5 世界樹の正体
翌日の午後、やはり水晶玉磨きの時間帯に、アレクは〝部屋〟を訪ねることにした。
白蘭への手土産として、父の古着の中でもなるべく新しそうなものを何着か選び、手提げ袋に詰めこんだ。本当は新品を用意したかったが、サイズ的に白蘭には父の服しか合いそうになかったし、新品ではさすがに父にばれてしまう。苦渋の決断だった。
苦渋といえば、下着も悩みどころだった。さすがにこればかりは父のものは着させられない。心情的に自分が嫌だ。
仕方なく、まだ穿いていない自分のトランクスをこっそり入れた。白蘭は細いから、下着ならアレクのサイズでも充分だろう。
腕時計はあえて置いていくことにした。こちらと時間の流れが違うなら、持っていっても無意味だ。だが、今回は靴ストッパーは使わない。自分の意志で開け閉めする。
しかし、そう意気ごんではみたものの、いくら昨日と同じように水晶玉を磨いても、あの漆黒の扉はいっこうに現れてはくれなかった。
――やっぱり、あれはただの偶然だったんじゃ……
布を動かす手を止めて、水晶玉の中の羽根に目を据える。
十中八九、この羽根はカナリアのものだろう。よく見ると、毛先がうっすら黄色い気もする。たぶん、こいつが天人族を裏切る前に、あの〝部屋〟の中に白蘭を閉じこめた。その気持ちはわからないでもないが、では、なぜ天人族を裏切ったのか。天人族にとって地人族は家畜のようなものだったろうに。
――でも、その家畜と子供は作れたんだよな。
しょせん神話だと思っていたから不思議にも思わなかったが、実際、白蘭を見てしまうと、やはり自分たちとは種族が違うと思ってしまう。地人族の精気を吸っていたと言われても、この種族にならそうされても仕方ないかと思えてしまう。実に危険だ。
――そういや、白蘭は腹は減ってないのかな。
精気とは具体的に何なのだろう。献血のように与えられるものなら、喜んで自分のものを提供するのだが。あくまで死なない程度に。
「託すなら行き方もちゃんと教えていけよ、カナリア野郎」
腹立ちまぎれに水晶玉に向かって小さく罵ったその直後。
窓の前に、両開きの扉が出現した。
今回は、水晶玉は一度も光らなかった。
「いつも同じじゃないのか……」
思わずそう呟いてしまったのは、扉の大きさも造りもほとんど変わらなかったが、その色は漆黒ではなく、目に痛いほどの黄色だったからだ。まさに、カナリア・イエロー。
――カナリアなんて言ったからかな……
そうは思ったが、とりあえず扉は現れた。あとはあの扉の向こうに白蘭がいるかどうかだ。
アレクは左手に水晶玉を持って立ち上がると、ソファの横に用意してあった手提げ袋を右腕に通して歩き、ドアノブまでしっかりカナリア色をした扉の前に立った。
そして、そのドアノブに右手をかけようとしたが、寸前で思いとどまった。
――ノック……したほうがいいかな。
白蘭がいま寝ているかどうかはわからないが、あの仮死維持装置から解放された以上、あの〝部屋〟はもう彼のものだろう。昨日のように勝手に侵入するのはいかがなものか。
迷っていた時間はそれほど長くはなかった。結局、形だけでもしておこうと、右の扉を三回、ゆっくりと叩いた。しばらく待ってみたが、何の反応もない。やはり寝ているのだろうかと再びドアノブをつかもうとした、そのときだった。
ドアノブがアレクに触れられるのを拒むように回ったばかりか、そのまま後ろに下がっていった。あっけにとられていると、黄色い扉の陰から白い人影が遠慮がちに現れた。
『〝どうぞ〟って言ったんだけど……聞こえなかったかな』
白蘭だった。自分より少し高い程度だと思っていたのに、意外と身長がある。そう思いながら何気なくその足元を見たアレクは、あっと声を上げてしまった。
白蘭は素足だった。やはり白くて形も美しかったが、それが床から十センチメートルくらい上にある。アレクの目線で察したのだろう。白蘭は決まり悪そうに爪先を交差させた。
『ああ、私はどうも、床に足をつけて歩くのが苦手で……気になるかい?』
「いや、そんなことはないけど……浮いてるほうが疲れない?」
『私にとってはこちらのほうが楽なんだ。ところで、私の声は聞こえた?』
「ううん。全然聞こえなかった。俺もノックしたんだけど、白蘭には聞こえなかった?」
『いや、それは聞こえたよ。この扉が現れた瞬間も見た。昨日のとはまったく色が違うね。君の気分によるのかな』
「……たぶん」
『ふうん。面白いねえ。さすが、天人族一の科学者が作ったものは違う』
白蘭は感心したように扉を撫でた。カナリアは科学者だったのかと思う一方、天人族を滅ぼしただろう天人を恨んではいないのだろうかとアレクは怪訝に思った。
こうして見るかぎり、白蘭はまったく平常心のように思える。目元も涼やかで、泣き腫らした様子もない。よかったというより拍子抜けした。白蘭なら絶対泣くと思っていた。
その白蘭は、扉の陰から少し前に進み出ると、物珍しげにリビングの中を見回してから、軽く首を傾げた。
『窓はどこにあるんだい?』
「え?」
『君の家の窓から、天恵……いや、世界樹はいつでも見られるんだろう? せっかくだから、見てみたいと思って』
なるほど。世界樹が見たくて自分から扉を開けにきたのか。少しだけアレクはがっかりしたが、白蘭のその気持ちも理解はできた。
だが、彼をこの扉の外に出して、このリビングの中を歩かせる――足を動かさなくても移動できそうだが――のは、何となく抵抗があった。アレクはしばし悩んだが、昨日の出来事を思い出し、ぽんと水晶玉を叩いた。
「わかった。じゃあ、中に戻って」
『え?』
白蘭が面食らったようにアレクを見る。しかし、アレクはそれを無視して畳みかけた。
「とにかく、その扉を閉めて。それで、俺がもう一度ノックしたらまた開けて。それでたぶん、世界樹がすぐに見られる」
『うーん……さっぱりわからないけれど、君がそう言うのなら』
白蘭は首をひねりながらも扉を閉めた。
そのまま扉が消えてしまう可能性も予想していたが、アレクがいったん入って出なければ消滅はしないらしい。現時点ではあくまで仮説だが。
その仮説が覆されないうちに、急いで扉の背面に回りこむと、案の定、前面とまったく同じだった。アレクはまた右の扉を今度は性急にノックして、すぐに左の扉に背中をつけた。
アレクの指示どおり、白蘭はノックの後に扉を開けた。そこからウィッグのような羽毛の頭を覗かせたときには、やはりまだ不審そうな顔をしていたが、扉の前にある窓を見た瞬間、大きく目を見開いた。
「あれが世界樹だよ」
好んではいなかったが得意な気分になって、アレクは薄紫色をした巨木を指さした。
「どう? 白蘭が知っている樹と同じ?」
白蘭は世界樹を一心に見つめていた。だが、その表情は寂寞としていて、アレクが期待していた懐古や歓喜といったものは感じられなかった。
『花が咲いていないね』
唐突にぽつりと呟く。アレクは驚いて白蘭を見上げた。
「え? あの樹に花なんて咲くの?」
今度は白蘭が驚いた眼差しをアレクに向けた。
『君は見たことないのかい?』
「ないよ。っていうか、見たことあるなんて話、誰からも聞いたことないし、記録にも残ってない」
『そうか。じゃあ、あの樹にはもう、花を咲かせられるだけの養分は与えられていないのか』
「養分?」
『この話も伝わっていないのかい?』
誰に対してか、白蘭は呆れたような苦笑を漏らした。
『あの樹も我々天人族と同じように、地人族の精気を糧にしていたんだ。そして、我々はあの樹を利用して地人族から精気を抜き取り、
「命玉?」
『これだよ』
握った右手をアレクに突き出し、手のひらを上に向けて広げてみせる。
白すぎる手のひらの上には、血のように赤い小石が一つだけ載っていた。
実は白蘭は部屋の中から念動力でこれを取り寄せていたのだが、このときのアレクは最初からその石を手に持っていたのだとばかり思っていた。
「……飴玉?」
どう見ても石にしか見えなかったが、もしかしたらと思ってそう言うと、白蘭はまた苦く笑った。
『それは菓子の一種かな? まあ、これは〝甘い〟からそう言えなくもないけど。……精気は直接吸い取ることもできたけど、それではいろいろ効率が悪いから、我々はあの樹に精気を抜き取らせて、それを特別な石に宿らせていたんだ。その石がこの命玉。食すときはこうする』
淡々と説明した後、白蘭は右手を閉じ、すぐに開いた。
真っ赤だったはずの石は、真っ黒な石に変じていた。
アレクはしばらくそれを見つめてから、石に目を落としている白蘭を見上げた。
「この石、まだ部屋の中にあるの?」
気になったから確認したまでだったのだが、なぜか白蘭は信じられないような顔をしてアレクを凝視した。
「え……俺、何か変なこと訊いた?」
動揺して問い返すと、白蘭は困ったように眉尻を下げた。
『そうだな。実は昨日から思っていたんだけど。アレク、君は私が怖くはないのかい?』
とっさには何を言われたのかわからなかった。白蘭が怖い? どうして?
「別に怖くないけど……何で?」
『だって、私たちは君の祖先を食料にしていたんだよ。……こんなふうに』
自嘲するように笑い、自分の手の中にある黒い石をアレクに見せつける。
それを一瞥してから、アレクは思ったままを口にした。
「でも、白蘭たちはそれを食べなきゃ生きていけなかったんだろ?」
白蘭が意表を突かれたように目を見張る。
『それは……確かにそうだけれども……』
「俺は大昔のことなんて知らないから、いま白蘭がここにいて、生きていてくれるだけでいいよ。それよりその石、たくさんある? どれくらい保ちそう?」
アレクにとっては、白蘭の食料の原材料が何であるかよりも、在庫がどれだけあるかのほうがずっと重要だった。アレクの勢いに白蘭は気圧されていたが、やがて観念したかのように苦笑した。
『大丈夫。たくさんあるよ。いくら探っても、きりがないくらい』
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