取り、神官たちの目を盗んで天恵の樹の幹に埋めた。あの練兵場で最初に命玉をくれたあの兵士の羽だった。白蘭は神官たちに気づかれないよう、声を殺して泣いた。
巨大な花に隠されて遠目からはわからないが、天恵の樹の幹には地人族が植えられている。死んではいない。生きながら精気を吸い出されているのだ。天人族だけでなく、この天恵の樹にとっても、地人族の精気は糧だった。
天人族の神話によれば、神は天人族に天恵の樹を与え、地人族を食料とせよと命じたという。だが、地人族はその神話を全否定し、その一部は古来より天人族に抵抗しつづけている。
それでも、天人族は地人族を滅ぼすことができない。可能であるが、食料であるがゆえにできない。いっそ根絶やしにしてしまえたら、兵士たちが死ぬこともなくなるのに。
天人族の象徴ともいうべき天恵の樹は、その巨大な根の先で天人の子供を生み出しているという。そこは神殿の中でも最重要箇所とされているため、白蘭が実際に目にしたことはなかったが、そうして紅蓮も翠菻も生まれてきたのかと思うと、実に奇妙な思いを抱く。
天都の森に住まう小動物たちのように、昔は天人族も自分の胎内で子供を育てて産んでいたそうなのに、なぜ天人族だけが、天恵の樹を利用しなければ子孫を残せないようになってしまったのだろう。
自分の存在意義にも関わることなので、白蘭なりにいろいろと調べてはみたが、肝心なところになると、いつも天卓の十三人の決済が必要な機密事項となってしまい、結局、はっきりしたことはわからずじまいだった。
――本当に、自分は子供を産めるのだろうか。
天恵の樹を目にすると、思考はいつもそこに辿りつく。
天人族の古い記録を調べてみても、子供を産んでいたのは常に「女」だ。今の天人族には性別がない者も少なくないが、地人族に近い容貌を持つ者には、たいてい性別がある。たとえば紅蓮は「男」だし、翠菻は「女」だ。そして、自分は「男」なのに、翠菻には産めない子供が産めるというのだ。
学問所に通う前には、何の疑いもなく信じていられたが、自分以外の子供たちを知り、年齢と知識を重ねるにつれて、どうにも疑わずにはいられなくなった。こんな「男」の体をした自分を、いったい誰が伴侶にするというのだろう。
子供を産めなくなった天人族だが、恋愛感情までなくしたわけではない。正式に婚姻する者は少なくなったが、たいていは院に属した後、特定の相手と同居するようになる。
その際、性別はいっさい問題とされない。少なくとも、同じ性同士だからといって差別されることはまったくなかった。とは言っても、実際には男女の組み合わせが多く、公園の高台にある恋人像も男女なのであるが。羨ましいとは思わなかったが、これが天人族の理想の形なのだろうかと思うと少し悲しくなった。平坦な胸をした自分は理想には程遠い。
しかし、白蘭は自分がそんな悩みを抱えていることを誰にも明かさなかった。紅蓮にも、翠菻にも、自分の事情を知っている神官たちにも。
言ったところでどうしようもないと思った。自分の伴侶とやらは黒蘆らによって勝手に決められるのだと言うし、それで子供ができなかったとしても、白蘭の知ったことではない。そのように自分を作った奴らが悪いのだ。
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