05 参った
兵士たちは皆、白蘭にはとても優しかった。
もともと天人族は子供を尊ぶ種族だが、柔らかな白い羽を揺らして笑う白蘭は、誰の目から見ても愛らしかった。白蘭が紅蓮と共に降りてくると、紅蓮そっちのけで彼に群がり、いつも用意してあるのか、甘い命玉や色鮮やかな花々を山ほどくれた。
その間、紅蓮はいつも不満そうな顔をしているが、彼らの邪魔をすることはなく、贈答式が一段落すると、兵士たちと剣の手合わせをしたり、何やら熱心に話し合ったりする。そうなると、今度は白蘭のほうがすることがなくて困ってしまう。
蒼芭とのあの一件以来、紅蓮は自分が剣を使っているときには、白蘭を必要以上に遠ざけた。あのときは『とにかくもう二度とあんなことはするな』と紅蓮が言い、『じゃあ、もう二度とあんな無茶なことはしないで』と白蘭が言い返し、紅蓮が唸りながらも『わかった』とうなずくことでどうにか収まったのだが、せっかく紅蓮と一緒にいるのに同じことができないのは時間がもったいない気がする。
そこであるとき白蘭は、近くにいた兵士の一人にそっと近づき、自分にも剣を教えてくれないかと、おそるおそる頼んでみた。
『おまえにか?』
狼に似たその兵士はひどく驚いたようだったが、少し考えて、まあ護身術程度のことは覚えておいたほうがいいかもなあ、万が一のために、などと独りごちた。
『よし、わかった。じゃあ、ちょっとこの棒を持ってみな』
今までその手の経験はまったくなかったが、やりはじめるとなかなか楽しかった。腕力はなくとも念力を使うことには非常に長けていた白蘭は、少しコツを教えられただけで、剣に力を乗せて威力を増すことを覚えた。安全上、白蘭が真剣を持たされることはなかったが、兵士たちとそれなりに打ち合いができるようになるまで、それほど長くはかからなかった。
『まあ、おまえさんが戦場に出ることはないとは思うけどな。そのために俺たちがいるんだし』
白蘭の覚えがいいので、面白がっていちばん熱心に剣を教えた兵士が、あるときそんなことを言った。
『っていうか、おまえさんが前線に出なきゃならないようになったら、天人族はもう終わりだよ。だから、これは自分の身を守る特技くらいに考えておきな』
あのとき以来、紅蓮と白蘭が練兵場にいるときに蒼芭が姿を見せることは滅多になかった。が、ごくごくたまに居合わせると、紅蓮はいつも蒼芭に手合わせを申し出た。皆に蒼芭には絶対勝てないと言われたのが、逆に彼の闘争心を煽ったのだった。
これに対して、蒼芭は必ず白蘭の居場所を確認し、今度は邪魔をなさらないように天母殿、とわざと慇懃に警告してから剣を交えた。その間、白蘭はもう二度と飛び出していけないように、兵士たちにぎっちりと拘束されてしまうのだった。
蒼芭に挑むときの紅蓮は、兵士たち相手のときとはまるで違った。普段は白い羽が緋色に染まり、剣先からは闘気が迸った。淀みない動きは高度な舞踏のようで、白蘭は時を忘れてそれに見とれた。
しかし、それでも蒼芭は圧倒的に強かった。蒼芭にしてみれば、稽古をつけてやっているような感覚だったのだろう。紅蓮が押していたかと思うと、一瞬の隙をついて、彼の首筋に己の腕の刃を突きつける。もし蒼芭が四本の腕すべてを使ったら、勝負は最初の一撃でついてしまうのかもしれなかった。
『まだまだ精進が足りんな』
そう告げる蒼芭の念波は、得意がるでも嘲るでもなく淡々としている。それだけに余計腹が立つのか、紅蓮はすぐに再戦を申し出るのだが、蒼芭はまたにしろと言って立ち去ってしまう。後に残されるのは最高潮に不機嫌な紅蓮と、いったいどうやってこいつを宥めようかと途方に暮れる白蘭と兵士たちだった。
『そんなに蒼芭様に勝ちたいの?』
歴戦の戦士である蒼芭に、まだ子供の紅蓮が勝てるはずもないではないか。白蘭はそう思うのだが、紅蓮はそうではないらしく、当たり前だと苛立たしげに答えた。
『勝ちたいだけなら、別に剣でなくてもいいんじゃない?』
何気なくそう返すと、紅蓮は意表を突かれたように緋色の瞳を見開いたが、すぐにまたむすっとした顔に戻った。
『相手の得意なので勝たなきゃ意味がない』
なるほどと思ったが、それでは一生かかっても蒼芭には勝てないような気がした。だが、それを言ってしまっては、ますます紅蓮の機嫌は悪くなる。話題に困った白蘭は、じゃあ僕と打ち合いをしてよ、と軽い気持ちで言った。
『おまえと?』
紅蓮は大仰に眉をひそめた。白蘭が兵士たちから剣を習っていることは彼も知っていたが、どういうわけかあまりいい顔はしなかった。
白蘭にしてみれば、紅蓮が兵士たちと遊んでいる間(としか白蘭には思えなかった)、自分は放っておかれるので、退屈であると同時に寂しかった。剣を教えてもらおうとした動機の一つは、これで自分も紅蓮と遊べるかもしれないと思ったからだった。
『そうだぞ。たまにはおまえ、白蘭にも付き合ってやれよ』
いつから聞いていたのか、兵士の一人がひょいと二人の間に顔を突っこんできた。
『俺らが訓練サボって指導したおかげで、なかなかできるようになったぞ。ああ、でも真剣は使うなよ。怪我でもさせたら俺たち全員死刑だ』
『わかってるよ』
紅蓮は気乗りしない様子だったが、期待に目を輝かせている白蘭を見て、これはもう断れないと覚悟したのだろう。訓練用に刃を潰してある剣を苦笑しながら手に持った。
普段、紅蓮は真剣を使っている。兵士たちも、あの蒼芭でさえも、紅蓮にはすでにそれだけの技量があると認めているのだ。
一方、白蘭が兵士たちから貸し与えられていたのは、この練兵場で最も軽い細身の剣だった。もちろん訓練用である。軽いとはいっても大人用の剣なので、念力を使わなければ白蘭には少しばかり重い。
『僕は腕力がないから、念力を使わせてもらうよ』
事前にそう告げると、紅蓮は当然のことのようにうなずいた。
『わかった。俺は念力は使わない。もう無理だと思ったら〝参った〟って言えよ』
『うん、わかった』
うなずいて、白蘭は剣を構えた。頭髪のような白い羽がふわりと浮き上がり、翼の形をとりはじめる。自分が紅蓮に勝てるとは白蘭は露ほども考えていなかった。それならば、今の自分が出せる力のすべてを出しきって挑んでみようと思ったのだった。
羽を白く輝かせ、剣から蛍火のような気を立ち上らせている白蘭は、まだ子供であるのにも関わらず、総毛立つほど美しかった。興味本位で見物していた兵士たちは陶然とし、紅蓮もつかのま戦うことを忘れた。と、それを見透かしたように、白蘭の一閃が紅蓮を襲った。
油断していても、何とか防御が間に合ったのは、やはり紅蓮だったからだろう。しかし、白蘭は反撃する間を与えず、次々と剣を繰り出した。防戦に徹するしかない紅蓮はじりじりと後退していく。
紅蓮にも兵士たちにも、信じられない状況だった。いくら念力を使っているとはいえ、剣を動かしているのは白蘭なのだ。
だが、このまま押されつづけるのも、紅蓮の自尊心が許さなかった。力任せに白蘭の剣をはねのけると、その勢いのまま剣を振るった。
兵士たちは筋力のない白蘭のために、紅蓮のような力で押しきる剛の剣ではなく、相手の力を受け流して利用する柔の剣を教えた。ゆえに、自分から攻撃をしかけるよりも、逆にしかけてもらったほうが、白蘭にとっては都合がいいのだった。
白蘭は紅蓮の剣を真正面からは受け止めず、巧みに力の方向を逸らして捌きつづけた。極限まで意識を集中させているために、白蘭の小さな顔は無表情に近かったが、それだけに見ている側には恐怖感さえ覚えさせた。
明らかに、紅蓮のほうが苦戦していた。白蘭に怪我をさせてはいけないと思うから、今一歩踏みこむことができないでいるのだろう。しかし、それ以上に今まで白蘭のようなタイプと戦ったことがないことが原因として大きかった。この練兵場に自らの非力を補うために念力を使う者など一人もいなかったのだ。
炎のように赤い子供と雪のように白い子供の攻防を、大人たちはあっけにとられて見守っていた。彼らはここまで白蘭が紅蓮と互角に戦えるとは思ってもみなかった。早い段階で紅蓮が勝つだろうと考えていたからこそ、単純な好奇心から、白蘭との手合わせをけしかけたのだ。
いったいこの勝負はどのような形で終結するのか。適当な頃合いを見て自分たちが中断させたほうがいいのか。困惑して兵士たちが互いの顔を見合わせたとき、白蘭に受け流されつづけて苛ついていたはずの紅蓮が、ふと口元を緩めた。
紅蓮は歓喜していた。自分が唯一友と認めたこの綺麗な子供が、剣技でも自分に匹敵するかもしれないことに。
この子供がいるかぎり、自分はもう孤独ではない。紅蓮は少し本気を出そうと思った。白蘭がどこまで自分についてこられるのか確かめるために。だが。
『〝参った〟』
そう呟くと、白蘭は頭の両脇に張り出していた翼を引っこめ、剣を下ろした。
紅蓮は信じられず、思わず訊ね返した。
『何?』
『もう疲れちゃったよ。これ以上続けられない』
げっそりした顔で白蘭は訴えた。確かに、腕力は念力で補えても、精神は疲弊する。
兵士たちはぷっと噴き出すと、声を出して笑った。助かったという安堵からだった。しかし、紅蓮にとっては笑い事ではなかった。
『何でだよ!』
紅蓮は白蘭の服をつかんで怒鳴りつけた。
白蘭は菫色の目を丸くする。もう限界だと思ったから〝参った〟と言っただけなのに、どうして紅蓮は怒るのだろう。もともと紅蓮のほうはやる気がなさそうだったのに。
『何でって……疲れたから』
『何で疲れるんだよ!』
『えー……基礎体力ないからかなあ……』
『じゃあつけろ! 今すぐつけろ!』
『おいおい、無茶言うなよ』
見かねた兵士が紅蓮を羽交い締めにして白蘭から引き離した。別の兵士がよく頑張ったなと言って白蘭の肩を叩き、命玉を何個もくれた。慣れないことをしたせいで疲れきっていた白蘭は、ありがたくそれを頂戴した。
そこにいるのはもう冷然とした美貌の天人ではなく、幸せそうに命玉をむさぼるいつもの無邪気な子供だった。
白蘭はふと首を傾げると、兵士に腕を取られている紅蓮に近づき、命玉を持つ手を差し出した。
『食べる?』
――いやもう、かなわない。
兵士たちは笑い、紅蓮は脱力した。が、苦笑いして兵士たちの腕を振りほどくと、愛すべき友から命玉を受け取った。
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